サルベージ潜水艇ビーグル号のカイト船長
(ビーグル号とカイト船長)
僕の名前はソラ・アクア。フリーの科学ジャーナリストだ。専門分野はコンピューターテクノロジーの領域だが、記事は主として大衆向け科学雑誌に載せてもらうので、読者が興味をもつ宇宙開発、海洋開発、秘境探検、そして超常現象など内容は何でもござれだ。
しかし今、僕が目の当たりにしたあの稀にみるAIの神がかり的な進化について伝えるのがジャーナリストとしての使命であろう。
読者が期待する臨場感溢れた記事を書くには現場での取材が欠かせない。それで一か月ほど前、僕は最近話題の潜水艇の取材に来た。その潜水艇とは何度も極めて困難な遭難船の救出を行ったサルベージ船ビークル27号だ。(しかし誰もが短くビーグルと呼んでいる)
僕はその船が母港としているカノア港に行った。カノア港のあるカノア湾は沿岸近くまで水深が深い。そして海底には複雑な海流と地形の影響で湾の入り口あたりで毎日ほぼ決まった時間に渦巻きが発生する。その渦巻は超大型で最大直径60メートルで水深70メートルにまで達することがある。その海域は古より海難事故が多発した場所として知られているのだが、観光で珍しい海中の渦巻きを観るためにそれに近づき過ぎ、巻き込まれ事故に遭う船もある。その為この海域には多くの船が沈んでいる。
カノア湾沿岸にはサルベージや観光を仕事にしている潜水艇の民間会社が幾つかある。ビーグルもそんな会社の一つに所属している。海底に沈みこんだ観光船や潜水艇を見つけ出し、船外活動用のマニュピレーターで捕まえ海上までひっぱり上げる。そんな至難の業にビーグルは何度も成功している。
僕は優秀な操縦士がいたとしても、なぜその船がそんなことが出来るのか実際に乗船させてもらいこの目で確かめることにした。
僕はカノア港に停泊している小型で黄色の船体を持つビーグルに出向き、艇長でありパイロットであるメイ・シマに直接交渉した。僕より顔一つ分背の高いそばかす顔の彼女は僕が名乗り、目的を告げるとあっさりと乗船を認めてくれた。この艇は操縦者を含めて十人乗りだが、通常乗務員は彼女ともう一人で、操船はほぼ一人で行っているという。「私には頼りになる相棒がいるから」と彼女は言った。その相棒とは副操縦席の若者かと思ったが、そうではなくそれは船の操縦アシストシステムのことだと彼女は言った。
僕らの会話を聞いていた副操縦席の青年が立ち上がり、握手の手を差し出した。僕と同じくらいの背格好だ。
「紹介が遅れ申し訳ありません。僕はこの船のシステムを担当しているジュン・シマです。メイの弟です」と言うと彼は経緯を話始めた。
彼によるとビーグルはメイとジュンの父親であり、ビーグルを所有する会社の社長であったカイト・シマが操縦していたものであった。彼は数年前に遭難船救助訓練の際の事故で亡くなった。その一年程前にビーグルに導入されたコンピューターの操縦アシストシステムに彼の持つ操船技術を覚えさせていたのだと言う。
今日ビーグルは半年前に、海上を航行中に渦巻きの近くで沈んだ小型遊覧船の引き上げを行う。乗務員以外に同乗するのは僕だけだった。船は渦巻きの発生する海域まで航行し潜水する。これは複雑な海流の中での難度の高い操船だ。
船内には操縦席のあるコクピットとパネルで仕切られた客室がある。客室は椅子が左右に二席ずつ五列並んでいた。コクピットは操縦士と副操縦士が入ると一杯で、僕は仕切の横から二人を覗きこもうと客席の一番前の列に陣取った。ビーグルには窓は無い。その替わりに客室の壁、天井すべてがスクリーンになり船外カメラが捉えた三百六十度の光景が投影されるようになっている。今回の様なサルベージ業務の場合は壁をスクリーンモードにすることは無いようだが、メイが初めて潜水艇に乗る僕のために特別に海底の景色を見られるようした。メイは愛想というものがないが、案外やさしいのかも知れない。渦巻きに近づくまで三十分間、僕は仕事を忘れて魚たちに囲まれる海底旅行を楽しんだ。操縦席からメイの話し声が聞こえていた。初めはその相手はジュンかと思ったが、そうではなく通話用のヘッドセットを使って誰かと会話している様子だ。どうやら相手は操縦アシストシステムのようであった。つまり機械相手の会話だ。
さて問題の海域に近づいたが渦巻きの起こっていない時間帯で、海洋生物が泳ぐ穏やかな海中の様子が見えた。遭難船は全長二十四メートルで小型だが、海中を流されることなく渦のほぼ真下、水深二百メートルの海底に沈んだ。ビーグルは水深百メートルの海中で止まると、まっすぐと降下し始めた。メイとジュンは黙り込み緊張感が漂った。後で聞いたのだが、この時までメイはその深度まで潜ったことはなかったようだ。
船が潜行するにつれ、海底の景色が徐々に変化した。多くの魚たちが泳ぐ水色の世界が群青色に変わりやがて真っ暗となった。僕は何か暗い宇宙に沈んでいくような錯覚を覚えた。船が潜行を始めて十分程経ったところで、船体が細かく震え始めた。何か故障かそれとも事故?僕は一瞬で血の気が引いた。コクピットを覗くとメイの腕が操縦桿を握りながら震えている。震えているのは操縦桿なのか腕なのか。メイが「操縦桿が動かない」と小声で囁くのが聞こえた。その声に応え、船内の皆に聞こえるようにスピーカーから低い男性の声がした。それは電子的な音声ではなく人間の声のようであった。
「メイ、落ち着け、お前はここまで潜水するのは初めてだったな」
誰だ、この声は。親しげだが落ち着いた声だ。その声を聞くとメイは落ち着きを取り戻したようだった。
「操縦桿が動かないのは故障ではない。船の癖だ」
「癖?」メイが顔を上げて聞いた。
「そうだ。水深百メートルを超えると、しばらくの間操縦桿がロック状態になる。二十秒ほどで解除になる。もう大丈夫だろう」
メイの顏に安堵の表情が浮かんだ。船は更に潜行を続けた。船内のモニターにはビーグルの底部に取り付けられたサーチライトに照らされた海底が見える。そこには横たわった沈没船の姿があった。ビーグルは沈没船の真上十メートル程の位置に静止した。それはビーグルより少し大きく思われた。
メイは操作卓の収納部分から慎重に二つの操作レバーを取り出した。それは船外の物を掴むマニュピレーター操作用のものだ。僕の足元のビデオパネルにはビーグルからぐんぐんと伸びるカニのような鋏の手をもった腕が見えた。ビーグルの腕が遭難船の両脇にあるリングを捕まえた。ビーグルがその重荷を持ち上げようとすると、ずるっと腕から外れて再び海底に沈み込んだ。
「掴み方が慎重すぎる。大胆に掴め」例の落ち着きのある声がまた船内に響いた。
メイはうなずいた。ビーグルは再び同じ動作を繰り返し、今度は無事に腕で船を掴み、水平姿勢を保ちつつ上昇を始めた。上昇を始めて間もなく、周囲を泳いでいた魚たちが水に翻弄されるように海底に向かって落ちて行った。海中に突然下向きの海流が発生したようだ。遭難船は海流をまともに受けビーグルを引っ張り始めた。メイはビーグルの推進力を最大にして船を引っ張り上げようとしたが海流に負けていた。メイの顏が苦気に歪んだ。その時また声が聞こえた。
「メイ、腕を折り曲げて船を抱きかかえろ。そしてビーグルの推力を切って海流に船体を任せろ。三分程持ちこたえれば、その海流は穏やかになる。この突然の急流の発生は渦巻の前兆で起こることがあるようだ」
メイが言われる通りにすると、海流はビーグルと遭難船を飲み込んで行った。僕は船内のあらゆる壁に投射される船外センサーからの光景を見て震えあがった。船が海中で濁流に飲み込まれているのだ。操縦アシストシステムはどこまで海流の勢いを読むことが出来るのか。熟練した船長のようにできるのか。ジュンに聞いてみよう。副操縦席のジュンはインカムで誰かと話しながらタブレットを操作していた。今話しかけない方が良さそうだ。
三分経った。しかし海流は穏やかにならず、僕たちを激しく揺すっている。五分が過ぎ、七分が過ぎた。そして激しく振動しながらビーグルは遭難船を抱きかかえ海面に躍り出た。そしてそこは穏やかな海面であった。ジュンが席から立ち上がり僕の方にやってきた。僕は「凄い航海でしたね。死ぬかと思いました」と言うとそれには答えずジュンは言った。
「奴らにばれちまった。父さんがインターネットを使ったから」
「うん?どういうことですか」僕は聞き返した。ジュンは喋りすぎたという面持ちになった。僕は更に喋りかけた。
「それにしても、操縦アシストシステムは凄いですね。AIの自動操縦の一種と思ったのですが、ぜんぜん違いますね」ジュンは口ごもりながら答えた。
「いや、あれは一般的な操縦アシストとは違うものですよ。あれは僕らの父親なのです。本人は既に死んでいますが」
僕はジュンの顔をまっすぐ見つめた。ジュンは続けた。
「ビーグルにはもともと自動操縦も、操縦アシスト装置も供えられているのです。でもそれは過去の操縦データをもとにあらかじめプログラムされたもので、常にダイナミックに変化する海中の状況を見て判断し操縦することは出来ません。でもAIの父はこの船の船外センサーやGPSなどの情報から瞬時に判断し航海しているのです」
「お父さん?それは自律型人工知能なのですか?」
「その通り。そしてまだ自主規制委員会の使用認可も受けていない。認可申請は3年前に出したのですが、まだ審査中ということで。で、今回の操縦は違法の可能性もある。でもAIである父は我々が使用したのでなく、自分で目覚めて作動したので、ぎりぎりセーフと思う」
「まだ良くわからないのですが、お父さんについて詳しく教えてもらえませんか」
「もちろん。実は今回あなたに乗船してもらったのも、我々の父が有益な存在であること、そして当局が心配するような危険性は何も無いことを世に呼びかけてほしいからなのです」
僕はポケットからレコーダーを取り出してインタビューに入った。ジュンが語ったのは次のようなことだった。
メイとジュンの父カイトはビーグルの初代船長で潜水艇を操り海底でのサルベージを行う自営業者であった。ジュンはコンピューターのエンジニアであり父親の後を継がず最先端のAI研究のラボで働いていた。そこで彼は人の大脳のニューロンと前頭葉をつなぐ、シナプスの働きをシミュレートしコンピューターチップに写し取る技術を開発した。しかしその技術は人のように意識を持った機械を生み出すものとして、危険性を指摘する声が有識者から起こった。その強い声を受け政府当局はその技術の使用について当面、業界の自主規制委員会の管理下に置くという措置をとった。
生前カイトはメイにビーグルの操縦技術を習得させるべく副操縦士として見習いをさせていた。カイトの百戦錬磨の操船技術は名人技ともいうべきものであった。三年前のある日の航海で、初めてメイが操縦桿を握りカイトが副操縦席に座っていた。その日の操縦訓練はビーグルで渦に飛び込むというものであったが、船体が渦に入ると船尾の舵に激しく水流があたり操縦桿のロックが起こった。その初めての経験にメイはパニックを起こした。副操縦席のカイトが揺れるビーグルの中でメイの方に体を曲げ操縦桿を握ろうとした時事故が起こった。渦の中心へと引き込まれて行くビーグルが一段と大きく振動し、無理な態勢をとっていたカイトはしたたかに操縦桿に頭をぶつけ意識を失った。メイも操縦席から立ち上がろうとして体勢、をくずし倒れてそのまま気を失った。
二時間後、二人を乗せたビーグルは自動操縦で奇跡的に港にたどり着いた。二人は急ぎ病院に運び込まれ、メイはすぐに回復したがカイトは意識不明のままであった。
一週間後ジュンは病院の担当医よりカイトは意識を持っているようだが言葉でそれを外に表すことが一切できない状態であると知らされた。そして今後回復する見込みはないことも告げられた。
そのことを聞かされジュンは彼が属しているラボで計画していた計画を実行することにした。それはカイトの脳内のシナプスが編み出しているニューロンネットワーク内の信号パターンをそっくりビーグルのコンピューター内にコピーすることである。それは人工的にカイトの脳とその働きと同じものを作り出すということだ。これはいまだかって成功した例はない。また意識を持つ可能性のあるコンピューターは規制委員会の管理下に置かれる。しかしジュンは躊躇しなかった。外とのコミュニケーションは一切できず病院のベッドで命を長らえるということをカイトは決して望まないはずだ。彼はジュンの計画を知って予てより自分に何かあった場合、自分の脳をその実験に提供しても良いと言っていたのだ。ジュンは一家の昔よりの知り合いの医師のもとにカイトを移し医師の協力を得てその計画を実行した。
脳のシナプスのシミュレーションは瀕死状態のカイトの頭蓋骨に穴を開けずに浸透力の高い電磁波を用いたセンサーで、複数回同じ個所をスキャンし微修正を繰り返し成功した。その作業の一週間後カイトはこと切れた。
僕はこの話を、意識を持つAIの話としてまとめ大衆科学雑誌に送った。それはすぐに掲載され世間の注目を集めることになった。