第二十話 【トンネル怪談】トンネルの向こうには②
アカリからだろうか。私は慌ててスマホを取り出しました。
しかし、発信者はアカリではなく、私の母でした。その時、初めて私は親に無断で家を飛び出してきたことに気づいたんです。
今はアカリのことを優先したいと思ったのですが、両親を心配させるのは良くないと考え直し、私は母からの電話に出ました。すると、母は慌てた様子で私に言ったんです。
「ヒナコ、あなた今どこにいるの? アカリちゃんが交通事故に遭って病院に運ばれたそうよ!」
……と。母によると、アカリが事故に巻き込まれたのは、私がアカリに会うため家を飛び出す二時間ほど前……つまり私とアカリが映画を見終わり、電車で最寄りの駅に戻って別れたその後、しばらくしてからだそうです。
「アカリちゃんは事故の際にスマホを紛失してしまったそうよ。だからアカリちゃんのお母さんから家にある固定電話の方に連絡があったの。ついさっきのことよ」
母はさらにそう付け加えました。それを聞き、私の頭が真っ白になったのは言うまでもありません。
アカリは二時間も前にスマホを無くしている。それなら、二十分前に私のスマホに届いた彼女からのメッセージは一体、誰が発したものだったのでしょうか。
ひょっとして、アカリとは全く関係のない別の誰かが、私をウシミトンネルに誘い出そうとしているのでは……。
真っ先に考えたのが、いま自分は犯罪に巻き込まれようとしているのではないかということです。
アカリのスマホは事故の騒ぎに紛れて行方が分からなくなったということでしたが、ひょっとしたら誰かがそのスマホを拾ったのかもしれない。その拾い主が良からぬ大人で、アカリのふりをして未成年を人けのない場所へ誘い出し、何かいたずらをしてやろうと考えたとしてもおかしくはありません。
それに気づいた瞬間、全身からさあっと血の気が引いていきました。
目の前には先ほどと変わらず、ウシミトンネルの南側入り口が薄明かりに照らされて、ぼんやりと浮かび上がっています。相変わらず薄気味悪い光景ですが、その時の私はそれに加えて言い知れぬ恐怖を抱いていました。
トンネルの南側入り口の中は真っ暗で、北側の出入り口がどうなっているのかは全く分かりません。そのぽっかりと開いた黒い空洞の向こうで、誰かが今も私が来るのを待っているのかもしれない。そう想像しただけで、気持ち悪さと恐ろしさで全身に鳥肌が立つのを覚えました。
不安のあまり、自転車のハンドルをぎゅっと握ったその時。再びスマホからメッセージが着信を告げました。
恐るおそるスマホを確認すると、アカリのアカウントから私向けに次々とメッセージが発せられてきたんです。
『ねえヒナコ いつ来てくれるの?』
『ずっと待ってるのに』
『早く会いたいよ』
『急いで』
『私を助けてよ』
『ねえ 早く』
『早くしてよ』
『早く』
『早く』
『早く』
『いま どこにいるの?』
……そういった、私を急かす短文のメッセージが一気にだーっと押し寄せてきて、途中からはもはや目で追えないほどでした。少なくとも、五十件以上はあったと思います。
私は恐怖のあまり、ヒッと小さく悲鳴を上げました。だって、そんなに大量のメッセージが一気に届くなんて、どう考えても普通じゃありません。
それと同時に、私はメッセージを送っているのがアカリではないと確信しました。そういう、一方的にいくつものメッセージを送りつけるのは、彼女のやり方ではなかったからです。
間違いない。アカリのスマホを持っている知らない誰かが、ウシミトンネルの向こうで私を待ち構えている。
その何者かがトンネルの暗闇の向こうから今にも姿を現しそうで、私は震え上がりました。
メッセージの相手がアカリではないなら、その場にとどまる理由もありません。私はアカリのメッセージアプリのアカウントをすぐさまブロックすると、スマホを服のポケットに突っ込んで急いで家に戻りました。
自転車を漕ぎ、家に向かう間も怖くて怖くて仕方なかったです。ひょっとしたら、誰か後ろから追いかけてくるんじゃないか。そう考えると、生きた心地がしませんでした。
何事もなく家に辿り着いた時は、安堵のあまり腰が抜け、玄関先で座り込んでしまいました。母が、「ヒナコ、あなたどこに行っていたの?」と驚いていたことを覚えています。
本当に怖い体験でした。いま思い出しても背筋が寒くなります。
もし途中で道路の窪みに自転車のタイヤを取られることなく最短でウシミトンネルに辿り着いていたら、私はきっと母からの連絡が来る前にトンネルの北側入り口に到着していたでしょう。
スマホでメッセージを送っているのがアカリだと信じ、他の誰かであるかもしれないなどと疑いもせず、良からぬ何者かの餌食になっていたかもしれません。
そうしたら、今ごろ私は生きていなかったでしょう。
私は寸手のところで恐ろしい犯罪に巻き込まれずにすんだのです。
※※※
僕は息を詰め、ヒナコさんの話を聞いていた。
今の僕と当時の彼女の年齢が近いこと、そしてスマホという身近なツールが出てくること。それらのせいか、ヒナコさんが語る光景をリアルに思い浮かべることができた。
「それは怖い思いをされましたね。アカリさんのスマホが知らぬ間に全く別人の手に渡っていて、その人物がアカリさんに成りすましてヒナコさんを誘い出そうとしていたなんて……。どう対策すればいいのか、有効な手立てがないという点が余計に恐怖を誘いますね」
「はい。実際、私が無事でいられたのもほとんど運のようなものです」
「ただ……失礼を承知でお尋ねするのですが、これは怪談とは少し違うお話なのでは……?」」
すると、ヒナコさんの顔はみるみる青ざめていく。そして、最初のいやに張り詰め緊張した面持ちに戻ってしまう。その様子から、僕は悟った。
「すみません、僕の早とちりだったようです。この話には続きがあるのですね?」
ヒナコさんは小さく頷く。それからテーブルを見つめ、肩を小刻みに震わせつつ何度も大きく息を吸っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「それから数日後、私は学校でアカリと再会しました。彼女は事故で足を骨折したらしく、松葉杖をついていました。命にかかわる傷ではないようでしたが、完治するのに二か月はかかるひどい骨折だったようです。青春時代の一ヶ月は大人の一年にも等しいですから、とても痛々しくて可哀想でしたね。
また、アカリはそれまで持っていたものとは違う、新しいスマホを持っていました。アカリが事故でスマホを無くしたという話は本当だったのです。彼女の両親が事故現場で相当、探したそうなのですが、以前使っていたスマホは最後まで見つからなかったようです。
やはりあの日の夜、私のスマホに送られてきたメッセージはアカリのものではなかった。私はその事実に戦慄するとともに、難を逃れることができたことに改めて感謝しました。これで全て終わったのだ、何もかも今まで通り。……私はそう楽観していました。けれど、事はそれで終わりではなかったのです」
話を続ける間も、ヒナコさんの顔色はどんどん悪化し、呼吸も粗くなっていく。
僕は茜音さんの方をちらりと見た。茜音さんも羽ペンを動かす手を止め、ヒナコさんの背中を見つめている。彼女もまた、ヒナコさんの身を心配しているようだった。
僕は慎重にヒナコさんに声をかける。
「あの……ヒナコさん。少し休憩にしましょうか?」
「いえ、このまま話をさせてください。一刻も早く楽になりたいんです」
それほど深刻な事情を抱えているのか。さすがに僕の背中にも緊張が走る。ヒナコさんの様子を探りながら、僕は質問を重ねた。
「先ほど、それで終わりではなかったと仰いましたね。何があったのか、お伺いしてもいいですか?」
ヒナコさんは首を縦に振ると、深呼吸を一つして答えた。
「最初の異変はアカリでした。私は、アカリは新しいスマホに替えても、アカウントは以前のものを使い続けるだろうと思っていたんです。だから、これまでと同じように彼女とやり取りできるだろう、と。ところがアカリは、新しいアカウントを作ると言い出しました。そして、そのアカウントを私には教えてくれなかったんです」
「それは……確かに妙ですね。アカウントを替えるのはともかく、それを友人のヒナコさんに教えないなんて。まるで、ヒナコさんと距離を取りたがっているみたいだ」
「実際、アカリはそれ以降、徐々に私から離れていきました。私と関わることを避けたがっているというか……どちらかというと私に対して何か怒っているみたいで。何度か理由を尋ねたのですが、その時は答えてもらえませんでした。
やがてアカリは他のクラスメイトと仲良くするようになり、私とは口も利かなくなりました。仕方がないので、私も他の女子グループと教室で過ごすようになりました」
「そうなんですか……ショックじゃなかったですか? そんな形で友人と疎遠になってしまうと、人によっては心の傷になるんじゃないかと思うのですが」
「ショックでしたよ、当時は。それはもうショックでした。でも、他人の心変わりは自分の力ではどうしようもないですからね。せめて理由が分かれば対処のしようもあるんですが、アカリはそれを教えてくれませんでしたから、仕方がありません」
ヒナコさんは一瞬、途方に暮れたような表情をした。アカリさんの対応がいかに取り付く島もなかったか、よく伝わってくる。しかし、アカリさんはすぐに真顔に戻って続けた。
「けれど、アカリが私から離れていった理由はしばらくして分かりました。アカリの骨折が治ったころ、彼女が私に向かって一方的に怒鳴ってきたことがあったんです。『もういい加減、気持ちの悪いメッセージを送ってくるのはやめてよ!』、と。
最初は何のことだか分かりませんでした。彼女は以前のアカウントを消去し、新しいアカウントに変更してしまったため、アカリの新しいアカウントを知らず、グループにも招待されていない私が彼女に個人的なメッセージを送れるわけがありません。
ところが、アカリは私の主張には全く耳を貸しませんでした。それどころか、そもそも交通事故に遭ったのも私のせいだと言うんです」
「それはどういうことなんですか? ヒナコさんはアカリさんの事故現場に居合わせたわけではないんですよね?」
「アカリが言うには、あの日、私と映画を見て別れたあと、しばらくして私からメッセージが届いたというんです。『親とケンカした』、『もう家に帰りたくない』、『助けて』。そして、『ウシミトンネルの北側入り口で待ってる』……と」
「それって……!」
僕が驚き目を見開くと、ヒナコさんも強張った面持ちで頷いた。
「ええ。私がアカリから受け取ったメッセージの内容とほぼ同じです。もちろん、私はそんなメッセージなど送っていません。あの日は親と喧嘩なんてしていませんし、夕飯も家族一緒でした。けれど、それをどれだけ説明しても、アカリは全く聞いてくれないんです。
アカリによると、彼女は私からのメッセージを受け取り、慌てて自転車に飛び乗ってウシミトンネルに向かったそうです。ところがその道中、何度もしつこく私からのメッセージが届いたのだとか。『早くして』、『いつになったら来てくれるの?』、『待ってるのに』、『もう何もかもイヤ』、『死んでしまいたい』……。
アカリは私を心配し、メッセージが来るたびに自転車を止め、『落ち着いて』、『早まっちゃダメだよ』と、励ます返信をしていたそうです。ところが、スマホのメッセージを気にするあまり注意が散漫になり、事故に巻き込まれてしまった……どうやらそういうことのようでした」
つまり、アカリさんも最初はヒナコさんを心配し、助けようとしたのだろう。けれどそのせいで彼女は事故に遭ってしまった。少なくとも、アカリさんにとってはそれが真実なのだ。
アカリさんが病院に運び込まれた後に、ヒナコさんが家出などしていないことを知ったなら、彼女は余計に憤っただろう。ヒナコさんの悪質な嘘に騙されたのだと。
「……念のために伺いますが、ヒナコさんのアカウントが何者かに乗っ取られたとか、そういうことではないんですよね?」
するとヒナコさんは、はっきりとそれを否定した。
「メッセージアプリも私のアカウントも、何も異常は無かったのでそれは無いと思います。そういったメッセージは一つも送っていない……アカリに何度も説明しようと思ったのですが、彼女の剣幕はあまりにも激しく、落ち着いて話ができる状態ではありませんでした。
それどころか、アカリが言うには今も彼女のスマホに私のメッセージが届くのだそうです。『早く来て』、『一人はさびしい』、『私のこと 嫌いになった?』、『何で返事をくれないの?』、『こっちに おいでよ』……何度ブロックしても、何故か私からのそのメッセージはアカリのスマホにしつこく表示されるのだそうです。
その内容もだんだん過激化してきて、最近では『早く来いよ』、『無視すんなよ』、『これだけ頼んでるのに なんで来ないんだよ』、『呪ってやる』、『今から 迎えに行くからな』、『ぜったいに にがさない』……といった、悪意のあるものに変わっているみたいで……」
それを聞き、僕はぞっとした。もし、誰かからそういったメッセージを送りつけられたとしたら。それがどんな関係の相手だろうと嫌悪感が湧くだろうし、場合によっては絶縁すら考えるかもしれない。それほどの異常な内容だ。
それなのに、どんな人物かも分からない相手からそんなメッセージが大量に送りつけられてくるなんて。
「それは……確かに気味が悪いですね。アカリさんでなくともパニックになりそうです」
ヒナコさんも小さく頷いた。
「私もアカリは怒っているというより、追い詰められて取り乱しているように見えました。けれど、彼女のアプリに送られてくるメッセージと私は何の関係もないので、どうすることもできません。
……結局、アカリの私に対する誤解は解けることなく、そのまま私たちは疎遠になってしまいました。彼女と私は中学卒業後、別々の高校に通い、さらに大学の進学先もそれぞれ別の県外だったため、それきりです。アカリがいま、どこで何をしているかは分かりません。
ただ……アカリは最後まで私を恨んでいるようでした。今も……元気にしているといいんですけど……」
あまりにも呆気ない友情の終わり。でも、そういうものかもしれない。どれだけ仲良くしていた友人でも、クラス分けや学校の卒業を機に全く会わなくなるなんて話は珍しくない。
ただ、ヒナコさんは決してアカリさんを恨んでいるわけではなく、むしろ心配し、同情しているように見えた。
「それは何とも後味の悪い結末ですね。それにしても、例のメッセージは一体、誰が発したものだったのでしょう?」
僕が口にした瞬間、ヒナコさんの表情はさらに険しくなった。緊張のあまりか右目の下瞼がぴくりと引き攣ったほどだ。
「それは……分かりません。そもそも私は、アカリのこともそのメッセージのことも、つい最近まで忘れていたんです。私は大学進学を機に地元を離れていましたし、大学卒業後も就職、結婚などさまざまなことを経験していましたから」
言い終えるや否や、ヒナコさんは突然、膝に置いた小さなショルダーバッグに手を突っ込んだ。そこから取り出したハンカチを握りしめると、口元に押し当て激しく声を震わせる。
「……でも最近、スマホのメッセージアプリに妙なメッセージが紛れるようになったんです。『ねえ いつになったらこっちに来てくれるの?』……と」
談話室は静まり返った。既に五月にさしかかっているのに、冷やりとした空気が足元から這い上がって来る。
「最初にそのメッセージが届いたのは、大学時代からずっと親しくしている友人からでした。何のことかと思って尋ねると、彼女はそんなメッセージは送っていないと言うんです。他にも別の友人や知人のアカウントで似たようなメッセージが届きました。『どうして来てくれないの?』、『ずっとずっと待ってるのに』、『私たち友達でしょ? なんで無視するの?』、『早く来て ウシミトンネルの北側入り口で待ってるから』……そういった内容のものです」
「それは、中学生の時のヒナコさんやアカリさんに送られてきた……?」
「ええ。私はその時、地元を離れてから初めてウシミトンネルのことを思い出しました。……どうして今になって。全て終わったことだと思っていたのに。でも、ウシミトンネルにいる誰かは、今も私が来るのを待っているんです……!」
そんな馬鹿な。僕はそう思わずにはいられなかった。
ヒナコさんのスマホに初めて『ウシミトンネルの北側入り口で待ってる』というメッセージが届いたのは彼女が中学生の時だ。そのメッセージの送り主はそれ以後もずっとウシミトンネルでヒナコさんを待ち続けているというのか。
そんなのあり得るはずがない。
「その……ヒナコさんの友人や知人が、いたずらをしているという可能性は無いのでしょうか?」
すると、ヒナコさんは激しく首を横に振った。




