episode 01
「あ……」
恋人の真帆さんが後輩と親しげに話す姿を見て、思わず声が出た。
その後輩は最近入ってきた女の子で、非常に可愛らしく、みんなからの人気者だ。
「真帆さん!ここなんですけど……」
「あ、うん、ちょっと待って」
真帆さんは自分のデスクから分厚い資料を取り出し、後輩が指していた場所を説明する。
ただ、その説明、二人の距離が近すぎるような気もして、胸にもやもやとした感情が漂う。
「……わかりました!」
「うん。これで大丈夫だと思いますね」
「はい!ありがとうございます!!」
そんなふうに二人を見て、私は胸が痛くなった。
私は真帆さんと会社でお話できないから羨ましい。真帆さんと私は所属する部署が違うし、春に昇進してから、真帆さんはいつも忙しいようだ。
遠くから見る好きな人――という感じを会社ではいつも味わっている。
ずっと見つめていたから、真帆さんがこちらに気がついたようだ。
「陽菜さん」
「あ……」
真帆さんは私を見つけて、手を軽く振った。
気さくな上司として優しく声をかけてくる姿。その優しさが嬉しいのと同時に、寂しくて胸が痛くなって仕方がない。
「どうしたの?何か用が用事?」
「えっと、資料を取りに来たんです」
邪魔してはいけないと思って、とっさに嘘をつく。
(私の嘘なんて……真帆さんは分かっちゃうのに何をしているんだろう)
そんな私に真帆さんは少し困った様子で笑いながら、後輩に呼ばれてデスクに戻っていった。
後ろ姿を見て、また胸が痛くなった。
「はぁ……」
私は思わずため息をもらす。
「どうしたの?」
「……え?」
思わず出てしまったため息に、近くの席に座っていた同期が声をかけてくれた。
「ひな、元気ない?」
「あ……うん、ちょっとね」
恋人と仲のいい後輩を見ていて嫉妬していました……なんて言えなくて、私は言葉を濁す。
真帆さんに構ってもらえない寂しさを部下の女の子にぶつけているみたいで、何だか恥ずかしい。
それに、こんな小さなことで嫉妬している自分に嫌気がさしてしまう。私の暗い気持ちに同期は気づいてくれたようで、ふっと笑ってから
「今度、飲みに行こう!」と誘ってくれた。
「え……?」
「話なら聞くよ?」
「……うん」
優しく笑う同期に私は頷く。すると、同期はなぜかいたずらっぽく笑って、私の耳元で囁いた。
「でもさ……その嫉妬を解消できるのって、私じゃないんだよねえ」
「えっ!?」
どういうことだろうと同期の顔を見ると、いたずらっ子みたいな表情をして、クスクスと笑う。
「……陽菜がそんなんだと、最近入った後輩に取られちゃうんじゃない?真帆さん」
「え!?」
その言葉に思わず声が出た。
「だってさ、あの子真帆にべったりだし……それに最近真帆とよく話してるし」
「……っ!!」
私たちの関係は秘密にしているはずなのに、この同期はなぜ知っているのだろう。
「ま、真帆さんが何で関係あるのよ!」
「もしかして……隠しているつもりなの?」
同期は呆れた様子で私を見る。私はそれに何も言えず、ただ黙ってしまった。
「陽菜が真帆さん大好きなのはみんな知ってる」
「ええっ!」
「それに、真帆さんも陽菜のことが大好きなのもみんな知ってるよ」
「……は?」
私は同期の言葉に驚いてしまう。
恋人関係だということが会社でバレているなんて……。
「二人ともバレてないって思ってるみたいだけど、ね」
同期は呆れるようにため息をつく。私はもうどうしたらいいかわからず、ただ、口をパクパクと開け閉めするばかりだ。
「それにしても、ヤキモチ妬くかーわいい!」
「や、ヤキモチって」
「え?嫉妬でしょ?」
「……っ」
正直、その通りなのでただ俯く。すると、同期はそんな私の頭を撫でた。
「大丈夫だよ。真帆さんは陽菜のことをすごく好きだから」
「そうかな。だって私、会社では真帆さんと話してないよ」
「それはさ、陽菜ってプライベートと仕事を分けたいと思ってるからでしょ? それに二人とも立場が
違うから遠慮してるんじゃない?」
「う……」
図星を突かれて私はまた口を閉じた。そんな私に同期は続ける。
「陽菜は会社ではよそよそしいよね。もっと甘えればいいんだよ」
「……頑張ってみる」
消極的な私の姿に同期は呆れ顔で私を見る。
「まあ、頑張って」
「うん……」
同期は苦笑して「あ、会議に遅れちゃう」と言って去っていった。私はまた深いため息をついた。
こうやって、私が寂しいと感じるときが来ることを予想できないほど、真帆さんは鈍い人ではない。
『寂しくなったらこれに何でもいいから書いて渡して頂戴』
――そうすれば、陽菜が寂しい合図だって分かるから。きっかけは仕事ばかりの毎日で、ご飯すらすれ違ってしまった時、真帆さんが私にくれた言葉。
それがきっかけで私は本当に寂しいと感じた時に青いポストイットを渡して気持ちを伝えるようになった。
『まほさん』
名前だけの短いメッセージが書かれた青いポストイットは真帆さんへの合図なのだ。
最初の頃……小さい封筒に入れて渡すと「寂しかったのね……我慢させてごめんなさい」とすぐにわかってくれた。
私はどう答えていいか分からなくて困ってしまったけれど、そんな私を真帆さんは笑って抱きしめてくれたっけ……。
今も実は小さい封筒に青いポストイットを入れて持ち歩いている。
(最近は……本当に忙しそうだから渡せないけどね)
封筒に入った青いポストイットを、真帆さんのことを想いながら指先で触れて、なぞった。
(真帆さん……)
心の中で好きな人の名前を呼び、そして、「よし!」と自分に喝を入れる。
もうすぐ定時だし、今日は真帆さん好きなものを買って帰ろう。
真帆さんの帰りは深夜かもしれない。しれない。それでもちゃんと顔を見たいし……最近、まほさんが少し痩せたように見えるから、少しでも何かを食べてほしい。
真帆さんと過ごす夜のことを考えていたらあっという間に時間が過ぎて、定時になっていた。