第一話 【サークル怪談】路傍のカカシ①
狩森図書館は神御目市にある私設図書館だ。
僕が初めて狩森図書館を目にした時に抱いた印象は、古くて何だか怖いということだった。
青い屋根が特徴的で、木造の温もりも感じられる、趣ある佇まいをした美しい洋館。
その珍しさも併せて考えると町の名所にでもなりそうなものなのに、あまりにも古めかしいせいか、どうにも足を踏み入れるのが躊躇われるのだ。
事実、狩森図書館の建物は古い。
一見すると、落ち着いた木造の洋館なのだが、どことなく違和感がある。漆喰の壁や柱のつくりなどに、日本の伝統建築の技法が用いられているのだ。これはおそらく和洋折衷、つまり西洋の文化が入って来たばかりの頃に建てられた西洋風建築だからだろう。
もちろん、建物の中も古い。
床はほぼ全て板張り、天井はやたら高い。照明などの家具や調度品、窓のつくりなどどれも歴史を感じさせるものばかりだ。
図書館は雑木林に囲まれているせいか常に薄暗く、それらの落とす濃い影が余計に内部の重厚感を際立たせているのだった。
三階建ての建物内はどこも広々としており、一階は一般開架室や談話室、事務室、スタッフルームなどで構成されている。最も広い一般開架室には本棚がずらりと連なっており、その本棚にはどれも名もしれぬ古びた本が整然と並んでいる。
僕はその一般開架室の一角に設けられた閲覧テーブルで時間を潰していた。
他に利用客はいない。古くて重厚な柱時計が、こちこちと時を刻む音が聞こえてくるだけ。
「怪談の聞き手役……か。僕にうまくできるかな」
古い木造建築物の放つ独特のにおいに、時おり混じる古書の気配。その余所余所しさが、一段と僕を落ち着かなくさせる。
何せ今日はアルバイトの初日なのだ。それも、人生初の。
緊張もしようというものだ。
しかし、その人生初のアルバイトの内容は、高校生の僕でも少し変だと感じるものだった。
狩森図書館には他にはない大きな特徴が一つある。それは怪談を蒐集しているということだ。
怪談……そう、お化けや幽霊、妖怪などの出てくる怖い話のことである。
いったい何のために。初めに知った時は驚いたが、狩森図書館では昔から行ってきた業務の一環なのだという。それも直接、人の口から語られた怪談を聞き取り、紙にしたためるという方式をとっているようだ。
できるだけ余計な情報を排除して、話者が発した純粋な怪談のみを記し、そして残す。それがこの図書館の方針であるらしい。
けれど、語り手から怪談を聞きつつ、同時にそれを紙に書き留めるには労力がかかる。そのため、狩森図書館では怪談の聞き手を専門に行うアルバイトを雇うことにした。
それが僕というわけだ。
それにしても、珍しいアルバイトであるためか、どうにもイメージが掴めない。怪談の蒐集とはどういった雰囲気の中で行われるのだろう。その聞き手役が僕に務まるだろうか。
そわそわした気分を鎮めるため、右手の手首に嵌めた数珠に触れた。透明な水晶玉でできた、短い数珠。僕にとってはお守りみたいなものだ。そして数度、深呼吸をする。
するとそこへ一人の女性が現れた。
「夏目さん、語り手の方がいらっしゃいました」
「あ、はい。いま行きます」
僕に声をかけてきたのは、狩森茜音さん。
彼女はこの狩森図書館の館長であり、怪談蒐集をしている本人、つまり僕の雇用主でもある。
僕は一般開架室を出て廊下で待つ茜音さんの元へ向かった。それほど緊張しているつもりは無かったのだが、茜音さんは見透かすような目で僕に柔らかく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。事前にご説明した通りです。夏目さんは語り手の方のお話を聞く役に徹してください。そのお話の内容を私が原稿用紙に書き留めていきますので」
「はい、任せてください」
できるだけ快活に答えると、茜音さんは頷く。その動きに合わせて絹のようなさらさらとした黒髪が彼女の頬を撫でた。落ち着きのある仕草から溢れる、圧倒的な気品と色気。僕は思わず心の内でどきりとしてしまう。
怪談蒐集の聞き手役というアルバイトのことを知った時、奇妙だと思いつつも僕がそれを始める決意をしたのは、茜音さんに出会ったからだ。一見すると近寄り難くて冷たい印象を受けるけれど、実際に話すととても温かくて安心感がある。そんな茜音さんに、僕は一目で強く惹かれてしまったのだ。
けれど、実のところ茜音さんのことは謎だらけだ。彼女がどこで何をしてきた人なのかはもちろんのこと、何歳なのかも僕は知らない。二十五歳は越えていないと思うけど、少なくとも僕よりはずっと大人だ。
高校生の僕より、はるかにずっと。
分かっているのは彼女が狩森図書館の館長であるということと、怪談を蒐集しているということだけ。でも、その理由すらも僕はまだ知らない。
茜音さんに促されて図書館の薄暗い廊下を進む。床は板張りで天井はとても高く、そのせいか足音がやけに大きく響く。幾つもの扉を通り過ぎたあと、談話室が見えてきた。怪談の聞き取りは、いつもこの部屋で行われるらしい。
談話室はこの図書館の中でも最も狭い部屋だった。といっても、僕が通っている高校の教室の三分の一ほどはあるけれど。
入り口から入ったすぐそこに小振りの机が一つ、そして中央に大きめの机が一つある。そして、上げ下げ式の窓が一つ。他には特に設備の無い、シンプルなつくりだ。
入り口の机は扉に対して直角に据えられていて、少し小振り、椅子は一つだけ。どちらかというと文机に近い。それに対し、中央の机はずっと大きく、向かい合うようにして椅子が二つ据えられていた。その手前の椅子に座っていた男性が僕たちに気づいて立ち上がり、そして振り帰る。茜音さんはその青年に向かって言った。
「お待たせして申し訳ありません。改めて自己紹介をしますね。私はこの狩森図書館の館長をしています、狩森茜音です。それからこちらは怪談蒐集のお手伝いをしてもらっている夏目悠貴さんです」
僕もその男性に頭を下げる。
「怪談のお相手を務めさせていただきます、夏目悠貴です。よろしくお願いします」
「あ……はい。どうも……」
男性は僕を見て少し驚いたようだった。
それも無理のないことかもしれない。いかにも大学生といった様子の彼に比べ、僕は明らかに年下だったから。図書館が公式に蒐集する怪談の話し相手が、まさか子どもだったなんてと面食らったのだろう。
でもここで気後れしてしまったら相手も話しにくくなるだろうし、そうしたら怪談を蒐集するという茜音さんの仕事を手伝うことができない。僕は大学生の困惑に気づいていないふりをして着席を促した。
「どうぞ、おかけください」
そして僕と彼は向かい合うようにして椅子に座る。
僕の目の前には怪談の語り手である大学生が座っていて、その奥には談話室の扉が見える。そしてその扉の左手にある小さな机の椅子に茜音さんが座る。僕の座っているところから、彼女の横顔がよく見える。
彼女の机の上には昔ながらの原稿用紙とインク壺、そしてインクをつけて用いるタイプのディップペンが置いてあった。アナログにしてもかなり古風なスタイルだ。茜音さんはペンを手に取り、その先をインク壺に浸すと、僕に視線を送る。怪談を記録する準備が整ったという合図だ。
僕はそれに頷き返すと、目の前に座った男性に問いかけた。
「まずはお名前を窺ってもいいですか? もし匿名の方が良かったらそちらでも構いません。狩森図書館では純粋に怪談のみを蒐集しているので」
「匿名……ですか」
「ペンネームとかハンドルネームとか、ああいう感じです」
実は茜音さんから事前に、語り手にそう言うように伝えられていた。この図書館に怪談を話しに来る人の中には複雑な事情を抱えており、個人情報を晒したがらない者もいる、と。図書館側にとって重要なのはあくまで怪談の中身であって、話し手の情報ではない。そのため、無理には聞かないようにしているのだという。
「あ、いえ、本名で大丈夫です。俺は三浦大洋といいます」
はっきりとした口調で三浦さんはそういった。三浦さんは人見知りするタイプではなく、むしろ活発的な印象を受ける。けれど狩森図書館の雰囲気に飲まれてしまっているのだろう。その気持ちは分かる気がした。僕も初めてこの図書館に足を踏み入れた時、何というか……違和感のようなものを覚えたし、正直なところ今でも少し怖いと思っているから。
何とかして彼の緊張を解かなければ。僕はそう考え、わざと明るい声で言った。
「あの……三浦さん」
「はい?」
「僕、実はけっこう怪談に強いんです。あまりその手の話を聞いても怖いと思ったことが無いというか……もともと心霊現象とか信じてないというか。ですから、とびきり怖い話で怖がらせてやるぞ、くらいの気持ちでいいですよ。僕たちはただ怪談を蒐集しているだけなので」
いたずらっぽく、それでいてどこか挑むように告げると、その真意が三浦さんにも伝わったようだった。三浦さんはようやく肩の力を緩める。
「そうか……そうだよな。せっかくここまで来たんだから、何はともあれ話さなきゃ損だよな。だったら、こっちも遠慮なく本題に入らせてもらうことにするよ」
それから三浦さんは態度を一変させ、自ら進んで話し始めた。
「俺がその奇妙な体験をしたのは去年の夏、大学のサークル行事に参加した時のことだった」
「サークル……ですか」
「ああ。サークル活動はクラブ活動ほど強制じゃないけど、せっかくだから学業以外でもキャンパスライフを充実させたかったし、友人に誘われたこともあってフットサルのサークルに入ったんだ。といっても、大会とか目指す感じじゃない。活動は比較的緩くて、サークルの人数も五十人くらい。少なくもないけど多くもないという規模かな」
茜音さんが出したのだろう、テーブルにはお茶が二つ置いてあった。皿付きの湯飲みに入った日本茶だ。三浦さんはそれを口に運んでから再び話し始める。
「そんなかんじで、うちのサークルは普段の活動はそれほど熱心じゃないけど、その代わり年に数回ある年中行事にはかなり力を入れているんだ。中でも一番盛り上がるのが、夏にやる合宿だ。……といっても、うちはあくまで緩く楽しむスタイルだから、合宿というよりキャンプ大会の方が近いかな」
「そのキャンプ大会……もとい夏合宿で何かが起きたんですね?」
三浦さんは頷く。眉根をぎゅっと寄せていて、心なしか先ほどより顔色が悪い。
「もともと、うちのサークルの夏合宿は毎年決まったキャンプ場を借りて行っていたみたいなんだ。ただ、去年は幹事側に手違いがあったらしくて、これまで一度も訪れたことの無い、とんでもなく田舎の古民家みたいなところで合宿を行うことになった。そこしか場所を確保できなかったみたいで……幹事はしきりにサークルメンバーに謝ってたよ。でも、俺を含めたサークルメンバーたちはむしろテンションが上がったくらいだった。だって俺たち、誰も田舎の古い家なんてそれまで住んだことが無くて、アニメとかで見たことがあるだけだったから物珍しくて。それに……あの時はまさかあんな目に遭うなんて思いもしなかったから」
そう言い終えると、三浦さんは黙りこくってしまった。よく見ると、右手が小刻みに震えているように見える。
「……何があったんですか? その古民家の合宿所で怪奇現象にあった……とか?」
「いや、合宿所は古いだけで至って普通だったよ。三泊四日の合宿のうち、三日までは何事もなく、俺もサークルのメンバーたちも夏のイベントを心ゆくまで満喫してた。異変が起きたのは三日目の夜、例年行われていたキャンプファイヤーの代わりにバーベキューをした後、肝試しをすることになった時だ」
三浦さんの顔色はどんどん悪くなる。足も小刻みに貧乏ゆすりを始めた。明らかに落ち着きを失っている。
このまま三浦さんに話をさせていいのだろうか。僕は三浦さんの話を原稿にしたためている茜音さんの方を見る。茜音さんはそれに気づき、目線で合図を送ってきた。怪談を続けるという合図だ。
ところが、僕が三浦さんに話の先を促そうとした矢先、三浦さんは自ら語り始めたのだった。
※※※
――その肝試しは、毎年、夏合宿に組み込まれているもので、例年はゾンビみたいなコスプレをして脅かす役の人がいたり、キャンプ場に許可を取ってちょうどお化け屋敷にあるような人形や小物を設置したりと、かなり気合の入ったイベントだったらしい。
でも去年は急きょ合宿所が変更されたこともあって、数人ずつ何チームかに別れて順番に決められたコースを辿るというシンプルなスタイルで行われることになった。
俺と同じチームになったのは男子が一人と女子が二人。俺を合わせて四人のチームだ。大学二年生が一人いたけど、あとはみな一年生だった。チーム分けについてはくじ引きで決めたから、たまたまそうなったという具合かな。中には男子だけのグループとか、三年だけのグループもあったしね。
そんなかんじで、特に心霊スポットを巡るとかいうわけでもない、ただ夜道を歩くだけの肝試しだったけど、雰囲気は抜群だったよ。
何といっても田舎の夜ってめちゃくちゃ暗くてさ。俺たちの合宿所があった場所もそうだったけど、街灯なんて大きな国道沿いくらいしかないし、民家とかも飛び飛びくらいしかないからまず明かりがない。スマホのライトだとバッテリーがもたないだろうということで、懐中電灯を持たされたよ。
鬱蒼とした木々の枝がざわざわと風に揺られ、夜闇に浮かび上がるさまは何とも言えない迫力があって。闇の濃さも都会とは全く違うんだよね。底の知れない暗闇がどこまでも広がっていて、けれどその中から確かに生物の気配が感じられる。虫の鳴く声や風の囁き……それがどうにも落ち着かないというか、闇の息遣いに圧倒されてそれだけで十分にスリリングだったよ。
否が応にも五感を刺激され、研ぎ澄まされる。あれは町中では体験できない独特の感覚だった。
……そうだな、いま思うとあの時の俺は少し過敏になっていたのかもしれない。
普段と全く違う環境に身を置いていたし、下戸の俺とは違って周りはみなバーベキューで入ったアルコールが抜け切れていないようだったから。
俺はただ一人、他のサークルメンバーみたいに浮かれることができなくて、どこか不安を感じていて……だからあんな異様な体験をしたのかもしれない。




