第二章 灰剣の目覚め
【第二章 灰剣の目覚め】ーーーーーーーーーーーー
黒い霧をまとった巨躯が、轟音とともに神殿の壁を崩して姿を現した。骨ばった体躯、鉄のような爪、焦げついたような毛皮。喉の奥から響く唸り声は、まるで死者の嘆きのようだった。
破戒の魔犬――ラグナ・ハウンド。
十二王統を滅ぼした災厄の獣、そして世界が滅びへ向かう兆しとして恐れられる存在。
「逃げろリュシアン!」巫女イェルファが叫ぶ。
だが、リュシアンは動かなかった。右手の剣――〈灰の聖剣〉がまるで生き物のように震え、彼の意識に語りかけてきたのだ。
“この世界を焼いた灰こそが、希望の火種となる。”
訳もわからずに剣を握った少年の全身に、熱が、力が、過去の記憶さえも吹き飛ばすような流れで満ちてゆく。右腕に灰の刻印が浮かび上がり、剣の刃は銀に近い白へと変じた。
魔犬が唸り声とともに跳躍した。狙いは巫女だ。リュシアンの足が、意思よりも先に動く。
「やらせるかッ!」
剣を振り上げた一瞬、灰色の光が周囲を照らす。空間が歪み、重力が裂けるような衝撃とともに、斬撃は魔犬の前足を切り裂いた。吠え声と共に後退するラグナ・ハウンド。地面に叩きつけられた血は、黒い墨のように地を焼いた。
リュシアンは、自分が人間離れした一撃を放ったことに驚き、剣を見つめた。
「俺は……こんな力を、どうして……?」
「“記憶”は力として刻まれているのよ」イェルファが震える声で答える。「この世界に召喚される際、過去の自我を捨てる代わりに“刻印”が力と繋がるの。あなたは灰の王の血を引く者――そして、十三の運命の鍵よ」
魔犬が、さらに大きく吠えた。切り裂かれた前足を引きずりながらも、口元には嘲るような笑みすら浮かんでいる。理性があるのか、それとも……。
「下がっていろ」
リュシアンは剣を構え直す。自らの意思で。誰かに言われたからではなく、胸の奥に灯った炎が、ここで引いてはならぬと訴えていた。
魔犬の全身が膨張し、災いの気を帯びた黒炎が口元に宿る。それは、この地に再び“灰の刻”をもたらすもの。
リュシアンは駆ける。まるで地に足がついていないかのような、空を舞うような軽さ。敵の懐に滑り込み、放たれる黒炎を、剣先で裂いた。
剣が閃光を放ち、魔犬の胸に突き立った。灰の光が内部から爆ぜる。
瞬間、黒霧が爆発のように噴き出し、周囲一帯を包み込んだ。
……静寂。
リュシアンは地面に膝をつき、荒い息を吐いた。気づけば魔犬の姿はなく、神殿の奥にかかっていた封印のような石扉が、静かに開かれていた。
「お前が……“灰剣”の主で間違いないようだな」
その声に、リュシアンとイェルファは同時に振り向いた。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。緋色の軍装に、肩には双頭の鷲を象った徽章。顔立ちは端正だが、瞳の奥に炎のような何かを宿している。
「私は〈朱の王統〉の末裔、アシュレイ・フォルダン。お前を探していた」
「俺を……?」
「この世界を滅ぼそうとしているのは、“災い”だけではない。かつての王たちの血が、再び互いを喰らおうとしているのだ。……お前はどちらにつく?」
リュシアンは答えられなかった。自分が誰なのかさえ、まだ明確ではないのだから。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
――自分は、この世界に、選ばれてしまったのだ。
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