第11話:夜に瞬く紅に嘘は無くて(ブリュンヒルト視点)
夜も更け、空に星が瞬く。人が出入りしていた教会内も今はステンドグラスから月明りだけが照らしているだけだ。
人一人としておらず、皆が寝静まっている。
ひたり、ひたりと歩く音がする。忍んでいる気でいるのだろうが僅かに足音が立っていた。一部屋、一部屋、確認し、こそこそと話をしながら。
*
ブリュンヒルトは白い聖職者風の服に着替えていた。つい先ほど、教主から「急いで着替えてきなさい」と言われたのだ。
何かあったのだろうかとブリュンヒルトは荷物を入れた肩掛け鞄を掴んで慌てて教主がいる部屋へと向かう。
その際、誰にも見つからないようにと注意されていたので周囲を気にしながらこっそりと。
小さくノックをしてから室内へと入ると、教主はブリュンヒルトを見て安堵したように息を吐いた。
「教主様、何かあったのですか?」
「ブリュンヒルト、心して聞きなさい」
教主は良く通る声で、けれど声を潜めながら言った。
「ここから逃げなさい」
「……え?」
ブリュンヒルトは何を言われているのか分からなかった。困惑する彼女に教主は近寄って肩を掴む。
「お前の命を狙っている者がいる」
このまま此処にいてはいずれ、怪我では済まず命を落としかねない。教主の言葉を聞きながらブリュンヒルトはそうかと小さく呟いた。
自分はこれほどまでに嫌われて邪魔だと思われていたのかと気づいてしまったのだ。
「今ならば、居なくなっても私が修行に行かせたと誤魔化すことができる」
「でも、カロリーネさんだけで……」
「彼女は曲がりなりにも聖女として選ばれた存在だ。安心しなさい」
教主は「逃がすならば今しかない」と言う。ブリュンヒルトはそんな彼の力強い瞳に言葉を飲み込んだ。
頷くしかなかった。否定を、残ると言うことを彼は許してはくれなかったから。
「裏手から出なさい、そのまま森のほうまで走ってくんだ。そうすれば逃げることができる」
森まで行ったらどうするんだとそう思ったけれど、教主が「大丈夫だ」というのだからその通りにするしかない。ブリュンヒルトは背を押されて駆けだした。
ブリュンヒルトは裏手から出るために廊下を静かに、けれど早足で歩く。きょろきょろと周囲を見渡しながら慎重に。
ふと、一つの部屋から声が聞こえた。
「あの落ちこぼれ聖女はどこだ」
「さっさと見つけないと手が出せない」
彼らの言葉にブリュンヒルトの心臓は跳ねた。教主の言う通り、自分は狙われていたのだと実感して。
ブリュンヒルトは急いでその場から離れる。このまま見つかればどうなるか分からないのでとにかく急いだ。
裏手から教会を出てブリュンヒルトはひたすらに走った。後ろも確認せずにただただ、走り続けた。
都を抜けて森が見えてくる。鬱蒼と生い茂っている木々を見て、呼吸を整えながらブリュンヒルトは立ち止まった。
はぁはぁと肩で息をしながらこの後の事を考える。自分はまともに外に出たことはない、今から旅人などになれる自信はなかった。
持ち物だって肩掛けカバン一つとロッド、僅かな所持金だけ。こんな夜に一人で、もし魔物に遭遇したらどうするのだ。攻撃魔法など自分は不得意なのだから。
ぼろぼろと涙が溢れてくる、考えれば考えるほどに自分にできることが何もなくて。外で生きる知識などもない、戦う術がない落ちこぼれと言われても文句は言えなかった。
溢れる涙は顔を汚す、拭っても拭っても止まることを知らない。このまま放浪して自分はどうなるのだろうかと不安が、恐怖が、身体を震わせる。
助けてくれと言えたらどんなに楽だろうか、そんな存在はいないというのに。嗚呼を零してブリュンヒルトが顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「大丈夫か」
ふと、声が降ってきた。ブリュンヒルトはゆっくりと顔を上げて振り返ると、月に照らされて風に靡く黒色の長い髪が目に映った。
「クラ、ウスさん……?」
クラウスがそこにいた。じっと、ブリュンヒルトを見つめる紅い瞳が煌めいている。
どうして此処にいるのだとブリュンヒルトは困惑した顔を向けていた。そんな様子に「独り言を聞かされた」とクラウスは話す。
これは一人の男の独り言だ。彼はそう言ってクラウスを引き留めた。
私は二人の聖女を見守る立場だ。どちらかが優位など決めることはしないし、そもそも神に失礼な行いだと思っている。
だが、信徒たちは違う。どちらかが真の聖女であとはおまけなのだと。二人も聖女が選ばれるわけがないと囁き、毒を吐き、比較した。
私は守らねばならない、神が二人を選んだのだからどちらかを見殺すことは許されないのだ。
今日の夜にブリュンヒルトを森へと逃がそうと思っている。誰か、そう誰か彼女を攫ってくれないだろうか。救ってくれとは言わない、攫ってやってくれないだろうか。
男は独り言を聞かせるだけして教会へと戻っていった。
クラウスは面倒なものを聞かされたと思った。夜の森で都に戻ることは許されず、まともに戦うことができない少女がたった一人でいると知ることになったのだから。
放っておくことだってできた。ただの独り言として、聞かなかったことにして何事もなく都を出ればよかった。
「できなかった」
できなかった、自分に彼女にたいしての幾ばくかの良心が芽生えていた。信徒たちの扱いを見て、ブリュンヒルトの話を聞いてそれに――
「俺は嘘が嫌いだ」
聞かなかったことにするなど、自分に嘘をつくことが何よりも嫌だった。
「私を、攫いにきたんですか?」
「いや……俺にお前を攫うことはできない」
攫うなど、相手の気持ちも考えない行為はできない。それにそこまで自分は器用な人間ではないとクラウスは言う。
じゃあ、何をしてくれるのだろうかとブリュンヒルトはクラウスの言葉を待った。
「俺にできることなど限られている」
父に技術を叩き込まれ、誘われるがままに冒険者としてやってきただけだ。まともに生きるための術など自分は知らない。できることなど一つしかなかった。
「……一緒に来るか?」
冒険者など危険が伴う世界しかクラウスには分からない。そこでどうやって生きていくのかぐらいならば教えられないことはない、自分もまだ端くれではあるけれど。
守ってやれるほど強いわけでもないが一人でいるよりはいいだろう。クラウスが手を差し出すその様子は慣れていないようで。
紅い瞳が真っ直ぐにブリュンヒルトを見つめていた。迷いも、嘘もない、揺れていない強い眼が。
これは彼の優しさなのではないか、ブリュンヒルトは思った。選択を与えてくれて、危険であるということを教えてくれて、それでもいいのならと手を差し伸べてくれている。
優しい人なのだなと思いながらブリュンヒルトはゆっくりと立ち上がって、ぐしぐしと瞼を擦った。
「お願いしますっ」
涙でぐしゃぐしゃになっている顔で笑みを浮かべながらクラウスの手を取った。




