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第十話 【タクシー怪談】後部座席の女③

「それが……不思議なことに、彼らの口にする女性の特徴はどれもほぼ同じだったんです。

 年齢はだいたい二十代から三十代、額のところで分けた髪は長く真っ黒で、少しウェーブのかかったくせ毛なのだとか。

 顔を俯けているため目元はよく見えないのだそうですが、一部のドライバーは女性の顔を覚えていました。それによると、鼻筋はすっと通っているものの肌はぎょっとするほど白く、唇の色も青白いため、何だか陰気な印象を受ける女性だということです。

 いつも首元に襟のある白いブラウスを着ているそうですが、胸元から下の服装は分からないと聞きました。まあ、それも当然ですよね。その女性は……本当に存在するなら、いつもタクシーの後部座席に座っていて窓から見える部分しか姿が分からないのですから」


 僕は頭の中で野沢さんの説明する女性像を想像してみた。


 髪が長く顔の造形が分からないほど深く俯いており、おまけに全体的に顔色が悪く、黒髪と白いブラウスの対比(コントラスト)が際立っている……。


 何だかまるで、幽霊そのものではないか。


 もし自分が運転するタクシーの後部座席にそんな女性が座っていると考えると、あまりにも怖すぎる。しかもその女性の姿は肝心の運転手には見えないのだから、もはや薄気味悪ささえ感じるほどだ。


「もちろん、みながみなその女性の詳細を説明したわけではありません。何しろ、みかんタクシーには配車係や整備士、事務員を除いたドライバーだけでも六十人います。中には勤務中にほとんど私と遭遇しないドライバーもいますしね。例の後部座席の女性を見たと証言したのは全体の三分の二、四十人ほどのドライバーでしょうか。

 しかも、みな勤務中ですからね。じろじろと脇見運転をするわけにも言いません。一瞥しただけでは得られる情報も少ない。

 けれど、みな知りたがる私の質問を邪険にもせず、快く答えてくれました。その結果、先ほどの女性像が浮かび上がったというわけです」


 野沢さんは湯呑みを手に取り、それを口元に運んでから続きを口にした。


「……彼らの話を聞いた私はひどく驚きました。何というか……彼らの話にはあまりにも矛盾が無さすぎるのです。

 中には髪の長い女性の全体より一部のみが記憶が残ったドライバーもいたようでした。たとえば、髪の長さだけ印象に残ったという人や、青白い唇にぎょっとした人、真っ白なブラウスが目に留まった人など、各ドライバーの記憶の残り方はさまざまだったのです。

 ところが、そのまちまちな断片を一つに組み立てると、必ずあの後部座席の女性像に一致する。一切の齟齬が無く、不気味になってくるほどでした」


「野沢さんに問い質されることを予想して、他のドライバーたちが事前に口裏を合わせていたのかもしれませんね。スマホなら会社の外でも難なく連絡を取り合えるでしょうし」


 僕はできるだけ現実的な指摘をしたつもりだった。だって、そうでもないと説明がつかないではないか。


 ところが野沢さんは何故かニヤリと笑うのだった。


「ふふ……それはあり得ませんよ」


「え、どうしてですか?」


「当時はまだ高度経済成長期の真っただ中ですからね。スマホやガラケーはおろか、パソコンやファックスでさえまだ一般的ではありませんでした。離れた相手と連絡を取ろうと思ったら公衆電話を使うのが普通だった、そんな時代です」


 そんな馬鹿な。ガラケーすら触ったことがないのに、スマホがない世界なんてとても想像ができない。僕は衝撃のあまり呆気にとられてしまった。野沢さんはそんな僕を愉快そうに見つめていたが、やがてすぐに真顔に戻る。


「……ですから、余計に腑に落ちないのです。もし仮に四十人ほどのドライバーが集まって口裏を合わせ嘘をついていたとして、どんなメリットがあるというのか。労力と結果が全く見合っていません。ちょっとしたいたずらにしても、明らかに度を越している。

 そういったリスクを抜きにしても……私にはどうしても周りのドライバーたちが嘘を言っていたとは思えないんですよ。それくらい、みかんタクシーは良い職場でしたから」


 しかしそうなると、彼らが口にしていた後部座席の女性のことはどう説明すればいいのか。同僚のドライバーたちが嘘を言っていないとなると、少なくとも彼らが女性を目にしたことは事実だったということになってしまうのでは。


 僕の言いたいことを察したのか、野沢さんも頭を抱えて溜息をついた。


「……私はもう、わけが分かりませんでした。私の運転するタクシーの後部座席に、本当に私の知らない何者かがいるのか知りたくてたまりませんでしたし、できれば表示板の操作を間違えているという同僚ドライバーたちの誤解も解いておきたかった。

 けれど、肝心の女性客が本当に存在するか否か、私には確かめようがありません。

 何より私は、だんだん同僚のドライバーたちを疑うのにも疲れてきていました。善意としか思えない相手の言動の裏に何かあるのではと、四六時中、勘繰るというのもなかなかストレスが溜まるものです。いずれにせよ、タクシーの運転業務に支障が出かねません。

 ですから、最終的に私は『何があっても気にしない』という選択肢を選ぶことにしたのです」


「気にしない……ですか」


「ええ。幸いなことに、後部座席に座っているという女性客の姿は私には見えません。声が聞こえることも無ければ、気配を感じる事すらない。であれば、(はな)から無視してしまえばそれはいないのと同じことです。

 同僚からの、表示板の操作を誤っているという指摘にしても、厳しく叱責されるというわけではなくあくまで軽く注意を受けるという程度でしたので、言い方は悪いですがあまり気にせず受け流すようにしました。

 一度そう割り切ってしまえば、みるみる気持ちが軽くなって仕事にも集中できるようになりました。人間というのは不思議なもので、ある程度、己の気の持ちようでどんな環境にも慣れてしまうものなのかもしれません。その後、私は結局、六年ほどみかんタクシーで働きました」


 つまり野沢さんは、真実を追求することより、職場の人間関係の方を優先したのだろう。それにしても、あれだけさんざん怖い思いや不気味な体験をしてきたはずなのに。それを『何があっても気にしない』と割り切ってしまうなんて。


「それは……何ていうか、すごく肝が据わっていますね。野沢さんのおっしゃることは分かりますし、理にもかなっていると思いますが、僕なら気になってとても車の運転なんてできないと思います」


 素直に驚嘆すると、野沢さんはにっこりと笑って言った。


「私は昔から、両親にも『お前は少し鈍いところがある』と言われて育ちましたから。それが良い方向に作用したのでしょう」


「でも、最終的にみかんタクシーはおやめになったんですよね? それにはどういった事情があったのか、お伺いしてもいいですか?」


 『何があっても気にしない』。野沢さんは自分にそう言い聞かせてまでみかんタクシーで働くことを決めたのに、どうして六年でやめてしまったのか。僕の問いに、野沢さんは口を開いた。


「私はちょうどその頃、結婚しましてね。子宝にも恵まれたのですが、妻の産後の肥立ちがどうにも悪く、あまりに辛そうだったので隣県にある妻の実家に一度、身を寄せることにしたのです。義両親も妻の容態に心を痛めていたこともあり、その案を快く受け入れてくれましたのでね。それで私も妻に同行することにしたというわけです。当時はまだ新婚でしたし、妻がすこぶる弱っていたので、離ればなれになるのはあまりにも忍びなかったのです」


 つまり、野沢さんは愛妻家なのだ。愛する家族のために、やむなくみかんタクシーを辞めることにしたのだろう。


「事情を説明して退職の意向を打診すると、みかんタクシーの社長はそれを快諾してくれました。それどころか、たいそう気の毒がって、妻を気遣う言葉もかけてくれたのです。

 それは他の社員やドライバーたちも同じでした。みな突然、退職を決めた私のことを、妻思いで立派だと評してくれました。そして私のために、送迎会を開いてくれることになったのです」


 野沢さんは再び湯呑みを口元に運ぶ。


「送迎会ではみかんタクシーの社員のほとんど、ドライバーは全員が参加してくれました。そこで乾杯をしたりそれぞれの社員やドライバーに挨拶をしていると、例の話題が飛び出しました。そう……あの、いつの間にか後部座席に座っている髪の長い女性客の話です。

 口火を切ったのは、とあるベテランドライバーでした。彼が、『しかし野沢は勤務態度も真面目だったし営業成績も上々だったが、表示板の操作だけは最後まで覚束なかったな』と言うと、他のドライバーたちも『いつも後部座席に髪の長い女性がいるにもかかわらず、表示板は何故か〈回送〉や〈迎車〉、〈空車〉でしたもんね』とか、『それにしてもあの女性客、よほど野沢さんがお気に入りなんですね。僕は一度もあのお客様を担当したことはありませんよ』と続きます」


 野沢さんの語り口調に、徐々に熱がこもり始めた。


「その時、私は今こそが白黒をはっきりさせるべき時ではないかと思いました。本当にそんな女性客が実在するのか、みなその目で確かに女性の姿を見たのか。

 逆に、もし……もしもその女性客の話が嘘なら、何故そんなくだらない嘘をついたのか。そんな嫌がらせまがいの行為をするほど、私に何がしかの不満を抱いていたのか……と。

 良くも悪くもこれが最後なのですし、この際、全てをぶちまけてすっきりしてから退職してやろうと思ったのです」


 一気にそう捲し立てたものの、野沢さんはすぐに意気消沈し肩を落とす。


「……けれど、私がその疑問を口にすることはありませんでした」


「それは……どうしてですか? せっかく事の真相を知ることができるチャンスだったのに」


「単純な話です。気づいたんですよ。後部座席の女性が実在していようといまいと、私が得るものはほとんどないということに」


 野村さんが何を言わんとしているかはすぐに分かった。


 女性の存在が本当なら、野沢さんは六年もの間、人ならざるものを乗せてタクシー運転手をしていたということになる。それも十分に恐ろしい話だろう。


 だが、逆に女性客の存在が本当でないとしたら。今度は、野沢さんは同僚のドライバーたちに六年もわけの分からない、何のためかも定かでない不気味な嘘をつき続けられたということになってしまうのだ。


 野沢さんにとってはどちらも等しく恐怖体験であるに違いない。


 ただ、その恐怖の種類が異なるだけで。


「あるいは、もしかしたら、もっと別の意外な真相が潜んでいたのかもしれません。あの場で、みかんタクシーのドライバーたちを問い詰めていたら、何か分かったのかもしれない。けれど不意に、もう本当のことなんて分からなくてもいいやと思ったんです。

 私はみかんタクシーのみなが好きでした。みかんタクシーのみなも、私のことを認めてくれていたし、好感を抱いてくれていたと思います。

 何より、みかんタクシーは路頭に迷っていた私に救いの手を差し伸べてくれました。まさに命の恩人だと言っていいでしょう。だから、もうそれで十分だと思うことにしたのです。

 みかんタクシーで経験した不気味な出来事から私が学んだのは、『何があっても気にしない』ということでした。ですから、それを最後まで貫くことにしたんですよ。まあ、いわゆる『たつ鳥、後を濁さず』という奴です」


 そう言って、野沢さんは力なく笑った。


「そして、妻の実家へ居を移したあと、私は別のタクシー会社で働くことになりました。新天地での勤務は覚えることが多く、最初は大変でしたが、みかんタクシーで得たノウハウを生かすことができたので、それほど苦労はしませんでした」


 それが野沢さんの決断なら、もはや僕は口を挟むつもりもない。ただ、結局、タクシーの後部座席に座っていたという女性は何者だったのか。結末が曖昧だというのは、どうにもモヤモヤする。


 すると野沢さんは、少し苦笑して僕に尋ねた。


「すみません。少し退屈でしたか?」


「いえ、決してそんなことは……。ただ、例の後部座席の女性が何だったのか、それが気になったんです」


「そうですね。夏目さんの疑問に答えられるかどうかは分かりませんが……実はこの話、続きがあるんです」


「本当ですか」


 僕はすっかり野沢さんの話に惹きこまれていた。ついに女性の正体が分かるのかと、思わず身を乗り出す。


「ええ。先ほども説明しましたが、みかんタクシーを退職した後も私は別のタクシー会社でタクシードライバーを続けました。タクシーというのは不特定多数の人をたくさん乗せるせいか、何かと情報が入ってくるんです。その中には、みかんタクシーに関するものもありました」


 そのあたりから、野沢さんの声の調子が一気に低くなった。


 僕は背筋がぞわりとするのを感じつつ、野沢さんの語りにひたすら耳を傾けた。


「私が新しいタクシー会社で働き始めて一年ほど経った時のことでした。仕事終わりに同僚のタクシードライバーと雑談していると、彼がふと、みかんタクシーのドライバーが事故を起こしたらしいと口にしたんです。その同僚ドライバーは私が以前、みかんタクシーに勤務していたことを知っていたので、私の顔を見てその話を思い出したのでしょう。

 何となく気になって調べてみると、みかんタクシーのドライバーが事故を起こしたのは本当であるようでした。それもどうやら、事故を起こしたのは私が辞めたあとに入社した新人ドライバーだそうです。

 事故現場は見通しが悪くカーブの多い峠道で、昔から地元ではよく知られた難所でした。実際、事故も多かった。私はもちろん、他のみかんタクシーのドライバーたちもできるだけその道を通らないようにしていたんですが、峠道の先には大きな集落がひとつありましてね。その集落に住んでいる方がお客様としてタクシーを利用される際など、どうしてもその危険な峠道を使わざるを得ない時があるのです」

 

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