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【059話】ミア編その3


 このまま私は死ぬのだろうか。

 飢えと寒さで朦朧(もうろう)とするミアは、荒屋(あばらや)にあった(わら)を編んだだけの即席の防寒具に身を包み、横になったまま身を屈めた。

 それで寒さを防げるわけはなかったが、身体に直接風が当たらないだけでもマシだった。


「ぐるじぃよぉ、たずげて、おかあさん……、たずけて……」


 奉公に出ることが決まった夜から、ミアはずっと孤独だった。

 冒険者だった父親が死に、母親に出された最初の奉公先は、名もない地主の家だった。


 それから三十余年、各地転々と渡り歩いたミアは、どうにか歯を食いしばり生き抜いた。しかし日々の生活は好転することなく、ずっと地べたを這いずってきた。

 私はきっとこのまま死ぬのだと目を(つぶ)り、静かに涙を流した。


「このまま眠れば、もう楽になれるよね。おとうさんにも、きっと会える……」


 強く優しかった父の面影を思い出しながら、幼少期の記憶を辿ったミアは、これでもう終わりにしようと全てを諦めた。止まらなかった震えが不思議と止まり、体温は急激に下がっていった。


 何も感じなくなっていく中で、ミアは夢を見た。

 父が命を落とすことなく、平和なエルフの里で暮らしている夢だった。


 しかしどこか灰がかっている風景は秒ごとに煤けていき、輪郭に(もや)がかかった。

 ハッキリと見えていたはずの両親の顔も、目鼻口のないのっぺらぼうに変貌し、いつしかミアは夢の中でも何かに追われ、逃げ続けていた。


 自分はいつまで逃げ続けるのだろうか。

 誰にも救われず、必要とされず、愛されず、ずっとひとり。

 ツバを吐きかけられ、辛辣な言葉が胸に突き刺さり、心を抉るような毎日。

 それを無理矢理取り繕った笑顔で躱すだけの日々に、なんの意味があるだろうか。


 涙は自然と止まっていた。陽の光が落ちて夜がくれば、気温は低下し、死が目の前に現れる。

 夢の中で目を開けたミアは、川を挟んだ反対側で、「おいでおいで」と手招きする人の影を見つけた。


「お父さん? ……お父さんなの?」


 勢いのある川の水に身体を投げ売ったミアは、手招きする誰かの元へと走った。

 バシャバシャと水を掻き、深い水底を跳ねながら進めば、影は確かに大きくなった。


「待っててお父さん、今すぐ行くからね!」


 思い切り手を伸ばし、死物狂いで川を渡るミアは、大きくなる人影に確信を強めた。

 やっぱり父親だ、父親が待っていてくれるのだと。

 そしていよいよ川底に足が付き対岸近くに辿り着いたミアは、両手を開き、飛び込んでおいでとジェスチャーをする誰かの元へ全速力で走った。


「お父さん、お父さん!」


 水が膝の高さになり、手招きする影はもう目と鼻の先だった。

 肩で息するミアは、初めて自分を待つ影を見つめた。影は(ほが)らかな笑顔に溢れ、ミアがくるのを待ちわびているように見えた。


「ミアね、頑張ったんだ。でもね、全然上手くできなかった。お父さんみたいに立派にはなれなかったけど、それでも褒めてくれるよね?」


 いよいよ足先だけが水に付いた状態で立ち止まったミアは、荒い呼吸を繰り返しながら、影と対面した。しかし誰かは、どこか薄らぼんやり歪んでいて、不思議と直視できなかった。


「お父さん……? お父さんなんだよね」


 飛び込んでおいでとジェスチャーをするだけの影は、それ以上何もしてはくれなかった。

 ジッと立ち止まったミアは、何も言わない影に聞いた。


「お父さん、何か言ってよ。私だよ、ミアだよ……?」


 影は答えなかった。

 それ以上動くこともなく、ただ待ち構えるだけだった。


「こんなに、……こんなに近くにいるんだよ。なんで何も言ってくれないの?」


 記憶がフラッシュバックし、一気に涙が溢れた。

 記憶の中にいる父親なら、どうしてくれただろうか。

 きっと一目散に抱きついて、頭を撫でてくれただろう。頑張った頑張ったと(ささや)き、自分を讃えてくれたに違いない――



 しかし目の前にいる影は、そうではない。

 何かがおかしい。気付いた時、物事は既に手遅れのことが多い。


 周囲は途端に闇に包まれ、影だけを微かに残したまま、景色は少しずつ変わり始めた。

 沼のように沈み始める川岸で藻掻くミアは、「誰か、助けて」と叫んだ。

 父親だと思った影は、ミアに手すら差し伸べず、口元だけが怪しくねじ曲がっていく。

 深層心理に訴えるような嫌な笑い声が頭の中で響き、沈んでいく身体を蝕んだ。


 泥水に埋もれガボガボと溺れれば、夢のはずなのに酷く息苦しかった。

 全てを馬鹿にされたような一連の出来事を受け入れられず、ミアは悔しさから歯を食いしばった。


 最初から最後まで、私はどれだけ惨めなんだろう。

 誰からも必要とされず、邪険にされ続けるだけの日々。お前にはなんの価値もないと冷笑され、言い返す言葉すら持ち合わせない。


 馬鹿で、間抜けで、愚図(グズ)で、ノロマで、可愛いくもなく、秀でたものすらない。

 耳は不格好に長くとんがっていて、手入れされていない肌や髪は荒れて見る影もない。

 知性も、才能も、それどころか一般的常識すらない。


 だからといって、こんなのは酷すぎやしないか。片や貴族に生まれた誰かは、生まれながら全てを手に入れ、片や売られた奴隷は幸せの一つも掴めず泣きながら死んでいく。


 ―― ミアは初めて、自分の意志で腕を伸ばしていた。


 ずっと、いつ死んでも構わないと考えていた。

 しかし惨めに沈むほど、理不尽で悲しすぎる結末は違うと思った。どうせ死ぬのなら、自分が納得できる最期が良いに決まっていると。


 沈んでいく身体を必死に動かし、何もない空中へ指先を差し向けた。

 何もないことは知っていた。こんなことをしても、変わらないことも知っていた。

 それでもミアは全力で腕を伸ばした。これまでの鬱憤(うっぷん)を晴らすようにただ無心で。


 誰かに掴んでほしいと願ったわけでもなく、ただ納得したかっただけなのかもしれない。

 私は必死に戦った、だからたとえ死んだとしても悔いはないと――


 茶色の世界に沈んでいく視界は、茶色から漆黒へと染まっていった。

 伸ばしていた腕にも、もう力は入らなかった。


 骨が、筋が、皮膚が限界と叫び、抗っていた指先も泥の海に沈んでいく。

 肘、手首、親指と順に沈むミアの身体は、いよいよ小指を残し、闇に染まった。

 しかし意識なく消えていくミアの小指が沈む刹那(せつな)、茶色の世界に一筋の光が差し込んだ。


 天高くよりまっすぐ差し込んだ光の束に包まれながら、柔らかな綿毛のようなものがひらひらと落下し、小指の爪が泥に沈む間際、ミアの指先を優しく掴まえた。



「まだです。ここは貴女の死に場所ではありません」



――――――

――――

――


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