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【055話】ロディア編その1


    ◆◆◆◆◆


 ――あれからどれだけの時間が過ぎただろうか


 彼女の体感からすれば、永遠と思えるほどに長かったかもしれない。

 しかし時間にすれば、ものの数分だった。

 焼け焦げた左頬を撫でながら、腹の上に座る男の姿を見上げたロディアは、自分自身の無力さを嘆いていた――



 思い起こせば、彼女の人生もまた数奇なものだった。

 貴族でも裕福でもない凡庸な平民の両親のもとに生まれ、とりとめて何も持たない父親と母親に育てられた。しかし一つ違っていたのは、彼女があまりに()()()()()という点だった。


 彼女は普通の平民の家柄に現れるはずがないほど、生まれながらに多くの才を()()()()()()()()()

 当然、その事実を周囲が放っておくはずはない。彼女が物心つく頃になると、途端に周りの見る目は変わった。


 継承するはずもないスキルを保持し、無意識のうちに使いこなす。

 類まれなる運動能力を持ち、それでいて頭もきれた。

 それだけに飽き足らず、見た目までもが美しいとなれば、有能な者が目に留めるのも時間の問題だった。


 半ば必然的に見出された彼女は、国一番の良家へと養子に出され、マイラス家の長女として生きていくこととなる。しかし彼女の人生は、その瞬間から陰り始めていた。


 実子であり、マイラス家の長兄であるひとつ年上の兄は、お世辞にも優れた人物ではなかった。

 彼女本人から見てもそれは確かで、危うさだけが漂う兄の存在は、彼女にとって無粋なものでしかなかった。


 そして時を同じくし、彼女は気付いてしまった。

 男でなく、その上平民出身である自分は、どうやら一生の日陰者だということを。

 自分は優秀でない兄を支えるために用意された器でしかなく、未熟で愚かな男のために一生を費やすことこそが使命なのだと――


 生まれながらの身分差が埋まることは決してない。

 それどころか、抗うことは即死を意味した。


 良家であるマイラス家の娘が自分の役割を拒否することの意味は、小さな子供にとって、あまりに大きすぎた。子供ながらに全てを飲み込んだロディアは、兄を支える二番手としての人生を受け入れるしかなかった。


 それから彼女の人生は、苦難の連続だった。

 目立つことなく、優ることなく、驕ることなく、支え続けるだけの日々。

 文字にすれば容易いが、彼女にとってその毎日は苦痛でしかなく、全てを否定されるようなものだった。


 優秀だ、天才だともてはやされた過去は露と消え、無の二番手として過ごす日々は光の一つもなく、酷く退屈なものだった。

 権力に守られ、得られるはずもなかった知識や能力が身に付いても、それは自分のためのものではない。

 全ては他人、兄であるウィル=マイラスのためだけに与えられる力であり、使い道すら彼女自身に選択権は与えられなかった。


 しかしある時、日陰でしかなかった毎日に、突然光が差し込んだ。

 字面でしか見覚えのない、どこそかにある()()()()()という名の魔物の巣窟が、退屈な彼女の日常に風穴を開けた。


 ダンジョンにのめり込み、心酔していく兄や父の様子に、彼女は笑みを噛み殺した。

 このまま事が進めば、間違いなく潮目は変わる。

 自分の人生が、初めて想像と違うものへ変わるかもしれないと、淡い期待のようなものが膨らんでいった。


 そして図らずも、期待は一歩ずつ、現実というリアルな実感に姿を変え、彼女の元へと近付いた。

 痩せ細り衰えていく父の姿や、疲弊する傭兵たちを気遣う()()をしながら、彼女の心は震えていた。


 もうすぐだ。

 もうすぐ私は自由になれる。


 とても天気のいい夕暮れ時だった。

 夜の闇に吸い込まれるように、全てのものが一瞬にして弾けて消えた。


 しかし、望み、願い続けた日を迎えた彼女に待っていたものは、想像とまるで違う、何もない虚無の時間だった。


 ―― あれだけ欲したはずなのに


 自分の力を、誰のためでもなく、自分のために使う。

 気兼ねすることなく、全てを思うままにできる。

 初めての自由が目の前にあったはずなのに、彼女の心は晴れなかった。


 目の前で泣いている男がいる――

 この男は、なぜ泣いているのだろうか?


 愚かで、非力。

 常識も、能力も、人徳も、何もかも持ち得ないこの男は、どうして私の前で泣いているのだろうか。


 全てを失ったから? ―― いいや、違う。

 男は初めて悟ったのだ。

 この世には、どうにもならないことがあるのだと。彼女自身そうだったように、この男も初めて理解したのだと。


 何もかも思うがままになると信じたものが、そうでないと否定された時、頭に残るのは「どうして」の文字のみ。泣いていたのが、他でもない彼女自身だと気付かされた時、彼女はなぜか全てのことがどうでもよくなり、馬鹿らしくなった。


 弟や妹は、兄を諸悪の根源と蔑み、一族だけでなく、国からも追いやった。

 反対にこれからはあなたの時代だと持ち上げられ、彼女は一族の再建を任された。


 ついに自由が与えられた。それなのにどうしてか、瞳に映るものは酷く貧しく感じ、彼女は戸惑いを隠せなかった。


 これが本当に望んだものだったのか。

 崇められ、ただ与えられるまま生きていくことが、本当に思い描く未来だったのか。


 自問自答するほどに、彼女は自分自身のことがわからなくなった。

 覚えたはずの妥協すらも手を離れ、自分が壊れていく感覚に襲われた。


 ただ息をして、目の前の作業をこなし、食事して、眠りにつく。

 理想だと夢見ていた日常が、ただ苦痛なだけのルーティンに変わった時、自由だと思っていたものが無意味な幻想だったと悟った――



 どれだけ進んだとしても、ここに私のいる世界は()()

 絶望し、全てを(なげう)つ覚悟を決めた彼女は、ひとり国を抜け出した。

 最期くらい、自分で決めた道を歩こう。彷徨う森の中で、皮肉にも彼女と最初に出会ったのは、彼女をよく知る男だった。



『ロディア?! どうしてこんなところに、何をしているんだ!』



 木々の生い茂る怪しい森の中。

 人どころか、モンスターすらいない。寂しい寂しい世界に、男はいた。

 本当のことなど答えられない彼女に、男は言った。


「キミはこんなところにいちゃいけない。キミは()()()()()んだから」


 彼女はその時、初めて過去を振り返った。

 男は確かに、愚かで、非力で、常識も、能力も、人徳も、何もない人物だった。

 それだけは間違いのない事実。なのに――


「僕が死んでも代わりはいる。けどキミは違う。ロディアの代わりは、どこにもいないんだよ」


 男は優しかった。

 いついかなる時も、彼女にとって男は、理由なく自分を護ってくれるただひとりの存在だった。


 外様であり、常に完璧を求められる彼女に対し、どんなミスをしても男はいつも隣で笑っていてくれた。

 何よりも第一に憂慮される存在でありながら、いつも近くで見守ってくれた唯一の人物。他でもない、それが彼女にとっての兄だった。


「僕のことなんかどうでもいい、もう街へ戻るんだ。こんなところにいては危ないよ」


 彼女の背中を押した男の手は震えていた。

 頼る者もなく、寂しい森で強がる男の姿は、闇の中で藻掻く彼女自身を見ているようだった。


 あれだけ憎かった、愚図で、ノロマで、薄汚れた冴えない男は、最後の最後まで、愚図でノロマな冴えない兄そのものだった。


「街には、……街には、もう戻りません。私は、私の思うまま、生きると決めましたから」


 震える指先を突き返し、改めて男の手を握った彼女は、「行きますよ」と頷いた。

 涙を流して頷く男は、無様に、格好悪く、「行こう行こう」と笑っていた――


――――――

――――

――


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