第二話 【サークル怪談】路傍のカカシ②
肝試しが始まってから、十分ごとにチームが合宿所を出発していって……最後に俺たちの番が来た。
男二人、女二人で渡された懐中電灯を一つ持ち、真っ暗な田舎道を進んでいく。
道路の歩道には草が生え放題で、木の枝も道路をすっぽり覆うほど茂っている。車もほぼ通らない。ルートは一本道だから迷うことは無かったけど、かなり不気味でさ。俺たちはおっかなびっくりで進んでた。
全ルートの半分くらいまで来た時かな。
それまで道は辛うじてアスファルトで舗装されていたんだけど、とうとうそれすらなくなってしまって、剥き出しの地面に自動車の轍が残るだけの林道になってしまったんだ。
おまけに、どこからか生ぬるい風も吹いてきて……それがもう形容しがたいほどの生臭さだった。何と言っていいかよく分からないけど、背筋がぞっとするというか……すごく嫌な感じがして、俺は一刻も早くこの場を立ち去りたいと強く思った。
それまでは不気味に思いつつも何だかんだ肝試しを楽しんでいたけど、その辺りだけは洒落にならない、冗談抜きで一刻も早くこの場を離れなければって、焦燥感にすら駆られていたんだ。
他の三人もそれは同じだったのかもしれない。つい先ほどまで、「怖いね」とか、「何かいかにも出そう、妖怪とか」って喋っていた女子たち……花井さんと川村さんも急に黙り込んでしまったし、二年の男子の先輩……山本先輩の歩くスピードも心なしか少し上がっていたような気がする。
とにかく、あの時の俺は焦っていたんだろうな。
空気の重苦しさや気味の悪い寒気、それに何より、どこからともなく漂ってくる鼻を覆いたくなるほどの悪臭。それらから逃れたい一心で足元の注意が疎かになっていた。
そこにこぶし大ほどの大きな石が転がっていることに気づかず、思いきり踏みつけてしまい、足を大きく捻ったんだ。
あの時のことははっきりと覚えている。ぐぎって嫌な音がするのが自分でもよく分かった。
「あ、痛っ! いってぇ……!」
思わずしゃがむと、山本先輩や他の女子たちがそれに気づいて駆け寄ってきた。
「三浦、どうした?」
「大丈夫?」
「何か……石を踏んで足挫いたみたいで……!」
「本当か、歩けそうか?」
「いや……これ、すげえ痛いです、ちょっと無理かも……!」
俺がデニムパンツの裾をまくって傷の具合を確認しようとすると、女子たちが懐中電灯で足首を照らしてくれた。
「わ、本当だ。けっこう腫れてるね」
「すごく痛そう……。座っていた方が楽になるよ、きっと」
「うん、そこに岩があるから座りなよ」
しばらく経ったら痛みが引いてくるかもしれない。そう思って岩に座り様子を見ることにしたんだけど、痛みは弱まるどころかどんどん強くなって、足首もパンパンに腫れてきて。あんまり痛いんでとうとう助けを呼ぼうということになったんだ。
だけど、何故かその時、肝心のスマホに異常が起きた。
「あれ……スマホが通信圏外になってる」
最初に気づいたのは山本先輩だった。
「あ、本当ですね」
「ここ、田舎だからかな」
「でも、おかしくないか? 昼間は確かにつながったぞ。昼と夜でそんなに通信圏が変わるものか?」
思えば、あの時から嫌な感じはあったんだ。何か普通とは違うことが起きているって。でも俺は、その事実を認めたくなかった。きっと無意識のうちに、それを認めると現実になってしまうんじゃないか、何がなんでもそれは避けたいって考えたんだ。
俺が認めようと認めまいと、何も変わらないのに……場の空気に飲まれ、判断力まで鈍ってしまったのかもしれない。
とにかく、俺は自力で歩けないし連絡もつかない。そこで四人で話し合った結果、仲間が他のサークルメンバーを呼びに行ってくれることになった。
俺たちの順番がもっと早かったら、十分ほど待てば肝試しに出た後続のチームが追いついてきたかもしれないけど、あいにく俺たちのチームは一番最後。つまりいくら待っても助けは来ない、こちらから助けを求めないと、誰も来ないということだ。
話し合いの結果、女子二人が懐中電灯を持って合宿所に戻り、俺のそばには二年の山本先輩が残ってくれることに決まった。
あの時、俺は心からほっとしたんだ。合宿所には主催者や幹事が借りたレンタカーがあったからさ。ああ、これで助けが来てすぐに合宿所に戻れるんだって、そう信じていた。
その時もまだ、鼻が曲がりそうになるほどの悪臭は続いていて、それが生ぬるい不気味な風でひたひたと吹きつけられて……できるだけ早くここから離れたい、早く、一刻も早くって、それしか考えられなかった。
でも、待っても待っても助けは来ない。
肝試しのコースはゆっくり歩いても二十分ほどで、俺たちは既に十分は歩いていたから、女子が移動した十分と迎えに来る車の五分を合わせても十五分あれば既に到着しているはずなのに、二十分待っても三十分待っても、何の音沙汰もないんだよ。
付き添いをしてくれた山本先輩も妙だと感じ始めたようだった。
「えらく遅いな。何やってるんだろうな?」
「ひょっとしたら道に迷っているのかもしれないですね。慣れない場所だし、夜道で暗いし……」
「ううん……そうかもしれないが……事前に聞いた話ではこの肝試しのコースは一本道だそうだぞ。遭難したり事故を起こしてはいけないから、複雑な道は選ばなかったと」
「そ……そうですよね」
「しかし、これだけ遅いとなると、何かがあったのは間違いなさそうだ。俺は少し様子を見てくる。三浦、一人で待てるか?」
「俺は大丈夫です。すみません、山本先輩の方こそ気をつけて。花井さんと川村さんのこと頼みます」
本当は不安で仕方なかったけど、そんなこと言えるわけが無かった。ただでさえ俺が足首を捻挫したせいでみんなに迷惑かけてるんだし、いくら不気味な田舎道だとはいえ大学生にもなって「怖いです、置いて行かないで」なんてあまりにも格好が悪すぎる。
だけど、いざ山本先輩がいなくなって暗闇の中で一人きりになると、もう心細くて仕方なかったよ。
林道は相変わらず車の一台も通ることは無く、自分の他には人どころか生物の気配もない。
底なし闇の途方もない濃さ、そして無限に広がる静けさに呑み込まれそうだった。
何より、未舗装路である林道に足を踏み入れてからずっと風に混じって流れてくるあの生臭い匂いがどんどん強くなってきて、その時にはもう吐き気を催すくらいの酷さだった。
何ていうか……水場と草木や土とか、そういう自然のにおいじゃない。少し獣っぽいというか、何かの肉が腐ったような強烈な臭いだった。
その時、思いついたんだ。これ、ひょっとしたら動物の死骸の臭いなんじゃないかって。
これまでペットや動物を飼ったことは無かったかし、触れたこともほとんどなかったから確信は持てなかったけれど、そう考えついたらどんどん気持ち悪さが増して、吐き気も強くなって……心臓の鼓動も跳ね上がるように速くなっていった。
おまけに耳を澄ますと、ぴちょん、ぴちょんと、奇妙な音がする。ちょうど水道の蛇口から水滴が滴るような音が。
とても小さいけど、そういうのって一度、気になりだしたら何故か不安になって落ち着かなくなるだろ?
まさにそういう状況だ。
足は動かないけど平静ではいられなくなって、本当にその場にじっとしていられなくて……まずは落ち着かなきゃ、冷静にならなきゃと考えた。
その瞬間、ふとあることを思いついたんだ。そうだ、通信は圏外でもスマホのライトは使えるはず。周囲が真っ暗で何も見えないから恐慌状態になってしまうんだろう。周りの様子を目で見て把握することができるようになればきっと大丈夫だ、と。
そしてデニムパンツに突っ込んでいたスマホを取り出し周囲を照らしたんだ。
その時、突如、静寂が破られた。
背後から不意に声をかけられたんだ。
「おやまあ……あんた、この辺の子じゃないね。どこから来たんだい?」
そりゃもう、驚いたのなんのって。
まさかすぐ後ろに誰かいたなんて、思いもしなかったからね。
周囲には民家の一つもない荒れ果てた林道だったし、人が出歩くにしてはかなり遅い時間帯でどう考えても不自然だったけど、まあ俺もその点は他人のことをとやかく言える立場じゃない。違和感はありつつも、もしかしたら近所の人かなと思って振り返った。
そして後ろをスマホライトで照らしたんだ。
すると……。
そこには首が異様に折れ曲がった女が立っていた。
髪を振り乱し、目もぎょろりとしていて、口は耳まで裂けている。尋常ではないほど痩せていて、頬がげっそりとこけ、目も落ち窪んでいたし、肌も暗闇に浮かび上がるくらい生白くて……。
おまけに暗闇でライトを当てたせいか、陰影がくっきりとしていて、気持ち悪いくらいに不気味だった。まさに幽霊そのものさ。
それに輪をかけて気味が悪かったのは、そのポーズだ。女は両手を広げ、いまにもこちらへ抱きつこうとしているような格好をしていた。
俺は驚きと恐怖で体が固まってしまって、返事の一つさえろくにできなかったよ。
そんな、ただ眼を見開くばかりの俺に、女はニタリと笑いかけたんだ。
「ねえ、あんた。暇ならあたしの下半身を一緒に探してよ」
そう言われて、俺は初めて女の腰から下に視線を落とした。
女の下半身はさ、その……無かったんだ。
腹の辺りから下が無くて、体が宙に浮いていたんだ。
しかも刃物とかで切断されたような、すぱっとした傷口じゃない。何かに肉が引きちぎられ、ぼろぼろになっていて、中から臓物がこぼれ落ちている。その贓物に絡んで大量の血も滴り落ちていて……ぴちゃん、ぴちゃんと音がするんだ。
俺はその瞬間、悟ったよ。さっきから漂ってきていた、鼻がもげそうなほどの生臭いにおいは、女の臓物から発せられていたんだって。さっきから聞こえていた水音も、血が滴る音だったんだ。
「ねえ、あんた。あたしの体、どこかで見なかった? 無いんだよ。あたしの体……探して、一緒に探してよぉぉ……!」
「あ……あ……、うぁぁあああああああ!!」
さすがに恐怖が限界に達し、俺はその場から逃げ出した。動かない足を引きずり、何度も転倒して体じゅう傷だらけになったけど、そんなことに構ってはいられない。脇目もふらず死に物狂いで真っ暗な林道を走り続けた。あまりの恐ろしさで、痛みはどこかに行ってしまった。
「誰か……誰か! 助けてくれ! 誰か……!!」
どれだけ走ったか、自分でもよく覚えていない。とにかくがむしゃらに進んで、ようやく合宿所が見えてきて……サークルメンバーの顔を見た時は心の底からほっとして腰が抜けたよ。ああ、俺は助かったんだって、心からそう思った。
不思議なことに、サークルのメンバーは俺の怪我のことを全く知らなかったんだ。それどころか、山本先輩はもちろん、花井さんや川村さんもまだ戻っていないって言うんだよ。
事情を説明したら、慌てて幹事が車を出して三人を探しに行った。ほどなくしてみな戻ってきたよ。三人とも特に怪我とかはしていなかった。どうやら三人揃って俺の助けを求めに行ったまま、道に迷ったそうなんだ。
でも、そんなの変だよな。だって俺はあんなわけの分からない体験をして錯乱状態になったのに、特に迷うことなく合宿所に戻ることができた。
そもそも、肝試しに選ばれた林道は一本道で、脇に逸れるような道もなかったはずなのに……。
とにかく気味の悪い夜だったし、足は痛くて最悪だし、合宿所に戻った後もろくに眠れなかった。けど、全員無事に戻って来れたんだから取り敢えずはそれで良しと思うことにしたんだ。
……でも、この話には続きがあるんだよ。
※※※
「続き……ですか」
僕が口にすると、三浦さんは大きく頷いた。
「ああ。翌日は合宿の最終日で、サークルメンバー全員で荷物の運び出しを行っていたんだ。俺も足を痛めていたけど、できることを手伝った。すると、合宿所を出たところにある例の林道の入り口で、地元の人と思しき女性が作業を行っていたんだ。前の日の晩のことは脳裏にこびりついていたし、その林道には近づきたくもなかった。でも、どうしても気になってその女の人のところまで歩いて行ったんだ。そうしたら、その人は案山子を設置しているようだった。しかも、かなりリアルな等身大の案山子を」
「カカシ……そういえば、田舎では等身大のカカシを作って設置することがあると聞いたことがあります。まちおこしの一環などで」
「そう、多分そういう感じなんだと思う。それで、その案山子というのが、首が異様に折れ曲がっていて目はぎょろり、口も驚くほど大きくて、何より腰から下が無かったんだ」
僕は目を見開く。
「それって……三浦さんが肝試しの時に見たという女性の特徴と全く同じですね」
「ああ、俺もそう思ったよ。ひょっとして昨夜の恐怖体験の正体はこれじゃないかって。だから、確認のためにもその地元の女性に聞いてみたんだ。何をしているんですかって」
三浦さんによると、その地元女性はこう答えたそうだ。
『ああ、手作りの案山子を設置してるのよ。まちおこしというほどのものでもないけど、少しでもこの辺りに活気が出たらと思ってね。……ふふ、これね、よくできてるでしょ? 足まで作る余裕がなくて、顔と胴体だけになっちゃったんだけどねえ』
「……それを聞いて、もう心底ほっとしたよ。要するに俺、肝試しの夜は自分で思っていた以上に混乱していて、気が動転していたんだ。道端に飾ってある案山子が喋っているように感じるくらいに。そういえば、あの下半身のない女は不自然に両手を広げていた。あの時はこちらに抱き着こうとしているんだと思ったけど、冷静になって考えてみたら案山子と全く同じポーズだったんだ。女の体が宙に浮いているように見えたのも、案山子だったなら説明がつく。つまり怪異なんて何もなかった。全部、俺の勘違いだったんだ。なーんだ、ああ良かった。……すっかりそう安堵していたんだけどね。例の地元の女性が発した一言で俺は凍りついた」
三浦さんはその時のやり取りを明かす。地元女性はこう言ったそうだ。
「この案山子ね、今朝、設置したばかりなのよ。まだ新品でしょう? どうかしら、みなに楽しんでもらえたらいいのだけど」
当然、三浦さんはそれに驚く。
「え、今朝? 新品……? でも俺、昨夜、そこの林道の奥でこれと似たような案山子を見ましたよ」
そして肝試しを行ったことや足を挫いたこと、それから経験した不気味な体験の一部始終を女性に説明したそうだ。
しかし彼女は首を捻るばかりだったという。




