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第十八話 【バイト怪談】就職氷河期協奏曲⑤

「ヤマダさんはひょっとしたら、サクマさんのことを……厳しい時代でも他の誰かのために行動を起こすことができる人がいたということを何らかの形で残したかったのかもしれませんね。

 ここで語られた怪談は資料としてまとめられ、半永久的に保存されます。今でこそ図書館利用者はほとんどいませんが、それでもいつか誰かがそれを読むかもしれない。そしてさらには、自分の知人や親兄弟に、こういう怪談があったと語って聞かせるかもしれません。

 そうして怪談はひっそりと、しかし確かに語り継がれていく。そうしてサクマさんの生きた証を残していくことこそが、彼の目的だったのかもしれない」


「……。そうかもしれませんね」


 茜音さんも深く頷き、僕の考えに同意してくれた。


 或いは、ヤマダさんは罪滅ぼしをしたかったのかもしれない。


 サクマさんに日々、助けられていたヤマダさんは、彼にお礼がしたいと考えていた。しかしそれが果たされる前にサクマさんは亡くなってしまった。


 ヤマダさんは悔いたのだろう。なぜ、もっと早く感謝の言葉を伝えなかったのか。何故、忙しさにかまけて人としてやるべきことをやらなかったのか、と。


 そういった後悔があったからこそ、きっとサクマさんの存在はヤマダさんの中で残り続けたのだ。


 言うべきだった言葉、伝えられなかった想い。


 そういったものほど、胸の中にしこりとなって残りやすいのかもしれない。


 そう、だから伝えるべきことは相手にきちんと伝えておいた方がいいのだ。いつか後悔する時が来るかもしれないのだから。


 僕は腹を決め、茜音さんに切り出した。  


「あの……茜音さん。前回のバイトの時、地下階段に近づいてしまってすみませんでした。茜音さんにあれほど注意されていたのに」


 ひょっとしたら茜音さんから怒られるかもしれないが、有耶無耶にするよりはきっといい。そう覚悟して、茜音さんの返答を待った。


 すると意外なことに、茜音さんも僕と同じくらい心苦しそうな顔をして言った。


「いえ、私の方こそ誤解させるような表現をしてしまってごめんなさい。もっと早く、夏目さんに本当のことを伝えるべきでした」


 それはどういうことなのか。僕が首を捻ると、茜音さんは慎重に僕に問いかけた。


「夏目さんは初めてこの狩森図書館に来た時、図書館の構造……特に階段の位置について妙だと感じませんでしたか?」 


「確かに、二階と三階に上る階段は玄関から入ってすぐのところにあるのに、地下へ降りる階段だけはトイレやスタッフルームのさらにずっと奥、隠されたような場所にありますよね。言われてみると、おかしな間取りだと思います。普通、階段は一か所に集約されているものですもんね」


「ええ。そんなことになってしまったのは、この図書館の建物と地下部分が別々に作られたからです。もともと、先に地下部分があり、狩森図書館はその後に建てられたものなのです」


「なるほど、増改築みたいなものですね」


 増改築された家は、一から建てられた家と違い、あとから無理に付け足すぶん、おかしな間取りになりやすい。


 僕の祖母の家がそうだった。


 古くて広い日本家屋を増築したのはいいものの、玄関そばにあるトイレが増築部分からはひどく遠くなってしまい、行き来をするのも大変なほどだった。だから祖母は増築部分にもう一つ別のトイレを増設することにしたのだ。


 茜音さんは頷きながら説明を続ける。


「この狩森図書館は非常に古い建物ですが、地下はもっと古い時代に造られたものです。そのため、壁や天井がかなり痛んでおり、崩落の危険さえあるそうなのです」


「え、それってものすごく危ないじゃないですか!」


 驚きのあまり、僕は素っ頓狂な声を出してしまった。けれど茜音さんはそういった僕の反応(リアクション)は想定内だったらしい。落ち着いた声音で説明を続けた。


「大丈夫ですよ。地盤が強固ですので、もし仮に地下が崩れたとしてもこの図書館に影響はありません。ですが、もし地下に誰かいる時に壁や天井が崩落したら、最悪の場合、生き埋めになってしまうでしょう。だから地下には近づかないで欲しいとお願いをしたのです」


「ああ……そうだったんですね」


 僕は正直、心からほっとした。図書館の地下に近づいてはならない理由、それがしごく現実的なものだったからだ。


 そういえばこの間、トイレから出た時に地下階段の方から人の話し声が聞こえた気がしたが、あれも地下の古さによるものだったのかもしれない。


 老朽化した建物や施設はさまざまな音を発する。おそらく建物を支えている資材が古くなって軋んでいるのが原因だ。僕の聞いた話声も、もしかしたらその軋みが人の声のように聞こえたというだけなのかもしれない。


 茜音さんは申し訳なさそうに項垂れて言った。


「できれば地下を修復したいのですが、まとまった資金が必要な上に図書館も維持していかなければならないので、なかなか手が回らなくて……お恥ずかしい限りです」


「いえ、そんなことはありませんよ。古い建物って、それだけで維持するのにお金がかかるし、管理も大変ですもんね」


 この図書館にいるのは館長である茜音さんだけだ。他のスタッフの姿を見たことは一度も無い。もし茜音さんが一人でこの図書館を管理しているのなら、手が行き届かない場所が出てくるのは当然のことだろう。


「そういった事情がありますので、夏目さん、申し訳ないのですが地下にはあまり近づかないでください。万が一、夏目さんの身に何かあってはいけませんから」


 つまり茜音さんは僕の身を案じて地下には近づくなと警告してくれていたのだ。彼女に非はない。真相を知らなかったとはいえ、迂闊に地下階段に近づいてしまった僕が悪かったのだ。


「分かりました。僕に何かあれば茜音さんにご迷惑をおかけしてしまうことになりますし、地下には近づかないことにします」


 僕がきっぱりと断言すると、茜音さんはほっとした表情を見せた。


「ありがとうございます、夏目さん。変に有耶無耶にせず、最初からきちんと説明しておけば良かったですね。この図書館に悪いイメージを抱いて欲しくなくて、つい……」


 恥ずかしそうにそう弁明する茜音さんを僕は好ましく思った。いつも落ち着いていて洗練された雰囲気をまとった茜音さんの、意外な一面を垣間見たような気がしたからだ。


 思わず微笑むと、茜音さんは不思議そうな顔をする。


「……夏目さん?」


「あ、いえ。何でもありません。茜音さんにとってこの狩森図書館は本当に大切な存在なのですね。これだけ古くて地下は崩落の危険もあるのに、それでもこうして維持管理を続けているんですから」


 すると茜音さんは、どことなく寂しそうな微笑を浮かべる。


「私は、この図書館から離れられませんから。……それだけです」


 それは一体どういう意味だろう。


 誰かから狩森図書館の管理を頼まれているとか、あるいは遺産として相続したとか。一般的に考えて思いつく事情と言えばその二つくらいだが、茜音さんの言い方から察するにそういったことではない気がする。何故なら、どちらもその気になれば拒否することができるからだ。


 しかしそれなら、茜音さんはどんな事情を抱えているのだろう。


 どうして茜音さんはこんなにも悲しそうなのだろう。


 茜音さんは怪談蒐集も狩森図書館のこともすごく大切に想っていて、それは間違いないはずなのに、何故か時おりすごく翳のある表情をする。それを見ていると僕の方まで胸が締め付けられ、いてもたってもいられなくなる。


 茜音さんにはいつだって幸せでいて欲しいのに。茜音さんは一体、何に縛られているのだろう。


 何が茜音さんを幸せから遠ざけているのだろう。


 疑問だらけだが、答えは出ない。茜音さんに尋ねてもきっと答えてはくれないだろう。茜音さんにとっての僕はただのアルバイトであり、怪談の聞き手役でしかないのだ。


 茜音さんはふと微笑んだ。


「……遅くなってしまいましたね」


「ああ、本当だ」


 一般開架室にある大きな柱時計を見上げると、時計の針は午後五時四十五分を指していた。


「夏目さん、そろそろお帰りでしょう?」


「あ、はい」


「玄関までお見送りします。今日は他に来館者もいませんし、このまま閉めようと思いますので」


 そこで僕は茜音さんと一緒に一般開架室を出ることにした。


「パウンドケーキとお茶、ごちそうさまでした。とても美味しかったです」


「ふふ、良かった。パウンドケーキもいろいろと応用が利くので、また作りますね」


「なんだかいつもすみません」


 僕たちは図書館の玄関口に向かって歩きながら、そう会話を交わした。


 後ろの方向にはトイレやスタッフルーム、そして例の地下に繋がっている階段がある。けれど、できるだけそちらの方は見ないようにした。もう二度とトラブルを起こすのはごめんだったからだ。


 周りを雑木林で囲まれているからか廊下はとても暗い。天球技やガラス扉のついた棚、資料の展示された木製のガラスケースなどが壁付照明(ウォールライト)の仄かな明かりに照らされ、壁や床に濃い影を落としている。


 廊下はしんと静まり返っており、僕と茜音さんの足音がよく響いた。二人の足音が交互に、時には重なり合いながら心地の良いリズムを刻む。


 その時、後ろの方から不意にパタパタと足音が聞こえてきた。


 僕のものではないが茜音さんのものでもない。もっと歩幅の短い、軽快な靴音。 


(あれ……? さっき茜音さんが図書館にいるのは僕たちだけで、他に人はいないって……)


 僕は奇妙に思って、ふと後ろを振り返る。


 長い廊下の先は丁字路になっており、向かって左手にお手洗い、そして右手には例の地下階段がある。突き当りの壁には大きな窓が一つあり、そこからは血を垂らしたような真っ赤な夕陽が差し込んでいた。


 その夕焼けに染まる廊下の最奥、そこに小さな人影が立っていた。


 十歳くらいの子どもだろうか。


 強烈な夕陽を背にしているためか、その姿は黒いクレヨンで塗りつぶされたみたいになっていて、どういう容姿をしているのか全く分からない。


 ただ、彼、もしくは彼女が僕の方をじっと見つめているのは気配で分かった。


 世界から完全に切り離されたかのような、妙に現実感のない光景。


「え……?」


 僕は息を呑んでその子どもを……真っ黒な人影を見つめた。何故か視線が吸い寄せられ、そこから離すことができなかった。


 背中が粟立ち、心臓がどくどくと激しく脈打つ。その理由は自分でもよく分からない。


 ひょっとしたら本能的に悟っていたからかもしれない。


 それがこの世のモノではないと。


 しかし、その人影と見つめ合ったのはほんの一瞬のことだった。黒い子どもはすぐに地下階段がある方へ走って消えてしまう。けれど、今度は全く足音がしなかった。本当にそこに存在するのか、疑わしくなるほどに。


「夏目さん?」


 茜音さんに声をかけられ、僕は飛び上がるほどびっくりした。玄関の方に視線を戻すと、茜音さんがこちらを見つめている。突然、立ち止まった僕を心配したのだろう。


「……どうかしましたか?」


「あ……、えっと……今……!」


 僕は慌てて廊下の最奥を指さした。でも、もうそこには何もいない。あるのは鮮やかな緋色に染まった無機質な窓のみ。


 茜音さんはおそらく、あの子どもの姿をした影や、その子どものものと思しき足音には気づかなかったのだ。


「い……いえ、なんでもありません」


 平静を装ったが、しばらく動悸が収まらなかった。


 先ほどの子どもは何なのだろう。茜音さんは確かに、他に来館者はいないと言っていたのに。


 ひょっとしてあれは僕の見間違いだったのだろうか。いや、さすがにそんなはずはないと思うのだが。


 ともかく、僕と茜音さんは再び玄関に向かった。重厚な玄関扉を開けると、暗い廊下に俄かに光が差す。茜音さんはいつもと変わらぬ様子で僕に頭を下げた。


「それでは、次回もよろしくお願いします。気をつけて帰ってくださいね、夏目さん」


「はい、ありがとうございます。あの……」


「何でしょう?」


「この図書館に、子ども……っていますか?」


「子ども……ですか?」


 茜音さんはひどく困惑した様子だった。まるでこの図書館に、子どもなどいるはずがないと言わんばかりに。


「あ、いえ……何でもありません。失礼します」


 そう言って僕は狩森図書館をあとにした。


 しばらく歩くと、後ろでゆっくりと図書館の扉が閉まる音がする。


 木々の枝が覆いかぶさり真っ暗になっている雑木林を抜け、竹林に差し掛かったところで僕は立ち止まった。


「さっきの子どもは一体……?」


 その時、僕は自分が思い違いをしていた可能性があることに気づいた。


 以前、地下階段から人の話し声が聞こえてきた時、てっきり僕は誰かがそこにいるのだと思った。だから茜音さんにもそう尋ねたのだ。地下には誰か人がいるのですか、と。


 しかし茜音さんは、この図書館には他に誰もいないと答え、僕の言葉を否定した。


 あの時は、てっきり茜音さんが嘘を言ったのだと思って、僕は大きなショックを受けた。でも、もしも茜音さんが嘘を言っていなかったとしたら。狩森図書館には本当に茜音さんと僕以外に誰もいなくて、現実にはいないはずのモノの声が聞こえたり、そこにいるはずのないモノの姿を見たりしたのだとしたら。


「……。あの図書館は、一体……?」


 周りが竹や樹木に覆われていることもあって、辺りはとても薄暗い。僕は後ろを振り返り、その薄闇にたたずむ狩森図書館を見つめる。


 青い屋根をした、美しい木造の洋館。けれど今はその建物がひどく余所余所しく、いつも以上に冷たい感じがする。


 その時、どこからともなく猫の声が聞こえてきた。


 いかにも不機嫌そうな、敵意のこもった濁声。


 日が落ちかけていることもあってか、寒さが背中を這いあがってくる。僕は急いでその場を離れたのだった。



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