010 慈悲なき断罪 その2
文化系部活動の部室が行儀よく詰め込まれた旧校舎。
渡り廊下を抜けて階段を降り、たどり着いたその教室は、クラス札に「第二文系部」の文字踊る寂れた場所だった。
先行していた日暮さんが扉を開けて勝手知ったる様子で中へ入っていく。
デカ乳ギャルの片瀬さんに背を押されるまま流されて、のけぞる背中を引っ張る歩みが一歩を前に踏み込ませた。
第二文芸部という名にふさわしく、本の多い部屋だった。
教室の片側には人の背丈ほど大きな本棚が二つ並ぶ。その反対側には冷蔵庫やら給湯器やら、生活を豊かにする何がしかが置かれていた。窓が並ぶであろう奥にはカーテン。その手前にホワイトボードがひとつ、そこには丸くポップな文字で「恋する乙女協会」とだけ書かれていた。そして、10畳くらいの大きさの教室の真ん中には、大きな円卓がどかんとひとつ。五つのパイプ椅子たちが等間隔でその周囲を囲み、うち二つには二人の少女が座していた。
俺はその二人の顔と名前だけは知っていた。
左近寺遥と金井晶だ。
この場所へ俺を連れてきた日暮さんたち。座して待っていた左近寺さんと金井さん。
彼女たち五人は、何を隠そう、手塚悠馬に好意を寄せているであろう者たちだった。
ふつうだったら反目し合うはずの恋敵という存在。
であるにも関わらず、日常的に使用されていそうなこの部室。
おそらく、この五人には繋がりがある。なおかつ、メロドラマ染みたキャットファイトの空気がない。
彼女たちは、ルール無用の闘技場に放り込まれた恋愛バーサーカーではない。整備されたリングの中で、ルールありのバトルロワイヤルに参加する、愛の戦士たちのようだった。その控え室が、おそらくこの場所なのだろう。
そういった諸々のことに思考を割いている中で、ムクリとひとつの疑問が浮かぶ。
こんなところへ説明もなしに連れてきて、いったい俺をどうしようというのだろうか。
この場所の本質を鑑みるに、俺の存在は不適当だと思うのだが。
その答えは、円卓の席につき、拍子を取った日暮奈留によって告げられた。
「さて、それでは『容疑者』を連れてきたことだし、円卓会議を始めましょうか」
ホワイトボードの前に立たされた俺を見つめる五対の瞳。友好的な色など一つもない、付け合わせのミックスベジタブルを見るような目が俺を射抜いた。その意味するところは、メインディッシュに引っ付いた邪魔者を除けたい心理の現れ。
ここで気づく。彼女たちにとって俺という存在が、手塚悠馬との間にどのような影響をもたらしているのか。このまま流れに乗せられるのはマズイ。直感的にそう感じた。しかし、打つ手を考え頭を悩ませている間にも、事態はよどみなく進行し取り返しのつかないところまで流れていく。それは日暮奈留による進行の妙であった。
「グループロインでも通達した通り、本日の議題は『犬神湾太郎をどう考えるか』。私の考えを改めて話させてもらうわ。昼間さんに聞くところ、彼は以前、彼女に告白して振られているそうよ。そんな彼が恋敵である手塚くんにわざわざ近づいている現状。不思議だと思わない? それこそ、私たちが入り込む余地を無くすみたいに、犬神くんは手塚くんを独占しようとしている。私を含むみんなが少なからず不満を抱いているのは知っているわ。けど、ここで考えなければならないのは、あえて彼が私たちを手塚くんに近づけないようにしている可能性よ。昼間瞳子への恋愛感情を起因とした恋路の邪魔。その割を全員が喰らっているとしたら?」
滔々と円卓に語りかける彼女は指揮者のように場を支配する。
横入りしようと開いた口は鋭い視線で封殺されて、俺は木偶の坊のように立ち尽くすことしかできない。
昼間さんがだるそうに手を上げる。
重そうな瞼の奥にある鋭利な目つきが刃物のように俺に向けられた。
喉を唸らせるように彼女は言った。
「ぼくは日暮の予想する通りだと思ってる。こいつを振ってまだ数週間しか経ってない。こいつがどういう人間か分からないし、どうしてぼくを好きになったのかも分からないから何とも言えないけど、一般的に考えるとして、まだ失恋を引きずっていてもおかしくない期間だ。そんな状況で、みんなに怖がられている悠馬にわざわざ近づく意味が分からない。理由があるとすれば、ぼくが悠馬を好きなことを察して、邪魔をしようと考えたからだと思う。……今回の件は、ぼくのせいでみんなに迷惑をかけているかもしれない。ごめん」
発言の締めくくりに立ち上がり、円卓に頭を下げる昼間さん。
違う、違うんだ。
そんな考えで手塚に近づいたわけじゃない。
一歩前に出た俺を遮るように、日暮奈留が手を挙げる。
「いいのよ、昼間さん。あなたは悪くないわ。この妄執に取り憑かれた哀れな男がいけないのだから」
「さいてー!! 振られたならスパッと諦めなよ!!」
片瀬さんが眉を歪めて声をあげる。
「惚れた女の邪魔をするなんて、仁義の通らない人っすねぇ」
共鳴するかのように左近寺さんが言葉を添えた。
「──チッ」
背筋にムカデが這う幻想を感じさせる冷厳とした眼光。
睨みを効かせた金井さんは大きな舌打ちをひとつ打った。
ダメだ、空気を完全に掌握されている。
ここで俺が手塚と友達になりたくなった理由を熱弁するとしよう。しかし、そのはじまりは昼間瞳子への未練が起因となっているし、何より手塚をストーキングしていたことを彼女たちに伝えるのはマズい気がした。それに、俺が改心して手塚と友情を結びたいと思うようになったと説明しても、納得してくれる想像がつかなかった。
考える頭が、思考する脳が、俺の口を縫い止めた。
結局、口に出せた言葉は「違う、違うんだ」という頼りのない主張だけ。
うわ言のように繰り返す。それは、どれだけ重ねても羽のように軽い反論だった。
「犬神くん、言い訳はそれだけでいい?」
日暮さんの鳶色の瞳がしばらく俺を見つめた。
真綿で首を締め付けられているかのような時間。
それでも、俺の口は回らない。
湧き上がる感情を抑え込む理性が、俺の敗北の理由だった。
ほどなくして、円卓は回る。
「それでは決をとりましょうか。犬神湾太郎は痴情に目が眩み、昼間さんの恋路を邪魔するべく手塚くんに近づいた。よって彼に、手塚くん及び昼間さんへの接近禁止を命じ、これを破った際には──そうね、自主退学でもしてもらいましょうか」
「ひぐっち、自主退学なんて本人次第だから罰にならなくない?」
「いいえ。私たちが共謀すれば冤罪なんていくらでも作り出せるわ。何とかするから任せておきなさい」
「そっか、おっけー。じゃあ任せる。あたしはひぐっちの意見に賛成」
「ぼくも賛成」
当然、左近寺さん、金井さんもその流れに続き「賛成」を唱える。
満場一致で俺に接近禁止令が発令された。
「それではこれにて、円卓会議を終了します」
雷撃のように鳴る拍子。
奈落の闇に呑まれたかのようだ。
幽鬼のような足どりで部室を後にした俺は、何も考えられずに教室へ引き返す。
右手がやけに重い。
視線をやると弁当を持ったままだったことに気づいた。
どんなおかずが入っているのか、まるで思い出せなかった。