第二十四話 言霊の力②
お小遣いで買い替えたばかりの、お気に入りのスニーカーだったのに。
真新しいスニーカーがドロドロになっているさまを目にすると、さすがに怒りを抑えられなかった。
誰かが昇降口から走って逃げていくのが見える。金本とその手下たちに違いない。堪忍袋の緒が切れかかっていた僕は、上靴のままその人物を追いかけていって捕まえた。
だが、いざ犯人を捕まえてみて仰天した。
僕はてっきり、靴箱にゴミを詰めた犯人は金本かその手下たちだろうと考えていた。けれど 実際には彼らにいじめられていた堀田くんが犯人だったのだ。
彼の抱えている僕のクラスのゴミ箱がその証拠だ。
「堀田くん、どうして……」
呆気にとられる僕に、堀田くんは抱えていた空のゴミ箱を地面に叩きつけながら言った。
「な……夏目くんが悪いんだよ! 余計なことをするから!」
何となく視線を感じて振り返ると、昇降口のあたりで金本が仲間たちとニヤニヤしながらこちらを眺めている。それで僕は事情を察した。
堀田くんは金本たちに命じられて僕の下駄箱にゴミを詰めたのだ。ひょっとしたら、他の嫌がらせも堀田くんが実行役を務めたのかもしれない。きっと金本に命じられ、逆らえなかったのだ。
僕はできるだけ感情を抑えながら堀田くんに言った。
「金本みたいなタイプは自分以外の誰かを思いやったりしない。このまま言いなりになっていると、ずっといじめられ続けることになってしまうよ。現に今も使い走りにされている。それでもいいの?」
図星を突かれたのか、堀田くんは一瞬、苦しそうに顔を歪めた。
けれど、すぐに怒りを露にし吐き捨てる。
「夏目くんには関係ない! 偉そうに説教するなよ、僕の気持ちも知らないくせに……!」
「気分を害したのなら謝るよ。二度と口出ししたりしない。その代わり、僕にもこれ以上は関わらないで欲しいんだ」
僕は別に、堀田くんを助けようと思ったわけではないし、金本たちのこともなんとも思っていない。僕が望んでいるのはただ一つ、穏やかな普通の日常だけだ。
ところが堀田くんは卑屈な笑みを浮かべ、小馬鹿にしたような視線を僕に向けるのだった。
「……そういうわけにはいかないよ。夏目くんのおかげで、あいつらの注意が僕から夏目くんに逸れた。だからこそ、僕は惨めなオモチャから使い走りにランクアップすることができたんだ。あいつらはこれから三年間、君につきまとって苦しめてやると言ってるよ。夏目はナマイキだ、自分の立ち位置を思い知らせてやるってさ」
「なんだよ、それ……!」
「そういうことだから。ごめんね、夏目くん。ここで終わらせるわけにはいかないんだ。悪いけど、僕のために犠牲になってよ」
一方的にそう言い終えると、堀田くんは金本たち三人の元に走り去っていった。金本たちは口々に堀田くんの働きをねぎらう。
「よくやったな、堀田!」
「上出来だぜ、役立たずなんて言って悪かったな」
「見たか、夏目の悔しそうな顔! いい気味だぜ」
彼らから高く評価され、堀田くんも嬉しそうだ。
一体、いつの間に仲良くなったのか。金本たち三人組と堀田くん、合わせて四人はとても楽しそうに見えた。彼らの間でいじめがあったなんて信じられないくらいに。
おそらく、僕という新たないじめの標的が、彼らの結束を固めたのだろう。
それを見ていると、さすがにどす黒い感情がふつふつと湧き上がって来るのを抑えることができなかった。
僕は金本たちに何か危害を加えたわけじゃない。会話すらろくに交わしたことはなく、階段の踊り場で「そういうのはやめた方がいいんじゃないかな」と言っただけだ。たったそれだけのことで何故、ここまでの扱いを受けなければならないのだろう。
どう考えても納得がいかない。
とどのつまり、金本らにとっていじめの対象は誰でも良く、暇潰しさえできればそれで良いのだ。勉学に励むわけでも、部活に精を出すわけでもない。自分で自分の人生を充実させる努力は何ひとつせずに、お手軽でインスタントな刺激で退屈を紛らわそうとしている。
そして自分にはその権利があるのだと信じきっていて、自らが間違っている可能性があるなどとは露ほども疑っていない。
なんて卑怯で身勝手なのだろう。なんて横暴で思い上がりも甚だしいのだろう。
子どものすることだからと言って許されるものではない。
そして、金本らの傲慢さに抗おうともせず、いかに迎合するかということしか考えていない堀田くんにも腹が立った。彼らの全てが苛立たしく、そして許せなかった。
怒りのあまり、僕は思わず毒づいてしまう。
「くそっ……!」
その瞬間、僕は確かに四人に対する殺意にも似た感情を抱いていた。なんて最低な奴らなんだ、何でもいいからひどい目に遭って反省すればいいんだと、心の底から思っていた。
しかしすぐに、はっと我に返る。
あれほど感情任せに言葉を発しないよう気をつけていたのに、怒りに駆られ、ついうっかり吐き捨ててしまった。
いま、自分は〈言霊の力〉を使ってしまったのではないか。
自分の言葉がまた誰かに危害を及ぼすのでは……。
「まさか……な」
その頃、僕は〈言霊の力〉を徹底して控えるようになっていた。特に中学生になってからは一度も使っていない。だから、今さら発動することは無いのでは。嫌な予感で胸が押し潰されそうだったけれど、必死で自分に大丈夫だと言い聞かせた。
大丈夫、大丈夫。
いつまでも『奇跡』など起こり続けるわけがない。
僕は大人になるんだ。このままずっと奇妙なトラブルを起こし続ける、人並み外れた子どものままではいるわけにはいかないんだ。
しかし、そんな僕の願望は木っ端みじんに打ち砕かれてしまう。
翌日、堀田くんや金本たち三人、合わせて四人が、みな欠席したからだ。
担任の先生によると、理由は骨折や食中毒などさまざまだが、四人とも病院に入院しなければならないほどの重傷であるのは共通しているらしい。全員、命に別状はないらしく、それが唯一の救いだったが、堀田くんも金本たちも当分、学校に来れそうにはないという。
それを知り、僕は蒼白になった。昨日の今日であることを考えると、間違いなく〈言霊の力〉が作用したのだと思ったからだ。
しかも四人が同時に事故に遭ったとかいうわけでもなく、異なる場所で別々のトラブルに見舞われ、症状もばらばらであることを考えると、余計にただの偶然であるとは考えにくい。
使用を控えていたからと言って、僕の中から〈言霊の力〉が消えたわけではなかったのだ。
そして、それをコントロールできなかったどころか、よりにもよってクラスメイトを傷つけてしまった。四人から執拗な嫌がらせやいじめを受けていたからと言って、ざまあみろという気分にはなれない。
むしろ、恐ろしくたまらなかった。
とんでもないことをしてしまったと体が震えた。
中学生にとっての一週間は大人の一ヶ月に等しく、一ヶ月は一年にも等しい。僕はあの四人を危険に晒しただけでなく、彼らの貴重な時間をも奪ってしまったのだ。
自責の念に駆られるものの、どうすることもできなかった。この件に〈言霊の力〉が関与している以上、自分の『罪』を告白するのはおろか、許しを請うことすらできない。何故なら、そんな超常の力は存在しないのが当たり前だからだ。説明したところで、きっと誰にも信じてもらえないに違いない。
僕はこれからも自分のやったことを一人で背負っていくしかないのだ。できることがあるとすれば、せいぜい四人が早く快方に向かうことを祈ることだけ。
僕は初めて〈言霊の力〉の存在を呪った。
こんな力なんていらないから、金本たちに面と向かって思いきり「この卑怯者!」と罵ってやりたかった。
本当はきっと、ただそれだけで済んだのに。
この力のせいで、これから先、僕は思ったことや感じたことを言葉に表現することすらできなくなるのだろう。コントロールできないのなら、なおさら軽々しく口を開くわけにはいかない。
一体どうすればいいのか。もはや絶望するしかなかった。
しかし、他のクラスメイトたちの様子は、僕とは真反対だった。彼らは何となく浮足立った様子で、担任の先生が朝礼を終えて教室を出ていくや否や、わっと一斉に会話し始めた。
話題の中心はもちろん、金本たちのことだ。
ただ、四人に対する同情的な声や、彼らを心配する声はほとんどない。それはそうだろう。大人しい堀田くんはともかく、金本たちはクラスのみなからも嫌われ、煙たがられていた。中には「いい気味」とか、「天罰が下った」などと言う過激な発言も飛び交っている。
彼らにとっては、堀田くんや金本らの入院は、退屈な日常を刺激してくれるちょっとしたイベントにすぎないのだろう。金本が暇を持て余し、僕にしつこい嫌がらせをしたのと根本は同じだ。
その時の僕は精神的に追い詰められていて、冷静に考えられるような状態ではなかった。
クラスメイトに悪気が無いのは分かっていたし、決して本気ではないことも理解していたけれど、つい、何も知らないくせに無責任なことを言うなと憤ってしまったのだ。
金本たちや堀田くんが入院したのは天罰なんかじゃなくて、僕のせいなのに。
それをエンタメ化されるのが耐えられなかった。
「やめろ……人の不幸がそんなに楽しいことなのか? みんな……みんな黙れよ!!」
我に返る間もなかった。
その瞬間、何か得体の知れない大きな衝撃が教室を襲う。
バン、という凄まじい音と共に黒板が大きくへこみ、教室の窓はどれも大きくひびが入っていく。
顔から血の気が引いた。〈言霊の力〉の力が暴発したのだ。
幸い、クラスメイトに対する被害こそ無かったものの、明らかに尋常ではない現象を目の当たりにし、誰もが言葉を失っている。
教室の中はしん、と静まり返った。みなの視線が僕に集中する。
しかしそれは、クラスメイトに向けるべき温かい眼差しではない。何か得体の知れないものに対する、恐怖と嫌悪の混じった冷ややかな視線だった。
「ち……違う……。これは僕じゃない……!」
しかし、誰も僕の言うことなど聞いてはいなかった。クラスメイト達は敵意すら感じ支える冷酷な視線を僕に向けながら、ヒソヒソと囁き合う。
「……何、今の? 夏目くんがやったの?」
「まさか……突風でも吹いたんだろ」
「窓は閉まっているのに? 黒板まで破壊されているのはどう考えてもおかしくない?」
「そういえば、夏目くんって小学生の頃、ちょっとした有名人だったよ。何でも、夏目くんに願えば何でも望みを叶えてくれるんだって」
「何それ、新興宗教? ヤバ……」
「分かんない。でも、何か夏目くんってさ、怖いっていうか……気持ち悪いよね、ぶっちゃけ」
そのことがあってからというもの、僕は学校で喋れなくなってしまった。
口を開き、言葉を発せばまた誰かを傷つけてしまうかもしれない。それも十分怖かったが、〈言霊の力〉の力を使うことで誰かに不気味がられ、自分が傷つくのも嫌だった。
しかし、授業で当てられても答えられないような状態が続けば、さすがに学校側もおかしいと気付く。どうやら担任の先生から僕の両親に連絡が行ったらしく、両親はひどく僕のことを心配した。
さっそくあちこち病院に連れて行かれたが、言葉が発せない理由は分からない。喉には何も異常はなかった。それでは心理的なものが原因かと心理カウンセラーの元を訪ねると、「ストレスが原因でしょう。失礼ですが、ご家庭の教育を見直されてはいかがですか?」と言われてしまう。
そのせいか、両親の仲は徐々に険悪になり、たびたび喧嘩もするようになった。二人が僕の症状を改善しようとして『家庭教育の問題』について話し合うたび、言い争いになってしまうのだ。
二人とも、あんなに仲が良かったのに。
全ては僕のせいだ。
けれど、だからといって本当のことは言えない。〈言霊の力〉の事なんて話したら、両親をますます心配させてしまうに決まっている。だって、二人にとって僕は、あくまでどこにでもいる普通の子どもなのだから。
これ以上、おかしなことを言って二人を苦しめたくない。
半ば自業自得とはいえ、学校にも家にも居場所がなくなってしまった。どこにも行き場のない僕は、徐々に自分の部屋に引きこもるようになったのだった。
そんな僕を呼び寄せたのは、父方の祖母だった。僕は小さい頃から祖母に懐いていたし、祖母も僕を可愛がってくれていた。だから、元気がない僕のことを心配したのだろう。両親も気分転換になればと僕を祖母の元へ送り出してくれたのだった。
久しぶりのおばあちゃんの家。どっしりとした屋根瓦に、広々とした畳の部屋がいくつも連なっている、古い日本家屋。
不思議なことに、おばあちゃんは僕と再会しても特に何も尋ねなかった。何があったのかとか、何に悩んでいるのか、など。その時の僕が一番聞かれたくない質問は一つもしなかった。
ただ、重厚な桐箪笥の中から古い数珠を取り出してきて、それを僕にくれた。僕がいつもお守りに身につけている、あの水晶でできた腕輪念珠だ。
「悠貴、これを持っておいで。これはね、おばあちゃんのおばあちゃんから貰ったものだよ。この数珠なら、いろんなことから悠貴を守ってくれる。もちろん、自分ではどうにもならないことからも、ね」
おばあちゃんは僕の目をじっと見てそう言った。
まるで僕に何があったか、全てを知っているかのようだった。
おばあちゃんの家での生活は静かだった。落ち着いた、ゆったりとした時間が流れていて、胸がざわついたり感情を高ぶらせるようなことは何もない。そのせいか、自分らしくいられる気がずるのだ。
他の人には刺激が無くて退屈に感じられるかもしれない。でも、その時の僕には必要な時間だった。過去と向き合い、受け止め、そして先に進むための力を蓄えるために。
そうして実家と学校から離れ、おばあちゃんの家で暮らしているうちに、僕の言葉は少しずつ戻っていった。
それから両親と改めて話し合い、僕は両親にしばらくおばあちゃんちの家で生活したいこと、前の中学校に通いたくないことを伝えた。二人も僕が話せるようになったことがよほど嬉しかったらしく、悠貴がそれでいいのならと転校を許してくれた。
おばあちゃんの家の近くには中学校があり、僕はそこへ通うことになった。おばあちゃんは僕が勉強をしやすいようにと、わざわざ離れまで用意してくれた。
新しい中学校では特にトラブルもなく、平穏に暮らすことができた。だから高校ものそのまま、おばあちゃんの家の近くにある公立校に進学するつもりだった。
ところが、中学校を卒業する半年前に、おばあちゃんは永眠してしまった。悲しみに暮れる間もなく、僕は即刻、身の振り方を考えなければならなかった。
けれどその時、実家に戻る自信はまだなかった。小学校時代や中学時代の同級生と出会うのが嫌だったからだ。何より、近所の人はみな知っている。僕が普通の子どもではないことを。それが何より耐えられなかった。
そこで両親と相談した結果、実家から離れた高校に通わせてもらえることになった。
僕が入学することになったのは、神御目市にある私立柊星学院高等学校。
そして僕は、それを機に狩森図書館の存在を知り、茜音さんと出会ったのだ。
生前、おばあちゃんは繰り返し僕に説いた。
「悠貴、心に鬼を棲まわせてはいけないよ。人の心というのは鬼にとって、とても棲み心地の良い場所なんだ。人は誰でも鬼の棲みつく可能性を秘めているんだよ。だからこそ、常に己を律して生きなければならない」
「……。そんなの、自信がないよ。僕にはできない」
「ふふ、大丈夫。悠貴ならできるさ。まずはゆるすことだよ」
「許す……?」
「ああ。自分のこと、そして周囲のこと、その全てをね」
「それって、何かひどい仕打ちを受けても、大人しく我慢しろってこと?」
「そういう単純なことじゃない。ゆるすっていうのは受け入れることさ。ありのままの自分を、そしてありのままの世界を受け止める……それがゆるすということだよ」
おばあちゃんの言っていたことは難しく、僕は今でもきっと、その意味がよく分かっていない。
でも、おばあちゃんは最後まで僕のことを心配していたし、僕のためを想ってくれていた。実際、おばあちゃんの家で落ち着いた日々を送ることができたからこそ、僕は言葉を取り戻すことができた。だから、おばあちゃんが教えてくれたことは、きっと僕にとって、とても重要なのだろうと思う。
おばあちゃんはいつもあれこれ詮索せず、僕のことを受け入れ、そして見守ってくれた。
僕が話せなくなった時、そして学校に行けなくなった時。おばあちゃんは決して僕を責めず、温かく寄り添ってくれた。
おばあちゃんの泰然としていて何事にも動じないところは茜音さんによく似ている気がする。




