第二十一話 【トンネル怪談】トンネルの向こうには③
「それは絶対ありません。例の不審なメッセージを送ってくるのは、職場の同僚やママ友、上京した大学時代の親友などで、みな私と接点はあっても互いに面識はないはずですから。それにみな地元を離れて知り合った人ばかりなので、そもそもウシミトンネルの存在すら知らないはずなんです!」
僕はヒナコさんに頷きを返した。ヒナコさんの話が現実的ではないのは確かだが、さりとて彼女が嘘をついているとも思えなかったからだ。
「それでも、私が怖い思いをするだけなら大したことは無かったんです。でも……!」
ヒナコさんは手にしたハンカチを握りしめた。今や彼女の声だけでなく、ハンカチを握るその手すら震えている。
「私には娘が一人いるのですが、まだ幼いのでスマホを持たせていなくて、私のスマホで動画を見せたりゲームをさせたりしていたんです。するとある日、娘が私にこんなことを言いました。『ママ、ママのお友達からメッセージが来てたよ。なんとかトンネルまで早く会いに来て欲しいって。あなたはだれって返信したら、その人はあたしにも会いたいって言ってたよ』、と。
恐怖のあまり、私は背筋が凍りつきました。慌てて娘からスマホを取り上げたのですが、もう……手遅れなのかもしれません。それ以降、私は娘にあまりスマホを触らせないようにしました。けれど娘は、私に隠れて誰かとメッセージのやり取りをしているみたいなんです。
必ず履歴を確認するのですが、何故か娘の送受信したメッセージは全く残っていなくて……アプリを起動しているのは間違いないのですけど……」
さらにヒナコさんは切羽詰まった様子で付け加える。
「それどころか、最近は夫にまで妙なメッセージが送られてくるようになりました。それもやはりトンネルで待っている、早く来て欲しいという趣旨の内容みたいで……!」
つまり、最初はヒナコさんのみに送りつけられていた不審なメッセージが、今では全く無関係であるはずの娘や夫といった他の家族にまで届くようになっているということか。ある種の不幸の手紙のように、どんどん拡散しているのだ。
しかも他の家族はヒナコさんと違って、そのメッセージがいかに怪しいものであるかを知らない。ひょっとしたら、そのメッセージに従って勝手にウシミトンネルまで足を運んでしまう可能性もあるだろう。
それを考えると、ヒナコさんがこんなにも追い詰められている理由が分かる気がした。
彼女はウシミトンネルを恐れ警戒している。メッセージに従ってそのトンネルに近づいてはならないことを知っている。
だからこそ、何とかして家族を守りたいのだ。
ヒナコさんは自ら気持ちを静めようと幾度か深呼吸をし、再び口を開いた。
「私たち一家は何か途轍もなく恐ろしいことに巻き込まれているのではないか。この事態を放置していたら、ゆくゆくはとんでもないことになってしまうのでは。怖くなった私は実家に戻った際、母にウシミトンネルについて聞いてみました。
というのも、ウシミトンネルは見通しの悪さもあって、昔からたびたび事故が起こっていました。それもあり子どもの間では、幽霊が出るからあのトンネルには近づくなと言われていて、ちょっとした心霊スポットにもなっていたんです。
あの不可解なメッセージはウシミトンネルに異常なこだわりを見せていました。これが、その……何か尋常ならざる者の仕業であるなら、それが関係しているのではないか。私はそう考えたんです」
「お母さまは何か仰っていましたか?」
僕が尋ねると、ヒナコさんはぎゅっと唇を嚙みしめ、絞り出すような声音で話し始めた。
「母によると、むかし、ウシミトンネルのあたりで行方不明になった女の子がいるのだそうです。その子はマユちゃんというのですが、ちょっとしたことから親と喧嘩をして家を飛び出してしまいそのまま行方が分からなくなってしまったのだとか。その女の子が最後に目撃されたのが、ウシミトンネルの北側入り口だったそうです」
親との喧嘩など、ひょんなことを機に子どもが家を飛び出してしまい、そのまま行方不明になる。よくある話ではあるのだろう。その子がどうしてウシミトンネルに行ったのかは分からない。むしゃくしゃして、つい、いつもは近づかない場所に向かったのかもしれない。
「当時、地元の消防団や警察が何日も彼女を捜索したらしいのですが、結局は見つからなかった。ウシミトンネルのすぐ裏は山でしたから、そこも徹底的に探したけれど見つからず……あまりにも手がかりがないので、地元のお年寄りは神隠しに遭ったのではないかと噂したそうです。
マユちゃんは今も見つかっていません。ただ……常識的に考えると、既にこの世にはいないのではないかと私は思います」
「そんな大事件があったのに、それまでマユちゃんのことをご存じなかったのですか?」
別にヒナコさんを責めるつもりはない。ただ、失踪者が出るほどの事件や事故があったなら、普通はそのことが後々まで語り継がれるのではないかと思ったのだ。
するとヒナコさんは声を落として言った。
「多分、大人たちがわざと黙っていたんだと思います。子どもを怖がらせてしまうし、おかしな噂が立ってもいけないし。でも、それでも隠し切れず、心霊スポット化するという形で残ったんだと思います」
確かにそう判断するのも分からなくはない。狭いコミュニティではいろいろと気を遣うこともあるだろう。心無い噂を流す者もいるだろうし、子どもは本当に失踪したのか、もっと別の事件なのではないかと勘繰る者も出るかもしれない。
また、失踪事件に興味を持った別の子どもがウシミトンネルに近づいたりして、マユちゃんの二の舞になる可能性も排除しきれない。
ヒナコさんは説明を続けた。その声は先ほどより、若干、上擦っていた。
「マユちゃんは、ちょうど私と同じ学年で、けれど学校は違う子でした。ただ、母の話を聞いているうちに、その子がアカリと同じ学校に通っていたことが分かったんです。女の子が住んでいた家も、アカリの家の近くだったらしくて……その時、思ったんです。その子はひょっとしたらアカリの友達だったんじゃないかって」
「アカリさんがそう仰っていたんですか?」
「いえ、あくまで私の想像です。とはいえ、アカリは元来とても社交的で、交友関係も広かったですから、その可能性は高いと思います」
ヒナコさんは自分の考えに強い確信を抱いているようだった。ハンカチを握りしめ、前のめのりになると、瞳に異様な熱を込めてさらに訴える。
「……マユちゃんが最初に呼んでいたのはアカリでした。事実、マユちゃんからのメッセージは私よりアカリの方が先に受け取っています。ですが、マユちゃんはアカリに私という友達ができたことを知ってしまった。
……誰だって気になるでしょう? 大好きな友達に自分とは別の友人がいることを知ったら、その人がどういう人なのかって。あるいは幼い子ならこう思うかもしれません。『友だちの友だちなら、私にとっても友だちだ』、と」
それは十分にあり得る話だと思う。子どもの世界は単純だ。肩書や学歴がさほど意味を為さないぶん、大人よりも打ち解けやすく交友の輪も広がりやすい。
裏を返すと、こちらにそのつもりがなくても、些細なことで『友達』になってしまうということもあるだろう。
「つまり、ヒナコさんは一連のウシミトンネルに関するメッセージが、失踪したマユちゃんによって発せられたものだと考えているんですね? そして、マユちゃんのメッセージがヒナコさんの元に届くようになったのは、ヒナコさんがアカリさんの友人だったからだ、と」
「そうとしか考えられません。だって、他に私とウシミトンネルの接点はないんですから!」
きっぱりと断言すると、ヒナコさんは困り果てたように両手で顔を覆った。
「マユちゃんのことを知ってから、私はアカリと連絡を取ろうとしました。アカリに相談すれば問題が解決するとも思えませんでしたが、それでも、少しでも事態を打開するヒントが欲しかった。
けれど、どうしてもアカリの行方が分からないんです。SNSで検索をかけても、それらしいアカウントや情報は出てきませんでしたし、アカリの実家は引っ越しをしていましたし。
それでも、中学時代の友人に片端から連絡を取り、辛抱強くアカリを探し続けました。そして分かったんです。アカリは高校進学後や大学在学中も精神が不安定な状態が続いており、特にメッセージアプリを極端に嫌っていたと。そしてついに大学卒業後に失踪してしまい、今も全く行方が知れないのだと……!」
ヒナコさんは恐怖を露にし、声を激しく震わせた。
顔を覆った両手の指の隙間から、彼女の大きく見開かれた目がわずかに覗く。その目は極度の緊張状態に晒されているせいか真っ赤に血走っており、怯えと戦慄のせいですっかり歪んでいた。
「間違いありません。次はきっと私の番です! マユちゃんはアカリを連れて行き、次は私を引きずり込もうとしているんです! いえ、私だけならまだいい。このままではきっと、娘や夫まで巻き込んでしまう……! どうしたらいいのか分からないんです。教えてください、私は一体どうすればいいのですか? 家族のために、どうしたら……!」
ヒナコさんの説明は徐々に嗚咽交じりになり、最後にはとうとう泣き崩れてしまった。それほど、不審なメッセージに悩まされてきたのだろう。そして、アカリさんが行方不明になっていることを知ったことで、とうとう不安と恐怖が頂点に達してしまったのだ。
けれど、泣き崩れるヒナコさんに対して、僕はどうしたらいいのか分からない。
ヒナコさんの怪談は未だ決着がついておらず現在も進行しているのだ。こうして怪談を語っている間も、彼女の家族には例の不審なメッセージが送りつけられているかもしれない。
ヒナコさんの抱えた問題を解決するとしたら、二度とメッセージが送られてこないようにするしかないだろう。でも僕にはその手段がない。この世のものではない存在から贈られるメッセージを止める方法なんて、あるわけがない。
ヒナコさんを助けてあげたいのは山々だけど、僕にできるのは怪談を聞くことくらいだ。
困り果てて、僕は茜音さんに視線を向ける。
茜音さんはじっとヒナコの背中を見つめていたが、やがて文机の引き出しから筆と半紙、そして無地の茶封筒を取り出す。そしてインク壺に筆をひたすと、まっさらな半紙に何かを書き始めた。
僕の位置からは茜音さんが何を書いているか分からない。しかし、彼女がインクの乾いた半紙を折りたたむ時にその文字が見えた。
半紙の中央には美しい筆跡でただ一文字、『鬼』と記されていた。
茜音さんはその『鬼』と書かれた半紙を四つ折りにして茶封筒に入れ、厳重に封をする。そして席を立ち僕たちの方へ近づいてくると、その茶封筒をテーブルの上、ヒナコさんの目の前にそっと置いた。
ヒナコさんもそれに気づき、顔を上げる。
「……この封筒は?」
茜音さんはいつも通り、落ち着いた声音でそれに答えた。
「もし……本当に困っておられるなら、どうぞお持ち帰りください。あなたとご家族を、鬼から守ってくれます」
「鬼……?」
「ええ。人ならざる力を持ったモノたちを、私たちはそう呼んでいるのです」
「つまり、お守りということですか?」
ヒナコさんの問いに茜音さんは頷いて言った。
「鬼を退けることができるのは、鬼の力のみですから」
茜音さんのその言葉を聞き、僕は妙にどきりとした。不意に、祖母がかつて僕を諭した言葉が脳裏によみがえる。
――悠貴、心に鬼を棲まわせていはいけないよ……
一方、茜音さんはヒナコさんに向かって、茶封筒の扱い方を説明した。
「この封筒を三年間、保管し続けてください。保管場所はどこでも構いません。食器棚の奥や本棚の中、ダッシュボードの上など……できたらご家族が集まるリビングが望ましいですね。そして三年後、ヒナコさんがもう大丈夫だと確信したら、ご自身の手で茶封筒ごと燃やしてください」
「は……はあ……」
「ただ、一つだけ覚えておいていただきたいことがあります。最初から最後まで、決して封筒の中身を開けてはなりません。途中で開けようものなら、この封筒に封じた力が跳ね返ってあなたとご家族に向かいますから。そうなれば、いまよりさらに状況が悪化してしまうでしょう」
その途端、ヒナコさんは眉をひそめ、目の前の茶封筒から身を引いた。
「そ、そんな危険なもの……!」
「私にできるのは選択肢を提示することだけです。それを選ぶかどうかはヒナコさん、あなた次第です」
茜音さんの物腰は柔らかく、そしてとても静かだった。決して脅かしているわけではないし、茶封筒を押し付けているわけでもない。あくまでヒナコさんの判断に任せるつもりなのだろう。
ヒナコさんは戸惑った表情で茜音さんと茶封筒を交互に見つめていたが、やがて決意を固めたのか、低い声で呟いた。
「夫と娘の命がかかっているんだから、あれこれ言ってはいられない……!」
そして、震えながらも茶封筒を手に取る。
「……分かりました。狩森さんのおっしゃった通りにしてみます」
それでヒナコさんの怪談は終わりだった。
ヒナコさんは来た時と同じように再び薄手のトレンチコートを羽織り、肩から小さなショルダーバッグを下げる。そして、図書館の玄関まで見送りに出た僕と茜音さんに頭を下げた。
「あの……取り乱してしまってすみませんでした。それから、力をお貸しいただいてありがとうございます」
茜音さんは微笑んでそれに答える。
「いえ、怪談を話していただいたお礼のようなものですから。気にしないでください。……ただ、狩森図書館では本来このようなサービスは行っておりませんので、他言無用でお願いしますね」
「はい、分かりました」
それからヒナコさんは「失礼します」と再び頭を下げ、狩森図書館をあとにした。雑木林の奥へと歩いていくその姿は、談話室でのものと比べ、いくらか冷静さを取り戻しているように感じられた。
彼女が不審なメッセージから解放され、大切な家族と共に平穏な日常を取り戻すことがでたらいいのだけど。ヒナコさんの背中を見つめつつ、僕はそう思ったのだった。
それにしても、茜音さんがヒナコさんに手渡した茶封筒は何なのだろう。
あの半紙に書かれた『鬼』という字にはどういう意味があるのだろう。
ヒナコさんが去ってから、僕と茜音さんはいつものように一般開架室に移動した。茜音さんはいつも通り落ち着いていたが、僕は先ほどの談話室での出来事が気になって仕方がなかった。
「あの……茜音さん。さっきヒナコさんに渡した茶封筒は何なんですか? その……中に『鬼』と書かれた紙を入れていましたよね?」
遠慮がちに尋ねると、茜音さんは本棚に並べられた本の背に触れながら、何でもないことのように言った。
「ああ、あれですか。あれはおまじないですよ」
「おまじない……?」
「ええ、狩森図書館に古くから伝わるおまじないです。恐慌状態に陥った人の心を鎮める作用があると言われています」
「え……霊とか怪異を祓って守ってくれるお札じゃなかったんですか?」
てっきり、何か特別な力が宿った厄除けの護符のようなものかと思っていたのに。それがただの、自己暗示レベルのおまじないだなんて。
拍子抜けする僕に茜音さんは笑って答える。
「十代の頃は人生の中でも最も多感な時期で、ちょっとしたことでも大袈裟にとらえがちですからね。ヒナコさんはその頃のことを思い出し、少し神経質になってしまったのかもしれません。ですから心の支えになるようなものをお渡ししたんです。夏目さんも、いつも数珠をお持ちですよね? それと同じですよ」
「……! どうしてこの数珠のことを……?」
僕はどきりとし、思わず右手に嵌めた水晶の数珠を触ってしまった。
「その数珠は使い込まれていて、しかもとても古いものでしょう? ですからファッションで身につけているものではないとすぐに分かりました」
茜音さんの考察は鋭い。それに、意外と僕のことをよく見ている。
別に数珠のことを隠していたわけではないけれど、こうして面と向かって指摘され、僕は自分でも驚くくらい動揺した。何だか全てを見透かされているような気持ちになったからだ。
「で……でも、ヒナコさんのスマホにはずっと妙なメッセージが送られてきていたそうじゃないですか」
納得がいかず、つい僕は食い下がってしまった。スマホに残されたメッセージも全てただの疑心暗鬼によるものだというのか。
しかし、茜音さんの姿勢は泰然としたまま変わらない。
「携帯電話に不審なメールやメッセージが届くなんて、日常茶飯事ですよ。精神状態が不安定だったヒナコさんは、きっとそれをマユちゃんと結びつけて考えるようになってしまっていたのでしょう」
「いえ、ですが、ヒナコさんの友人、アカリさんは行方不明にまでなって……!」
「それもきっとただの偶然です。アカリさんが失踪したのは本当の事でしょうけれど、マユちゃんやヒナコさんに関係があるとは限らない。むしろ海外など、どこか遠くで元気にしているかもしれません。単に連絡が取れないというだけで」




