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第十九話 【トンネル怪談】トンネルの向こうには①

 ――夏目、お前ムカつくんだよ。優等生ぶりやがって。

 

 うるさい……


 ――夏目くんが悪いんだよ、余計なことをするから! 僕の気持ちも知らないくせに!


 うるさい……黙れよ。


 ――そういえば、夏目くんって小学生の頃、ちょっとした有名人だったんだよ。何でも、夏目くんに願えばどんな望みでも叶えてくれるんだって。


 ち……違う、それは……! 


 ――何か夏目くんってさ、怖いっていうか……気持ち悪いよね、ぶっちゃけ。



 はっと目を見開くと同時に、僕は飛び起きた。プールにでも飛び込んだみたいに、全身、冷汗でずぶぬれだ。マンションの部屋はまだ暗く、時計を見ると午前五時になったばかりだった。


 僕はしばらく肩で息をしていたが、落ち着いてくると再びベッドに仰向けになって寝ころんだ。


(何で、今さら昔の夢なんか……)


 理由は分かっている。それは僕がまだあの事件を引きずっているからだ。


 怪異や心霊現象なんて存在しない。どれだけそう否定しても、中学生の頃の忌まわしい過去が消えてなくなるわけじゃない。


 重たい憂鬱がのしかかってきて気分が塞いだ。もう何もしたくない。学校に行くのすら億劫になってくる。


 そういう時、僕は祖母のくれたお守りの数珠を握りしめる。いくつも連なった透明な水晶玉は、触れると冷やりとしていて、徐々に気持ちが落ち着いてくる。


「……大丈夫、僕はもう昔の僕じゃない。高校ではうまくやれているし、それに……今日は狩森図書館でのアルバイトもある。茜音さんに会えるんだ」


 茜音さんの姿を思い浮かべると憂鬱な気持ちが少しずつ晴れていく。


 一般開架室で茜音さんと一緒に過ごす時間は、僕の一番の楽しみとなりつつあった。それに、最近は怪談の聞き手役もずいぶん慣れてきたと思う。


 確かに過去には辛いこともあった。でも今はそれを乗り越えつつあるのだという実感がある。


 だからこそ、ここで負けたくない。これまでの努力を無駄にしたくない。


 少し早いけれど、僕は登校の準備を始めることにした。




 学校の授業が終わったあと、僕は自転車に乗って狩森図書館に直行した。重厚な扉を開けて中に入ると、いつものように大声で呼び掛ける。


「こんにちは、夏目です」


 狩森図書館は全体的に天井が高いせいか、とにかく音がよく響く。僕の声もエコーになるほどだ。


 しかし、図書館の館内からは何も反応がなく、しんと静まり返っている。いつもならすぐに茜音さんが顔を出してくれるのに。


「あれ……茜音さん、出かけているのかな?」


 取り敢えず一般開架室に向かおう。そう考え、玄関のすぐそこにある階段の前を通りかかった時だった。二階の方からパタパタと足音が聞こえてきた。子どもが小走りに走るような音だ。


(誰か……いる? 来館者かな、珍しい)


 何となく気になって、二階に上がってみた。ちなみに茜音さんからは、二階や三階には自由に出入りしていいと言われている。例外なのは地下部分だけだ。


 木製の立派な手すりがついた怪談をゆっくりと上っていく。途中に踊り場があり、そこから直角に折れ曲がっている。


 狩森図書館の二階は会議室や学習スペース、資料室などで占められていた。


「あの……すみません。誰かそこにいるんですか?」


 廊下から声をかけてみたが、返事はない。ただ自分の声が恐ろしいほどよく響き渡るだけ。


 さらにそれぞれの部屋の扉を開け、中を覗いていく。けれど、やはりどの部屋もしんと静まり返っており、無機質な雰囲気が漂っていた。


 椅子や机、あるいは棚や木製の回転黒板など、それぞれの部屋にさまざまな設備や調度品があり、全て手入れが行き届いている。ただ、どれもこのところ使用された形跡がない。どの部屋もあまりにも整然とし過ぎているのだ。


 そして事実、長いこと人が立ち入っていないのだろう。一つ一つの部屋をくまなく探したが、どの部屋にも人影は無かった。


 ついでに三階にも足を運んでみる。先ほどの足音の主が三階に上がった可能性もあるのではと思いついたからだ。


 三階は神御目(かごめ)市の地形図、住宅地図、古地図、郷土史といった資料を収めている所蔵資料室や展示コーナー、または大型図書を収蔵したコーナーになっている。特徴はそのほとんどが神御目(かごめ)市に関するものだということだ。利用者が少ないとはいえ、狩森図書館は地域に密着することを大切にしているのだろう。


 しかし、やはり三階も無人だった。あちこち隅々まで探しても、誰もいない。


「……。気のせい……だったのかな」


 二階も三階もどことなく停滞感があり、ひっそりとしている。まるで時の流れに取り残されたようだ。一階以上に人の気配が感じられない。


 長居しても仕方がないので、僕は三階から降りることにした。


 ところが二階に下りる階段の途中で、再び三階の方から足音が聞こえてくる。やはり、パタパタと走る子どもの足音。それと同時に、微かにくすくすと笑う声。


 三階には誰もいなかったはずだ。三階は非常にシンプルな造りになっていて家具や調度品もほとんどなく、他に誰かが隠れられそうな場所も無かったから間違いない。


(この間、地下階段に向かって走っていったのと同じ子かな)


 最近、僕は気付きつつあった。この狩森図書館はどこかおかしいということに。


 たとえば今みたいに、誰もいないはずの二階や三階から足音がする。時には誰かが話す声もする。しかし、実際に二階や三階に行ってみると誰もいないのだ。


 また、無人のトイレから水が流れる音が聞こえてきたり、やはり誰もいない事務室で、ばたんと何かが閉まる音がしたり。そういった怪奇現象は枚挙にいとまがないほどだ。


 僕はそういった心霊現象的なものは基本的に信じていないので、あまり怖くはない。もちろん気づいた当初はひどく驚いたし、不気味で仕方なかったけれど、すぐに慣れてしまったのだ。それくらい説明のつかない奇妙な現象が頻発している。


(でも……これほど続くと、さすがに心霊現象や怪奇現象を信じない僕でも認めざるを得ないな。この図書館は普通じゃないって)


 一階に下りると、ちょうど茜音さんとばったり出くわした。茜音さんは僕に気づくと、いつものように柔らかく微笑んで迎え入れてくれる。


「夏目さん、いらしていたのですね」 


「あ、はい。この図書館に来た時に声をかけたんですが、何も反応が無かったので、もしかしたら茜音さんは上の階にいるのかなって」


「ああ、そうだったのですか。私は一階の一般開架室に収蔵している本の手入れをしていたのです。一度、作業を始めると夢中になってしまって、夏目さんにも気づかなくて……本当にごめんなさい」


「いえ、気にしないでください。本も古くなると、それだけで破損しやすくなるし、管理が大変ですよね」


「そうなんです。中には絶版になっている本もありますし、できるだけ長持ちするようにしてあげたいんです」


 茜音さんの言葉は図書館に対する愛情に満ちている。いろいろと複雑な事情はあるのかもしれない。それでも、何だかんだ言っても茜音さんは図書館のことも怪談のことも大好きなのだ。


 そんな茜音さんの様子を見ていると、どうしても喉元まで出かかった質問を口にするのは憚られた。


(この図書館には幽霊がいるんですか? ……なんて、とてもじゃないけど聞けるわけないよなあ……)


 そもそも茜音さんは、自分やこの図書館のことをあまり語りたがらない。だから余計に尋ねづらい。


 今の待遇に決して不満があるわけではないけれど、どこか寂しさを感じてしまう。僕がもっと優秀な怪談の聞き手になれば、茜音さんは僕のことを信用してくれるのだろうか。


 僕は小さく溜息をつきながら、茜音さんと共に一般開架室に向かった。閲覧テーブルの椅子に座るが、今日はなんだか落ち着かない。先ほどの姿なき足音を聞いてしまったせいか、どうにも誰かから見られているような気がするのだ。


 それがただの気のせいならいいのだけど。


 そわそわしたままでは、怪談の聞き手役は務まらない。僕は気を紛らわすために通学鞄からスマホを取り出した。しかし、どうにもスマホの調子が悪い。検索するにしてもアプリを起動するにもやたら動作が重く、なかなか接続できないのだ。自転車を竹林の駐輪場に停めた時は難なく使えたのに。


(そういえば以前、怪奇現象に遭う直前、スマホが不自然に繋がらなくなったという話を聞いたな。あれは確か、大学生の三浦さんが話してくれたサークルの怪談で出たエピソードだ)


 いやいや、あれは三浦さんの創作という線が濃厚だったはずだ。あれとこれとに関係があるとは思えない。もっとも、それはあくまで僕個人の推測にすぎず、三浦さんの話が創作だという証拠はどこにも無いのだが。


 そんなことを考えていると、今度は廊下の方から足音が聞こえてきた。子どもの足音ではない、コツコツという規則的で重みのある靴音。やがて一般開架室に見慣れぬ女性が姿を現した。


「すみません、狩森図書館はこちらで合ってますか?」


「ええ、合っています。ようこそ狩森図書館へ。お電話いただいた怪談の語り手の方ですね。どうぞこちらへ」


 そうして僕と茜音さんはいつも通り語り手の女性に自己紹介をしたあと、一緒に談話室に移動した。


 語り手の女性は三十歳ほどだろうか。パンツスーツに薄手のトレンチコートを羽織っていて、ローアンバーに染めた髪を後ろで一つむすびにしている。清潔感があって好印象を相手に抱かせる女性だった。


 ただその表情はずっと張り詰めていて、一目見て彼女が何かに悩み、追い詰められていることが伝わってきた。いつものようにテーブルを挟んで向き合って座り、一通り説明を行うと、女性は不安げな表情をして僕に尋ねた。


「私の名はヒナコです。その……本名ではないですが……構いませんか?」


「ええ、構いません。僕たちにとって重要なのは語り手の方の素性ではなく、怪談の中身ですから」


「そうですか。……良かった」


「それでは、この場ではヒナコさんとお呼びしますね」


 ヒナコさんはほっとしたように小さく頷く。彼女が本名を名乗らなかったことに対し、僕はそれほど驚かなかった。実のところ、一目見た時から彼女がそう希望するのではないかという予感があった。おそらく、それほどの重大な事情を抱えているのだ。


 ヒナコさんは俯き、唇を引き結んでいたが、すぐに決意したように話し始めた。


「これは私が中学生だった頃に体験した話です。当時、私にはとても仲の良い友人がいました。クラスが同じだったので教室でもよく一緒に過ごしていましたし、放課後や休日も遊ぶくらい親密でした。彼女の名はアカリといって、とても活発で明るい子でしたね。それとは対照的に私はどちらかというと大人しい性格だったのですが、だからこそ逆に相性が良かったのかもしれません。

 ただ、アカリと私の家は離れていたので、互いの家で遊ぶ時は自転車が必須でした。当時はまだ中学生で体力が有り余っていたこともあり、私もアカリもそんなことはお構いなしでしたけれどね」


 アカリさんの話をしている時、ヒナコさんの表情は少し和らいだ気がした。当時を思い出したのだろうか。


「ヒナコさんにとって、アカリさんはとても良いご友人だったんですね」


「少なくとも、当時の私にとってはそうだったと思います。アカリになら何でも気軽に話せたし、趣味もよく合った。とにかく一緒にいて楽しかったことを覚えています」


 しかし、ヒナコさんの表情はすぐに再び曇ってしまう。


「そんなある日のことでした。私とアカリは休日の昼間に、一緒に映画館に行ったんです。何という映画だったかは忘れましたが、アカリがとても見たがっていて、私も少し興味があって。だから彼女に付き合うことにしたんです。

 うちの近所には映画館が無かったので電車に乗らなければならなかったのですが、その電車移動も含めてとてもワクワクしたことを覚えています」


「何だか分かる気がします。友達と遊びに行く時って、目的を果たすその過程も楽しかったりしますもんね」


「ええ。いつもよりおしゃれをして、映画館の飲食売店でキャラメルポップコーンとコーラを買って……今ではどうということもないことばかりですけど、当時の私たちにはちょっとした冒険でしたね」


 ヒナコさんは懐かしそうに目を細め、ほんの少し笑った。僕も少しだけほっとする。ヒナコさんはずっと張り詰めた顔をしていたから。彼女の体調が心配になるほどに。


 しかしヒナコさんはすぐに元の厳しい表情に戻って説明を続ける。


「そして映画を見終わったあと、私たちは夕方の六時ごろに最寄りの駅まで戻りました。そこでアカリと別れてから、私は家に帰ったんです。それから三時間ほどたったころだったと思います。家族と夕食を食べ終わり、自室で学校の宿題をしていた時、突然アカリがスマホのチャットアプリでメッセージを送ってきたんです。『最悪』、『親とケンカした』、『家出する』、『もう家の外にいる』……概ね、そういう内容だったと思います」


 それを聞き、僕は思わず眉根を寄せた。


「中学生の女の子が家出なんて、穏やかじゃありませんね」


「私も慌ててアカリを止めました。メッセージを送って家に戻るよう説得したのですが、アカリはすっかり冷静さを失っているようで……。メッセージでのやり取りでは埒が明かないので、私は直接、アカリに会いに行くことにしました。

 その旨をアカリに伝えると、彼女は『ウシミトンネルの北側入り口で待ってる』と返信してきたんです。そこで私は家を出て自転車に飛び乗るとウシミトンネルに向かいました」


「トンネルの入り口で待っている……ですか。何というか、あまり待ち合わせ場所として適切であるとは思えないのですが」


 疑問を呈すると、ヒナコさんもそれに同意する。


「ええ、そうですね。私の地元では山側に高速道路が走っており、ウシミトンネルはその下をくぐる形で通っているトンネルです。住宅地のはずれにあり、普段から人通りがほとんどなく、すぐ裏手に山が迫っていることもあって、とても陰気で気味の悪い場所でした。

 正直なところ、昼間でも近づきたくはありませんでしたし、実際、利用者もほとんどいなかったと思います。見通しが悪く、時おり事故も起こっていたので」


「アカリさんはどうしてそんなトンネルを待ち合わせ場所に指定したのでしょう?」


「先ほども説明しましたが、アカリと私の家は離れていました。普段は山のふもとにある広々としていて見晴らしの良い国道を移動に使っていいたのですが、その国道は大きく弧を描いていて、それで余計に大回りになってしまうんです。けれどそのウシミトンネルを使うと、移動時間がいくらか短くすることができたんです」


「ああ、なるほど。要は近道だったんですね。でも、あまりにも雰囲気が悪いので普段は滅多に使わなかった、と」


「はい、その通りです。アカリはきっと余裕を失っていて、親に腹を立てていても本当は不安で仕方なくて……一刻も私に会いたくてウシミトンネルを待ち合わせ場所に指定したのだとその時は思いました。夜の九時を過ぎてウシミトンネルに行くことに抵抗が無いではなかったのですが、私もアカリのことが心配でしたし、早く彼女を安心させてあげたくて急いで家を飛び出しました。

 その時は自覚が無かったのですが、私も動転し慌てていたのでしょうね。親に行き先を告げるのも忘れてしまっていました」


 そこまで言い終えると、ヒナコさんの表情は一層、強張った。ただでさえ良くなかった顔色もさらに血の気を失っていき、心配になってくる。


 けれど彼女は気丈に語り続けるのだった。



※※※



 私は夢中で自転車を走らせ、静まり返った住宅街の中を進みました。


 あたりは既に真っ暗になっていましたが、その時はあまり怖さを感じませんでした。というのも、私の頭の中はアカリのことでいっぱいになっていたからです。


 ところが、住宅街の外れに差し掛かり、立ち並ぶ家々がまばらになって来た時、不意に自転車がガコンと音を立て、傾いたんです。辛うじて転倒は免れたのですが、私は大きくバランスを崩し、自転車のブレーキをかけました。ペダルを踏み外し、(すね)をしたたかに擦りむいて……痛くて痛くて仕方なかったです。


 何が起こったのかと思って、スマホのライト機能を使って道路を確認すると、アスファルトに大きな穴が開いて窪みになっていました。私の自転車は運悪くその窪みにはまり、足を取られてしまったのです。

 

 そのあたりはもうほとんど住宅が無く、周りは田畑や耕作放棄地ばかりだったので、道路の修復も後回しになっていたのかもしれません。


 ……どうしてこんな時に。


 自分の間の悪さを呪いました。けれども、立ち止まってはいられません。愚図愚図していたら、アカリの身に良くないことが起こってしまうかもしれない。私は再び猛然と自転車を漕ぎ、ウシミトンネルを目指しました。


 やがて、あともう少しでトンネルというところまで来ました。目の前には緩やかな上り坂が続いており、その向こうには古びた屋外灯の弱弱しい光に照らされた、ウシミトンネルの南側出入り口も見えます。


 夜間に目にするウシミトンネルは想像以上に不気味で、正直なところ近づくのも躊躇するほどでした。それでもこの先でアカリが待っているのだからと、私は自分を鼓舞しました。


 ところが、私が息を弾ませその上り坂を自転車で登ろうとしたその時、スマホに電話がかかってきたんです。

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