【199話】可愛い可愛いミントちゃん
同じ頃、トゥルシロ市民街――
身動きひとつせず、黙ったままテーブルに突っ伏しているフレアは、ただただ自分の不甲斐なさを嘆くばかりだった。
仲間には置き去りにされ、師匠とも言うべき者から突き放され、待つことしかできない無様さはあまりにも虚しく、情けなさで心は押し潰されていた。それはペトラも同じで、いつもは軽口で誤魔化しながらフレアの背中を叩く役だと自覚していながらも、今回ばかりは打ちのめされ、地べたに座り込んだまま動こうともしなかった。
手元に残る通信用の魔道具も、イチルが出て以来、鳴ることはなかった。
仲間の行き先すら掴めぬまま、闇雲に時間だけが経過していた。
「……まぁなんだ、そんなに落ち込むなよ。人にはそれぞれ役目ってものがある。今はジッと我慢して来るべき瞬間を待つときだ、そうだろ?」
常識的な説教臭い大人の言葉に耳を貸さず、黙殺する二人に業を煮やし、さらに大きなため息を付いたのはゼピアの換金所から派遣されたマティスだった。
「もう少し元気を出してくれよ。もとはといえば、俺は君らを止めるためにやってきたんだからさ、もっとこう勢いがないとさ。だろ?」
目だけ動かして見つめるフレアの様子を気遣い、マティスは持参した食料をテーブルに並べ、「食べたいものはあるか?」と聞いた。しかしいつもなら飛び付いてくるペトラすら反応は薄く、いたたまれない空気に顔をしかめるしかない。
「仕方ないだろ、今やあそこは巨大な陰謀蠢く戦地になりつつあるんだ。いくらイチルでも、君らを戦地へ送るのは絶対にダメだと理解してるってことだ。だからこそ俺がここにいるんだからな」
依頼を受けて諸々の調査と二人の警護を兼ねて隣国トゥルシロに入ったマティスは、諜報活動に勤しみつつ、二人が滅多な行動を取らぬように目を光らせる役のはずだった。しかし無気力状態な二人が無謀な策に出ることなどなく、とんだ肩透かしを食らっていた。
「俺ら別にどこにも行かねぇからさ、おっさんゼピア帰れよ。仕事残ってるって愚痴ってたじゃん」
「確かに仕事はある、しかしその手は食わん。俺が離れた瞬間、目の色変えて勝手なことをするに決まってるからな。優秀な警護官の目は誤魔化せんのだよ」
「ちっ……、もう勝手にしろよ」
ゴロンと横になったペトラが背を向けてふて寝を始めた。
フレアもマティスの顔をジッと見つめるばかりで、そのあまりの不気味さに、大の大人でも息を飲まずにはいられなかった。
「やたらと見つめないでくれ。俺にも俺の立場ってものがある。君らを死なせるわけにはいかないんだ、わかってくれ」
「……勝手な言い草ですね」
「おぉ、やっと返事をしてくれた。しかしまぁ、そう言ってくれるな」
「ペトラちゃんの言うとおり、もうパナパには入る気はありませんよ。……あれだけ馬鹿にされて、どんな顔して入れっていうんですか――」
ボソッと呟いた言葉が聞き取れず聞き返すも、フレアはそれきり話さなくなってしまった。
仕方なく本来の目的である諜報活動のため魔道具をいじり始めたところで、何者かが扉を開けて入ってきた。
素っ気なく子供二人に一礼したその人物は、トレーナーのような服のフードを目深に被ったまま、上司であるはずのマティスには会釈もせず、食材の並んだテーブルに、ボンと不機嫌そうに荷物を置いた。
「お、おい、もっと静かに置けよ、ミント」
「あーこわ、またパワハラですか、こわこわ」
「パワハラってお前な……、適当も大概にしろ。それで必要なものは揃ったのかよ」
「買ってきましたよ、……美容に最適な魔道具です」
「おい」
「冗談です、いちいちうるさいです。イライラしてるとハゲますよ」
諜報用に手に入れた機材を一つ一つ背の順に並べ終えたミントは、なぜか一頻りうっとりした顔で見つめてから、パンと手を叩き、「はい」と編集点を作るように相槌を打った。
並べられた荷物を無言でずらしたマティスは、そのままポイポイと適当に袋へ戻しつつ「アレはどうした?」と確認した。しかしミントは驚愕し、不服さだけが溢れ出る鬼の形相でマティスを睨み、質問を無視した。
「アレはどうしたと聞いてる。あと、その変なこだわり他人に押し付けんのをやめろ」
「整頓し並べられた美しさは正義です。適当でガサツで声がガサガサなパワハラ上司の言葉は耳に入りません。ワーワー」
あれもこれも面倒だと二重のため息をつき、背後に隠していたミントの手元からアレを拝借したマティスは、充血したホラー映画の形相で睨み続ける女を無視し、準備していた魔道具に装着した。直後、魔道具は微かな光を放ったが、またすぐ力を失ったように静かになった。
「ちっ、これもダメか。どうなってるんだ」
「だから言ったじゃないですか、何かヤバいって。私たちも早いとこ出た方がいいですよ、多分」
不貞腐れる子供二人を目線の端で見たミントは、被っていたフードを外して緑色の長い髪をくるくる束ねながら、転がっていたメリレの実を拝借してかじりついた。ジュッと飛んだ果汁から甘酸っぱい香りが広がるも、誰一人反応することはなく、「良い匂いなのに」と文句を呟いた。
「そうはいくか、これも立派な仕事だ。お前がどう考えてるか知らんが、イチルはイチルで、換金所の大事な大事なお得意様だ(と上から口うるさく言われている)。やることはやらなきゃならん」
「そうは言いますけど、死んだらもともこもありませんよ。こんな危険な仕事、私は絶対ノーセンキューです」
「あのなぁ、お前だって曲がりなりにも魔境の担当職員だったんだぞ。少しはプライドないのか」
「プライドでオマンマは食べられませんし、昔の話をされても困ります。あと、私はお前じゃなくてミントちゃんという可愛すぎる名前があります。お前とかテメェとか二度と呼ばないでください。あ……、もしかして妻帯者のくせに彼氏気取りですか、普通にキモいんですけど。こっち見るな、ブーブー」
「黙れ」と魔道具をテーブルに置いたマティスは、別の大きな鞄から一回り大きな道具を出してセッティングを始めた。しかし身内のくせに「無駄無駄」と呟き続けているミントのボヤキに苛立ったのか、「ああ、もういい!」と派手にぶん投げた。
「でしたら、お二人も外出しないと仰ってますし帰りましょう。楽しみにしてたミルミル(※菓子屋)のベルメージュ(※焼き菓子)も待ってますので」
「よぉし、ならテメェは今日から三日三晩、寝ずの番だ。はい決定」
「パワハラだ……、目を見張るくらいのパワハラだ……、恐いよぉ、母上、この人恐い」
わざとらしくガタガタ震えるミントを無視して、今度は一番小さな箱を手に取ったマティスは、一定の間隔を保ちながら繰り返しボタンを押した。構ってほしくて肩から体を入れてマティスの手元を覗き混んだミントは、これまたわざとらしく「ふむ、これは」などと思わせぶりな相槌を入れた。
「キーターン信号、いわゆる最後の手段というやつですか。わかります、非常にわかりますよ!」
「茶化すな、信号がぶれる。黙れ」
「そんなぁ、せんぱ~い、構ってくだちゃいよぉ、ボクちん、しゃびしくて死んじゃ~う」
へばりつくミントをいなかったものとして無視したところで、今度は箱が音を鳴らし始めた。通信先からの返信音に、ミントを押し退けるなり、マティスは転がっていたペンを握り、読み取った通信の内容を書き取った。
「こいつは――」