部員全員に好かれている野球部マネージャーと、そんな彼女と付き合っている俺
俺・三崎洋太の彼女は浮気しているかもしれない。
そんな疑念を持ち始めたのは、高三の夏のことだった。
今年の夏は、我が校にとって特別な夏になった。なんと野球部が、史上初めて甲子園に出場することになったのだ。
今後何十年と語り継がれるであろうこの快挙に、学校中が湧く。
俺だって、もちろん喜んでいるさ。まるで自分が甲子園に行くかのように、この学校の生徒であることを誇りに思っている。
野球部の甲子園出場は、凄く嬉しい。たけとその一方で、心配事もあった。
心配事というのは、俺の彼女のことだ。
由良千郷。彼女はモブキャラの俺には勿体ないくらいの、良い女だ。
可愛いし気配りが出来るし、将来良いお嫁さんになることは間違いなしだ。
そんな千郷は、野球部のマネージャーを務めている。
野球部の甲子園行きは、彼女の支えがあったからこそと言っても過言ではなかった。
千郷みたいな子が俺なんかを好きでいてくれるなんて、奇跡に近しい。
だからこそ、本当に俺で満足しているのか? 嫌々付き合ってはいないだろうか? って、いつもいつも不安に思う。
そして――野球部が甲子園に行く数日前、その不安が的中した。
「由良! もし俺が一試合で20奪三振取れたら、付き合ってくれ!」
野球部のエースが、千郷に告白した。
「由良マネージャー! もし俺が全打席ホームランを打ったら、付き合ってくれ!」
野球部の4番が、千郷に告白した。
「由良さん! もし僕が甲子園の盗塁記録を塗り替えたら、付き合って下さい!」
野球部一の俊足選手が、千郷に告白した。
千郷への告白は彼らだけに留まらず、レギュラーのほとんど全員が何かしらの目標を提示して、その目標達成を条件に交際を迫っていた。
そんなシーンを目撃してしまった俺は、なんと不幸な男だろうか?
……まぁ、野球部の部員がそれまで自分たちを支えてくれたマネージャーに惚れるのは当然のことだよな。
そして普通の女の子なら、俺みたいな男は捨てて野球部の誰かと付き合う筈だ。
そっちの方が、千郷にとって幸せなのかもしれない。そんなことくらいわかっているけれど……彼女と別れたくない。俺は千郷が好きなのだ。
千郷が浮気をしている確証はない。でももし、本当に浮気していたとしたら……俺はどうすれば良いんだろうか?
◇
野球部が甲子園に向けて出発する日がやって来た。
全校生徒に見送られながら、戦地へ赴く球児たち。その中には、紅一点の千郷の姿もある。
野球部を見送った後は、流れ解散。今後はテレビの中継を観ながら、応援することになるだろう。
しかし俺だけは、自腹を切って甲子園球場へ行くことにした。
間近で野球部の応援をしたいからではない。
そういう気持ちも多少はあるが、一番の目的は……千郷が浮気しているか否かを見極める為だった。
もし浮気しているのならば、俺のいない(と思っている)甲子園で、何かしらボロを出すに違いない。
この夏が勝負なのは、なにもお前たちだけじゃないんだぞ?
我が校の一回戦の相手は、全国屈指の強豪校だった。
俺は観客席から、グラウンドの様子を眺める。
マウンドでもバッターボックスでもなく、ひたすらベンチを注視する観客なんて、この球場内で俺だけだろう。
しかしいざプレイボールとなると、どうしても試合に視線がいってしまうわけで。
おい、エースピッチャー。心が折れるくらい打たれてしまえ。
おい、4番バッター。全打席盛大に空振り三振してしまえ。
おい、一塁ランナー。盗塁しようとして、顔面から転けてしまえ。
などと思ってしまう俺は、心が狭いのかもしれない。
試合は5回まで、両チーム無得点のまま進んでいく。
この試合のヒーローは、なんと言ってもエースピッチャーだ。強豪校の強力打線を相手に、被安打僅か2で抑えている。
目を見張るのは三振の数で、現時点で既に11個奪っている。このままだと、20奪三振もあり得なくない。
エースピッチャーが6回のマウンドに向かう直前、彼を千郷が呼び止めた。
千郷は彼の右手を両手で包み込むと、何かを伝える。
「頑張って」だろうか? 「信じてる」だろうか? ……俺にとっては、どっちでも良いことだ。
「やっぱり俺なんかより、彼の方が千郷には相応しいよな」
これ以上二人の仲睦まじい姿を見るのが辛くて、俺は6回が始まる前に球場をあとにした。
夕方のニュースで確認したら、9回裏にサヨナラホームランを打たれ、我が校は惜敗したらしい。
エースピッチャーの奪三振数は、19。本人の宣言した20個には、あと一つ足りなかった。
だけど19個という数も、十分凄いわけで。この成果に対して千郷がどういう風に応えるのか、俺には薄々わかっているのだった。
◇
その日の夜、コンビニのおにぎりとお茶という簡素な夕食を終えた俺のもとに、千郷からメッセージが届いた。
『ねぇ、甲子園来ているでしょ?』
受け取ったメッセージに、俺は心底驚いた。俺が甲子園にいることは、誰にも……千郷にも教えていないからだ。
『何で知ってるんだよ?』
『私が洋太のことを見つけられないわけないじゃない』
……どうしよう。ニヤけてしまう。
しかしすぐに千郷がエースピッチャーの手を握っている光景を思い出し、俺は冷静になった。
勘違いするな。千郷が今好きなのは、俺じゃないんだ。
『ねぇ、今から会えない? どうしても会いたいんだけど』
別れ話を持ち出すつもりだ。そしてエースピッチャーの彼と付き合うつもりだ。俺は直感した。
本当は別れたくない。だから千郷と会いたくない。
そんなわがままを抱いている一方で、千郷の幸せを何よりも願っている自分がいる。
……待てよ。これはある意味、良い機会かもしれない。
千郷の浮気を疑いいつまでもやきもきするくらいなら、もういっそ破局した方が気持ちの整理もつくのではないだろうか?
『15分後に、球場の前で会おう』
俺はそんなメッセージを送る。
あぁ、本当に。今年の夏は忘れられない夏になりそうだ。
◇
15分後、甲子園球場の前に着くと、既に千郷は到着していた。
俺の姿を見つけるなり、千郷は大袈裟なくらい手を振ってくる。
「おーい、洋太!」
「……おう」
テンションに温度差があるけど、許して欲しい。これから別れ話を持ち出されるとわかっていて、明るくなんて振る舞えない。
「洋太が甲子園に来ているなんて驚いたよ。野球、好きだったっけ?」
「いや、そこまでじゃない。だけど……気にはなっていたかな」
「だよねー。自分の通っている高校が甲子園に出場するなんて、滅多に出来ない体験だもん。特に私はマネージャーとして参加出来て、とても嬉しく思ってます」
ニシシシと笑う千郷に、俺は棘の含んだ口調で返す。
「だから野球部の部員に、乗り換えようと思ったのか?」
「……え?」
「隠さなくたって良いんだぞ? お前、甲子園に来る前に部員たちに告白されていたろ? そしてその中の一人に……エースピッチャーに対して特別な感情を抱いている。違うか?」
「……何で?」
「何でわかったのかって? 仮にも俺は彼氏だぞ。彼女のことなら、何でもお見通しだっての」
ただその彼氏という称号と、あとものの数分で剥奪されることになるのだが。
図星を突かれたせいか、千郷の顔から笑みが消える。それどころか……彼女は泣いていた。
「……何で、そんなこと言うのよ?」
涙を流したのもそうだが、それ以上に千郷の発した言葉が予想外だった。
「何でって……だってお前、試合中にエースピッチャーの手を握ってたじゃないか!」
「あれは! 彼の手のマメが潰れていたから、「大丈夫?」って聞いただけ! 他意なんてないから!」
「でも! 20個三振を取ったら、付き合ってやるんだろ? 惜しくもあと一個足りなかったけどさ、そのくらい努力賞で良いかなーとか思っているんじゃないのか?」
「そんなわけないじゃん! そもそもそんな約束してないし!」
最後まで覗き見しなかったから知らなかったが、千郷は野球部員からの告白を、その場で断っていたらしい。
「自分には、大好きな彼氏がいるから」、と。
いくつ三振を奪おうが、何本ホームランを打とうが関係ない。こと恋愛においては、彼らの戦いは試合が始まる前に終わっていたのだ。
「それとも、何? 洋太は私のことが嫌いになったの?」
「そんなわけないだろ!」
俺は即座に否定する。
「俺は千郷のことが大好きだ。幸せになって欲しいと心から思っている。でもだからこそ、このまま俺と付き合っていても良いのか、時々不安になって……」
「もう、洋太はバカだなぁ」
千郷は呆れながら、目尻に溜まった涙を拭う。
「私が洋太のことをどれだけ好きなのか、知らないの? 浮気なんてするわけないじゃん。大体私の幸せを願っているんなら、洋太が私を幸せにしてよ」
確かに、千郷の言う通りだな。
言質をとったんだ。もう二度と、千郷を手放そうだなんて考えたりしないぞ。
彼女を俺の手で幸せにする。そのわがままを貫いてやる。
高校球児たちの夏は終わった。だけど俺と千郷の青春は、これからもう一度始まるのだ。