第二十三話 言霊の力①
僕には子どもの頃から不思議な力があった。
そんなことを言うと、こいつ大丈夫かと思われそうだけども、本当のことだ。
その力に最初に気づいたのは、幼稚園の時だった。
その日、僕は幼稚園の園庭で友達と追いかけっこをしていた。ところが、その友達は途中で転んで膝小僧を擦りむいてしまったのだ。
よほど痛かったのか、その子はわあわあと声を上げて泣き出した。慌てて先生がやって来て、その子を医務室に連れて行った。僕もその子が心配で、あとをついて行った。
医務室で先生が消毒薬やガーゼを用意している間も、友達はしくしくと泣き続ける。それを見ていると、僕もだんだん悲しくなってきて、何とかしてあげたいと強く思った。そして、
「いたいの、いたいの、とんでいけ」
と口にしたのだった。どうか友だちの怪我が良くなって欲しいと願いながら。
すると、友達の傷口はみるみる小さくなり始めた。完全に治ったわけではなかったけれど、明らかに傷の程度が軽くなったのだ。
友達もそれに気づいたらしく、泣き止んで目を見張った。
「悠貴くん、すごい……!」
先生も僕たちの元にやって来て、
「あら、思ったより傷が小さかったみたいね」
と驚いた。友達が「悠貴くんが治してくれたんだよ!」と言うと、先生は「そうなの、悠貴くんは優しいね」と言って笑った。おそらく、子どもの冗談だと思ったのだろう。
そういったことは他にもある。
幼稚園の遠足で動物園に行くことになったことを知り、僕を含めた園児たちはそれはもう遠足の日を楽しみにしていた。僕はゾウさんが見たい、私はキリンさんが好き。ライオンさんも見に行こう。そんな話で数日間、もちきりだった。
ところが、当日の朝はあいにくの雨模様だった。このままでは遠足は中止になってしまう。
僕は一生懸命に祈った。声に出すほどお願いした。
「お願いです。どうか晴れになりますように」
すると、ぴたりと雨がやみ、雲間から太陽が顔を出したのだ。
その一部始終を見ていた母は、驚き交じりの声で言った。きっと悠貴のお願いがお天道様に届いたんだね、良かったね、と。
また、落ち込んだ子を励ますのは、たいてい僕の仕事だった。僕が心から願いを込め、「元気を出して」と声をかけると、どんなにべそをかいている子どもも泣き止み、機嫌が良くなるからだ。幼稚園の先生たちもそれを知っていて、「悠貴くん、○○ちゃんを元気づけてあげてくれる?」と頼まれることもあったくらいだった。
一つ一つは偶然や気のせいで片づけられても、そういった出来事が僕の周りだけで集中して頻発すれば、それはもはや『真実』となる。
幼稚園を卒園する頃には、周囲の人々や父と母、そして僕自身もうっすらと気付き始めていた。僕はどこか普通じゃない、何か尋常ならざる力を秘めていると。
どうやらその力は発した言葉で周囲に影響を及ぼすものらしい。その程度はさまざまだが、時には天候を変えたり、治療の難しい病気を治したりといった、もはや奇跡と言っても過言ではない変化をもたらすこともあった。
もっとも、ただ発した言葉には力は宿らない。言葉を現実のものにするには僕の願いや想いが強く込められている必要がある。
どうか、物事が良い方向に向かって欲しい。そして、みんなに幸せになって欲しい。そういった想いや願いが強ければ強いほど力の作用も強くなるのだ。
僕はその力を〈言霊の力〉と呼んでいる。
子どもの頃はその〈言霊の力〉を良いものだと思っていた。発表会や試験、あるいはスポーツ大会。僕が心を込めて応援したり、「大丈夫、絶対にうまくいくよ」と声をかけると、その応援を受けた人々はそれがどんなに難しいテストや厳しい試合だったとしても、必ずうまくいくのだ。
周りの人からは冗談めかして「悠貴くんは勝利の女神だね」と言われるほどだった。近所でもちょっとした噂になって、わざわざ応援されにやって来る人もいるくらいだった。
僕も気軽にそれに応じていた。誰かを救いたいとか深いことを考えていたわけではなく、ちょっとしたお手伝いのつもりだった。
電車やバスでお年寄りや妊婦さんに席を譲るのと同じ感覚だ。
学年が上がれば、それだけ人間関係も複雑になってくる。そんな時もまた僕の出番だった。
みなどれだけ興奮し喧嘩していても、僕が真剣に「落ち着こうよ」と言ったら瞬く間に冷静になる。いつしか僕は喧嘩の仲裁や人間トラブルの解決屋となっていた。
ただしその頃になると、この〈言霊の力〉は必ずしも良い結果をもたらすわけではないということも分かってくる。
たとえば小学四年生になった時、僕はクラスメイトのある女の子を好きになった。いわゆる初恋というやつだ。その子は美月ちゃんという名だった。
当時の僕は美月ちゃんに夢中だった。寝ても覚めても美月ちゃんのことばかり考えていた。
とはいえ、初恋であったゆえか、美月ちゃんと特に親しかったというわけでもなければ、自分から積極的に話しかけたりしたわけでもない。美月ちゃんにとって僕は大勢いるクラスメイトの一人でしかなかっただろう。
でも僕は美月ちゃんが大好きで、廊下ですれ違った時や、ふと目が合った拍子に、勝手にドキドキしていた。
また、クラスの中での発表会や授業中に先生に当てられた時など、僕はいつも陰ながら美月ちゃんを応援していた。
運動会の時もそうだ。
徒競走で美月ちゃんが走る番になった時、美月ちゃんが一番になれますようにと強く念じた。他の生徒たちも大声を張り上げ他のクラスメイトを応援していたので、僕もつられてつい声を上げてしまったのだ。
「頑張れ、一番になれ!」
そう叫んだ時、僕が願ったのは美月ちゃんが自力で一番になることだった。ところが、実際にスターターピストルが鳴ったあと、美月ちゃんを含めた選手が走り始めた、その直後のことだ。
一生懸命に走る選手の一団がコーナーを曲がりきってラストスパートに入ったころ、美月ちゃん以外がみな一斉にバタバタと転んでしまった。
しかも互いに衝突したというわけでもなく、最も走りやすい直線上でそれは起きたのだ。
あの時、客席がざわめいたのを僕はよく覚えている。
結果として美月ちゃんは一番になったものの、あまりにも不自然な形で勝ってしまったため、何かおかしい、美月ちゃんが他の選手に何かしたのではないかと一部で噂になってしまった。おまけに、たまたま一番になれただけ、どうせ実力じゃないと皮肉を口にする者まで現れた。
その噂や陰口が美月ちゃんの耳にも届いてしまったらしく、彼女は一時期ひどく落ち込んでいた。
そう、〈言霊の力〉は確かに僕の願った結果を現実にもたらしてくれるが、必ずしもその過程をコントロールできるわけではないのだ。
さらにその後、決定的なことが起こった。
あれは下校時、交通量の多い横断歩道を渡っていた時のことだった。僕の後ろから走ってきたスーツ姿の男性が、向かいから横断歩道を渡ってきたおじいさんを突き飛ばすという事件が起きた。
おじいさんは杖を突いていて、呆気なく転倒してしまった。
僕は驚いておじいさんの元に駆け寄った。そのおじいさんは昔から町内会の活動に熱心で、元気だった頃はよく他の町内会の人たちと一緒に横断歩道の前でスクールガード活動を行っていた。僕も、何度も「おはよう、いってらっしゃい」と声をかけてもらったことを覚えている。
あんな優しくていい人に、どうしてこんなひどいことを。
僕は激しい怒りを覚え、スーツ姿の男性を睨みつけた。しかし男性は急いでいるのか、おじいさんの安否など気にも留めずそのまま走っていく、それどころか、振り向きざまに乱暴な口調でひどいことを言い放ったのだった。
「邪魔くせえんだよ、ジジイ! 車に轢かれて死んじまえ!」
あまりの言い草に僕はカッとした。いくら彼が大人で忙しいのだとしても、それで人を突き飛ばしていい理由にはならない。
絶対に許せない。そういう強い怒りが沸き上がり、僕はつい呟いてしまったのだ。
「おじさんこそ、車にでも轢かれてしまえばいいのに……!」
次の瞬間、スーツの姿の男性の体が宙を舞った。そして、道路上にドンという大きな音が響き渡る。
ハンドル操作を誤った軽自動車がスーツの男性に突っ込んでいったのだ。
あたりはすぐに騒然となった。携帯電話で警察や消防に電話をする人、スーツの男性の元に駆け寄って声をかける人。まるでドラマのワンシーンのような非日常の光景。
男性は生きているのか、それとも死んでしまったのか。僕のいるところからではよく分からない。
何だか無性に怖くなり、僕はおじいさんを助け起こして横断歩道を渡りきると、そのまま逃げるようにその場を去った。
家に帰ってからも、事故の光景がなかなか頭から離れなかった。
あのスーツの男性はどうなってしまったのだろう。車の交通事故で人が亡くなるのは決して珍しい話ではない。つまり彼が既に息を引き取っている可能性は十分にあるということだ。
どうしよう。一体、どうしたらいいのだろう。
僕が願ってしまったせいであの人が死んでしまったら、僕があの人を殺したということになるのではないか。
誰もその事実を知らなかったとしても、罪が消えることにはならないのではないか。
確かにあのスーツ姿のおじさんがやったことは許されないことだ。でも、その『罪』は自らの命をもってして償わなければならないほど重いものだったのだろうか。子どもだった当時の僕にも分かる。答えは否だと。
怖くて怖くて、ご飯も満足に食べられず早々に布団にもぐった僕を、母もひどく心配していた。だから翌日、軽自動車に轢かれた男性は、奇跡的に背中や腰を強打しただけで済んだらしいという話を聞いた時は、心からほっとし、安堵のあまり涙が零れたほどだった。
だが、それで終わりではない。最悪だったのは、僕のことをどこからか聞きつけた人々が、家を訪ねてくるようになったことだ。
全く面識のない人が突然、僕の家にずかずかと押しかけてくると、耳を疑うようなことを頼んでくる。
「どうかお願いです。死んだ家族を生き返らせてくれませんか」
「おたくの息子、何でも願いをかなえてくれるんだろ? 俺の借金を帳消しにして欲しいんだけどさあ」
「……すみません。うちの会社のムカつく上司を殺してください。もう限界なんです、私がどれだけ我慢してきたか……!」
「あ? 息子にそんな力はない? 嘘をつけ! こちとらお前らの息子の噂は把握しているんだぞ! 今すぐ息子に会わせろ! でないと、お前ら両親ともども酷い目に遭わせるぞ!」
みな、それぞれ事情を抱えているのは分かる。
けれど、僕たち家族にとっては恐怖でしかない。
父も母も、〈言霊の力〉にはうすうす気づいていたかもしれないが、僕のことはあくまで普通の子どもとして育ててくれていた。だから、なおさら訳が分からなかっただろう。
両親はそういった困った客に帰ってもらうために、大変な苦労をしていた。頭を抱える両親の姿を目にし、僕自身もどれほど申し訳ない思いをしたかしれない。
その頃になって、僕はようやく〈言霊の力〉は軽々しく使っていいものではないのだということに気づいた。
〈言霊の力〉は決して魔法のような便利でお手軽な力ではないし、必ずしも人を幸せにするとも限らない。むしろ使い方を間違えば凶器にもなりかねないのだ。また、尋常ならざる力ゆえにトラブルを呼び込むこともある。それを嫌というほど痛感した。
僕は成長するにつれて徐々に〈言霊の力〉を使わないように心掛けるようになった。感情任せに言葉を発しないように気をつけるようになったし、特に大きな怒りや悲しみを覚えた時は、不用意なことを口にしないよう細心の注意を払った。
その努力の甲斐あってか、小学校を卒業する頃には〈言霊の力〉を発することはほとんどなくなっていた。
このままならきっと、平穏な生活を続けることができるだろう。僕は新たに迎える中学生活に何の不安も抱いていなかった。
けれど、最低最悪の事態は容赦なく僕に襲いかかってくる。
それは中学一年生になって二か月ほどたった頃に起こった。
僕はその日、日直だったこともあってか、社会科の先生に授業で使った教材を準備室に運んでおいて欲しいと頼まれた。教材用の壁かけ地図や、マグネットになっているカードやパネルなどだ。
大きな世界地図を丸めたものは肩に担ぐことにし、段ボールの中にぎっしり詰まった時代年表などのカードパネルや専門書は小脇に抱えることにする。全て抱えるとけっこうな重さだ。
準備室は別棟三階廊下の一番奥にあり、すぐ裏手は山になっている。何だか薄暗く、そのせいか生徒もあまり近づかない。
先生に言われた通り教材を運び込んでテーブルの上に丁寧に置くと、僕は準備室に鍵をかける。
最初はもと来た道を戻ろうと思っていたけど、準備室のすぐそばに非常階段があることを思い出した。この階段を通ると売店が近い。昼に食べるパンは早めに確保しておいた方がいいかもしれない。そう考え、僕は滅多に利用することのない階段を下りていくことにしたのだった。
階段は校舎の隅にあるため、生徒はほとんど利用しない。そのはずだったのが、二階の踊り場の方から何か荒々しく言い合いをする声が聞こえてきた。
「なんでコーラの一本も買えねえんだよ? 俺、コーラが飲みてえって言ったよな!?」
「い……いや、でも……学校の自販機にはコーラはないし、校外のコンビニまで行かないと……」
「だから行って来いっつってんだよ、今すぐ! バカかよ、この役立たず!」
「む……無茶言わないでよ。まだ学校の授業は終わってないんだし、先生にばれたら……!」
「はあ? お前の都合なんて知るかよ。俺たちは今すぐコーラを飲みてえの! とっとと行けよ、このノロマ!!」
何事だろうか。
嫌な予感を覚えつつも、身を屈めて上から二階の踊り場を覗くと、そこには四人の男子生徒がいた。みな僕のクラスメイトだ。
確か、真ん中のぽっちゃり気味の男子は堀田くんといったはずだ。どうやら、他の三人の男子が彼を取り囲んでいるらしい。
三人の名はまだおぼろげだが、とりわけふんぞり返っているのが金本という名だというのは覚えていた。クラスメイトの中でもとりわけ態度が悪く、他の生徒たちに対する言動もきつかったため、悪目立ちしていたからだ。
金本たちの堀田くんに対する威圧行為は手慣れていて、これが初めてではないことを窺わせた。つまり、金本一味は常日頃から隠れて堀田くんにいじめを繰り返していたのだ。
金本はいかにも粘着質そうで、いつもイライラしていて攻撃する対象を探している。彼の取り巻きも同様で、金本と共にいじめを楽しんでいる。彼らに関わり合いにならない方が良いのは明らかだった。
どうしよう、引き返そうか。
しかし、そう思った時には遅かった。
金本たちに取り囲まれている堀田くんと目が合ってしまったからだ。
無視して踵を返すのも何だか気まずくて、僕はそのまま階段を下りることにした。やがてすぐに金本も僕に気づく。
「……あ? 何だよ?」
金本はじろりと僕を睨む。
「……別に。でも、そういうのはやめた方がいいんじゃないかな」
そう言って僕は彼らの横を通り過ぎた。去り際に金本が舌打ちをしたのが聞こえてくる。今ので彼の機嫌を損ねてしまったのは間違いない。これは厄介なことになってしまったな。変に目をつけられなければいいのだが。
けれど、僕のその懸念はすぐに現実のものとなる。
翌日、学校に登校すると、僕の机に油性ペンでびっしりと落書きがしてあった。こうなるであろうことは予測がついていたし、犯人も見当がついている。だからそれほどショックではなかったけれど、他のクラスメイトが何事かという視線を僕に送ってくるのが少し辛かった。
それもあって、僕は当初、あまり事を荒立てるべきではないと考えた。
それに、犯人に目星はついているとはいえ、何か決定的な証拠があるわけではない。金本たちも少し経ったら飽きて嫌がらせを辞めるだろう。そう考え、しばらくは静観することにした。
ところが、金本らの嫌がらせは止まなかった。
教科書がゴミ箱に捨てられていたり、体操服が雨上がりの校庭で泥だらけにされていたり、僕に関する誹謗中傷まがいのでたらめな噂が流されていたり。一度や二度なら無視もできるが、そんなことが毎日続けばさすがに気が滅入ってくるし、腹も立ってくる。
けれど、僕はその怒りをぐっと飲みこんだ。感情的になって言葉を発してしまったら、何が起きるか分からないからだ。
僕はもう子どもじゃない。これ以上、両親に迷惑をかけたくない。何より、〈言霊の力〉など無くても僕は上手くやっていける。
そう思っていた。
ところが、自制する僕を嘲笑うかのように、陰湿ないじめは延々と続くのだった。
そんな日々が一ヶ月ほど続いたある日。
授業を終えた僕は下校するため昇降口に向かった。
僕の中学校の下足箱は扉付きだ。その扉を開くと、中にゴミがぎゅうぎゅうに詰められていて、それが一気に外に溢れ出てきた。もちろん、僕のスニーカーもゴミだらけだ。




