ショタパン! コラボ 甘い贈り物 後編
その日、貴族館のキッチンは終日、甘い香りと空気に溢れていた。
「へえ、チョコレートって、こんなに滑らかで柔らかくなるものなんだ~。
うちのはまだ色々と試行錯誤しているんだけど、ここまでにはなかなかならないなあ」
「カカオ豆の粉を細かく摺り潰す作業と、練り上げる作業に時間をかければかけるほど、美味しく滑らかになるのだそうです。
あと、完成したら熟成させるのも重要ポイントで。生産国では完成後、三日間寝かせてから出荷するのが義務づけられているのだとか」
アダマス少年が異世界からの来訪者、レオンハルトを連れて、転移装置のある貴族館にやって来て間もなく。
チョコレートの独特な香りと、異世界の技術の匂いを嗅ぎつけたのか。一人の女性がやってきていた。
『エミリー先生』と呼ばれた美女は、幼いながらもてきぱきと料理と説明を熟すハルト少年の側から、片時も離れず、その工程を見守っている。
「それはいいことを聞いた。早速、試してみよう」
「でも人力だと結構大変ですよ。うちは風の精霊を上手く使う半自動化装置を父上が作ったんですけど、こっちには精霊はいないのでしょう?」
「精霊がいなくても別の方法があるから大丈夫。
むしろ私はその辺については天才、だからね。
色々教えてくれてありがとう! 君はちっちゃいのにすごいぞ! えらいぞ! もう! 食べちゃいたいくらいだ!」
「あ、ありがとうございます! でも、その、あの、ちょっと……」
もふっと。
ふくよかな両胸に包み込まれて抱きしめられる少年。
本日、五回目なのでどちらも少し落ち着いたようではある。
初対面の時は、凄かった。
いきなり
「なになに~。この子。どこの子? きゃっわいい~~~!」
と突然抱き着いて、頬ずり、抱き上げ、ほっぺペロリンのフルコースをかましたエミリー先生に、レオンハルト少年は完璧硬直して、一切為すすべなく為されるままに愛撫されまくったのだ。
「おっと、怖がらせちゃったかな? だいじょうぶかい?」
あまりにも無反応であった為か、通常より、幾分か早めに正気に戻ったエミリー先生は抱きしめていたレオンハルトをそっと開放して、視線を合わせた。
「おや?」
レオンハルトの眦に、一筋、髪の色を零したような銀の雫が宿っていた。
「……あ、す、すみません。なんだか、母上を思い出してしまって。
おかしいですよね。全然、似てないし、母より、多分、ずっとお若い方に失礼で……」
「いや、可笑しくはないよ。失礼でもない。君のお母様はきっと聡明な方なんだろう? 君を見れば解るよ」
哂いも、怒りもせずにこやかに同調し微笑むエミリー先生に、誇らしげにレオンハルトは頷いて見せる。
「は、はい。とても頭が良くて、優しくて、思いやりに溢れていて……美しくて」
「そんな方に似ていると思って貰えて、むしろ光栄だね」
「すみません。なんだか、僕、寂しかった、みたいで……。あれ? おかしいです。涙が止まらない……」
慌てて、手で擦る仕草を見せるけれど、雫は止まるどころかますます増えて、床に滴り落ちて行く。
「気にしないで。涙は、流れるうちは流しておいた方がいい。
大人になったら、泣けない事も多くなるからね」
「す、すみません。少し、少しだけ……」
異世界に、一人迷い込みながらも、自分でなんとかしようと考えていた少年。
でも、まだ十歳にもならない子どもである。
張り詰めて、張り詰めて、張り詰めていた糸が緊張の糸で切れたのだろう。
彼は、泣いた。泣いた。泣いた。
エミリー先生の胸に顔を埋めて。
ひとしきりの涙が止まるまで、アダマス少年も、妹シャルロットも、そしてエミリー先生もただ、黙って待っていてくれたのだった。
その後、気を取り直したレオンハルト少年は、張り切って調理に望んだ。
タマゴ、小麦粉、生クリーム、牛乳など、貴族の館でもなければなかなか手に入らない品物を要求された時には、この子も貴族育ちだなあ、とアダマスは思ったものだけれども、高価な食材を要求するだけあって、少年の手際は、なかなかのものだった。
「へえ、チョコレートはそんな活用方法もできるんだ」
「牛乳や、生クリームと混ぜると、柔らかい触感になります。あと、定温で固まるんですが、一度固めたものを再度溶かすと、艶が増すんだそうです。カカオバターを調整し、安定させる為だとか。詳しいことはよく解らないんですけど」
「こっちでも調べてみるよ。後、知っていることはある?」
エミリー先生の巧みな誘導で、自分のチョコレートを含む、菓子作りの知識をありったけ披露するレオンハルト。外見は父親であるというフェイそっくりだけれど、彼より、素直に子どもだな、と素直ではない子どもを自称するアダマスは思う。
レオンハルトはエミリー先生に惹かれている。
机の上は、彼が作ったチョコ菓子でいっぱい。
トリュフ、ブラウニー、型抜きチョコ、ラスク、型抜きチョコにホワイトチョコと混合させたマーブルチョコ。
袋の中にかなりの枚数、持ってきていた板チョコを多分、全部使う勢いだ。
自分とシャルロットの為だったら、ここまではしなかったのではないだろうか。
エミリー先生の為、好きな女性の為に、全力疾走しているようにアダマスには見えた。
「先生」
「なんだい?」
「異世界の、帰ることが決定している子に、あんまり優ししすぎるのはどうかと……」
「ん、心配しなくていいよ。私の一番はアダマス君だから」
「そういうことではなく、ですね」
トントン、と背を叩き囁くアダマスに、指輪の嵌った手を翻して見せるエミリー先生はさっきまでの暴走とはうってかわった、静かで、優しい眼差しをしていた。
「大丈夫だよ。あの子も多分、解っているし、解ってくれてるから」
「エミリー先生。さっき、星の形の型抜きがあると、おっしゃていましたが、お借りできますか?」
「いいよ。はい、どうぞ」
「わっ! なんで胸元から? 疑似クラウドの入り口でもついてるんですか?」
無垢な眼差しで、少年は笑っていた。
眩しい太陽を、輝ける星を見上げるように、年上の女性を仰ぎ見ながら。
~~~~~~
「なるほど。それで、異世界に迷い込み、お土産を貰って帰って来た、と」
レオンハルト少年が、自分の世界、アースガイアに戻ったのは異世界に迷い込んだその日の夜のことだった。
時差は殆どなく、向こうで過ごした時間の分、こちらも過ぎていた感じである。
あわよくば、母親に。最低でも留守がちな父親にバレずに済めばと思っていたレオンハルトであったが、休日にこっそり家を出て、門限まで帰ってこなかった自分を心配した母親からの連絡で手を尽くして探してくれていたらしい父親に、帰還と異世界転移はがっちりとバレてしまっていた。
「別に、君のせいではないから怒りませんよ。ただ、行きたいと思っている者にはなかなか扉は開かれない。物欲を察するんでしょうかね? 異世界への門というのは」
「??」
言葉通り、父親は彼の事を怒りはしなかったけれど、少し悔し気で残念そうに息を吐きだしていた。そういえば、何故、アダマス少年は自分の父親の事を、一目で気付いたのだろうと考える。子どもには自分が父親と瓜二つであるという自覚は無い。
外見も、内面もそっくりだと、母親や大神官は良く笑うけれど。
「そして、お土産として、これを託された、というのですね?」
「はい。金貨をこの紙と一緒に。あ、あとこの本も貰いました」
少年が差し出したのは大きな金貨三枚。
本当はエミリー先生が
「貴重な知識を開示して貰ったんだから、いくらでも持って行って!」
とこの十数倍を袋に入れてくれたのだけれど、流石に貰いすぎだと生真面目なレオンハルトは断っていたのだ。
ちなみにレオンハルトが両親の結婚記念日の為にゲシュマック商会に注文したチョコレート一枚で少額銀貨一枚。大雑把な地球金額換算でいうと一万円前後だろうか。だいぶ一般的にはなってきたけれど、平均的な社会人の一週間分の給料になる。それを約十枚使って来た。一年間家族や神殿の手伝いをして貯めたお金だ。
「でも、そんな金貨を貰う程の金額じゃないですし……」
「いいから、いいから。せっかくだから、少しくらいもっていきなよ。もし、向こうからまたこちらに来た時にも役に立つしね」
と数枚を半ば強制的に渡されたのだ。
「あと……これもあげる」
文字が書かれた紙と一緒に。
「なんですか? これ、呪文ですか??」
見ればその紙には片面にイラスト付きの印刷文字がみっしりと書かれ、裏には表面とは違う文字で何やら手書きの文章? が記されている。
「あれ? 君は読めない?」
「はい、どっかで見たことは、あるような気がしますけど……。精霊古語……かな?」
首を傾げるハルトにエミリー先生とアダマスが顔を合わせ、少し困った顔をしていたことを覚えている。
「そっか~。読めるかも、って聞いてたんだけど、どうする? アダマス君?」
「多分、親世代、マリカやリオン、フェイは読めますよ。前に来た知り合いも読めたらしいですし」
そう言いえば、こっちからもあっちからも異世界転移しした時は会話に困ることが無かったとアダマスは思い返していた。
意識して見ると、ハルトの口の動きと、発音は違うので自動翻訳機能でも働いているのかもしれない。とまでは説明しなかったけれど。
「ならいいかな。流石に異世界の文字までは私も実物を見ないことには書けないからね。向こうに帰ったら、おうちの人に読んで訳してもらって」
エミリー先生はにこやかに笑って、そう言った。
「金貨は……僕が持っていてもいいでしょうか? 父上」
「構いませんよ。それは君が自分の小遣いで買ったものと技術で得た、正当な君の所有物です。
大事にしなさい。金の価値に加え、異世界の、ということも加えると多分、こちらの金貨と同等か、それ以上の値がつくものになるでしょうから」
「ありがとうございます!」
アースガイアとは違う、独特な作りの美しい金貨にはしゃぐ子どもは気が付かない。
父親が、包み紙か、両親への手紙のように思っていた紙の表裏を繰り返し見やり、目を細めていたことを。
「父上。その紙ってなんなんですか?
本の印刷と同じ技術で表面も文字が刷られているは解ったのですが」
「これは、おそらく『新聞』と呼ばれるものですよ」
「シンブン?」
「ええ。まだこちらでは一般的では無いですが、世界の情勢を人々にいち早く伝える紙媒体の情報伝達手段です。マリカに少し聞いたことがあります。
いずれ、こちらにも作りたいと……」
「父上は、異世界の文字が読めるのですか?」
「はっきりと読むことはできませんが、精霊古語との共通点も多いので、この辞書があれば翻訳できそうに思います」
「え? その本、辞書なんですか?」
『向こうに帰ってからご覧下さい』
帰還直前、メイドさんの一人が渡してくれた本の意外な正体に目を丸くするレオンハルト。
「まったく。どうしてこちらの文字の辞書が向こうにあるのやら。
アースガイアの情報がどの程度まで向こうに在るのか、何故時々、向こうと経路が繋がるのかと合わせて怖い話ですね」
フェイは辞書を見やりながら新聞紙の文字を辿る。
その表情は言葉とは裏腹に楽しそうでさえある。
「ああ、それから、ハルト。
この新聞紙を欲しいのですが、貰ってもいいですか?」
「え。その紙、ですか?
あ、でも、せっかくの記念だし、エミリー先生がくれたものなので、とっておきたいような」
「では、少し借りるだけにします。大丈夫です。マリカやリオン達と精査したら返しますから安心して下さい」
「解りました。どっちにしても僕は、まだアースガイアの言葉で精一杯なので、なんて書いてあるかよく解りませんし」
「翻訳したら、君にも見せてあげますよ」
表裏を幾度もひっくり返しながら、微笑む父はけれど
「ハルト。休みが終わったら、精霊古語などの勉強にもっと励むように」
「え?」
最後に少し厳しい視線を自分に向けた。
「知識は重要です。知らない者は、知っている者よりも、いざという時の選択肢や機会が狭まります。託された思いを無駄にしない為にも心しておきなさい」
「は、はい……」
レオンハルト少年は、知らない。
実は『新聞紙』こそエミリー先生とアダマスが、贈った本当のお土産であることや、日本語、と呼ばれる『精霊古語』で書かれた文字には、まだアースガイアには存在しない新しい技術のレシピが惜しげもなく記されていたことも。
父は、後日。約束通り文章を翻訳してくれたけれど、
「これって何なんだろ? 料理のレシピ?」
その後、アースガイアではチョコレート以上の希少品であった「コーヒー」がゲシュマック商会で安価で売り出され、多くの国々で愛されていくことになる。
新聞紙の裏に書かれた精霊古語のレシピは「コーヒー」の画期的な製法で、父親がゲシュマック商会に預けた権利益を自分の将来の為に貯蓄していた事も。その金額が将来的に驚くような金額に達することも。
彼が知るのは、かなり後の話になる。
全てを知ったレオンハルトは、当時理解できなかった父の言葉の意味を自分の至らなさと共に深く、噛みしめたという。
ちなみに新聞の表面の記事は、領主一族の元気な姿が紹介されたものであり大神官一家を甚く喜ばせた。 精霊神に頼んで複製してもらい額装して部屋に飾っているそうだ。
「向こうの世界ってドラゴンがいるんだ~。いいなあ。私も見たかったし、乗りたかった! お父さん。アースガイアにもドラゴン作っちゃダメ?」
「クレア……」
「でも、皆さんの元気そうな事が知れて、良かったわ。
それに、ねえ。リオン、これって……」
「ああ、多分、あの時の事、かな?」
新聞紙の裏側、レシピの横に、小さく綴られた文字が在った。
『ウチの父が、大変迷惑をかけたね』
レシピを記した文字とは違う、丁寧でどこかカッチリとしたそれに、照れくさそうな少年の苦笑が声と一緒に見える気がした。
「迷惑、では全然、ないのですけれど」
当の振り回された黒髪の少女はまったく動じることなく
「むしろまた、お会いしたいです。私の前にもいつか、異世界への扉が開くといいのですが」
家族全員の思いを、静かな笑顔で代弁したのだった。
~~~~~~~
「必ず! 絶対、また来ます!!」
そう言い残して少年は帰って行った。
山のようなお菓子と、知識と、笑顔を残して。
彼が、再び異世界に足を踏み入れる機会があったかは定かではない。
ただ。
後にレオンハルトは風の魔術師として、父と双璧と言われる実績を残すことになるが、仕事の傍ら、彼はある分野について生涯研究し続け、この世界最初の論文を纏め発表することになった。
彼の研究は転移術、それも異世界への転移術であったという。
次元を超えた扉が、いつ、誰の前で開くかは解らない。
もしかしたら、再会の時が再びあったとしても、リオンとマリカの時のように十数年の先だったり、前だったりということもあるかもしれない。
それでも、彼は研究を続けた。
少年から、大人になり、その先に辿り着いても。
彼の心から生涯、消えることはなかったのだろう。
「カッコいい大人におなり。アダマス君みたいにね」
星の型抜きでくりぬき、アイシングで飾ったチョコブラウニー。
渾身のお菓子を送った、憧れの人。
初恋の女性の、儚くも甘い微笑みは。
きっと……。