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【001.5話】絶対的なもの


 絶望したように膝を落とす男の肩に手を置き、イチルは男が一番望んでいる言葉を耳元で呟いた。それが如何に罪深く、辛すぎる言葉かを理解していながら――


「今ならまだ間に合う、諦めて戻れ。むざむざ死ぬ必要はないよ」


「あ、アンタ、よくもそんなことを。俺たち冒険者を愚弄するつもりか?!」


「ならば最終到達点までご案内いたします。そうですね、これから五分後に出発しましょう。それまでに準備を整えておいてください」


「ちょ、ちょっと待てよ! 俺が、俺たちがここまで辿り着くのにどれだけの労力を要したか知ってるのか。幾年もの時をかけ、尊い仲間たちの命を犠牲にし、どうにか歯を食いしばってきた俺たちの苦労を。それを今さら戻るなんて……、戻るなんて……、お前に何がわかる……、戻るなんて……」


「進みますか? それとも、戻りますか?」


「戻りたくても、もう不可能なんだよ。俺一人で戻るなんて、絶対無理、絶対に、シ、ヌ……」


 イチルは、松明の男に目線で合図を送った。しばし一考し男が仕方なく頷いたところで、イチルは冒険者にトドメの言葉をかけた。


「ならばそうですね。アンタの主人であるコルヴァント公爵様の持つ財産の半分。それを即金にてお納めいただけますか。ただそれだけで、アンタを無傷で上まで送り届けよう。どうだい?」


 呆気にとられた顔をした冒険者の男は、全ての生気が抜けたようにボロボロと涙を流しながらイチルの手を握り、「頼む、なんでも払う、俺を助けてくれ」と縋り付いた。


 松明の男の耳元で「五・五な」と呟いたイチルは、もはや全ての意志を失った男の指先を取り、あらかじめ用意されていた紙に血判を押させた。


「では地上へ戻り次第、即金にてお支払い願います。五分後に出発しましょう。ということでベノム。数日間、ここを頼めるか?」


 松明を持つ男ベノムは、成立させた契約に満足し、軽く敬礼のポーズを取った。しかしどこか納得いかない顔でイチルに質問した。


「でもなんでイチルさんが直々に。戻るだけなら上階の奴らでも余裕でしょ」


「随分戻っていなかったからな。野暮用があるんだよ」


「どうせまたマティスさんの要請を無視し続けてたんでしょ」


「そんなところだ。二、三日で戻るから、後は頼んだ」


 消沈し全ての感情を失って死んだような顔をする男の肩を叩き、イチルは男を背負ってから腰元のベルトで固定し、ベノムに小さく手を振った。


「上には俺が伝えておく、それまでラストデザート(ここ)を頼んだ」


「アイアイサー。あ、最後に一つ確認。イチルさんの部屋、使わせてもらっていいっすか?」


「いいよ。自由に使ってくれ」


「ラッキーラッキー。ジェノムロックの秘密、今度こそ解明してやりますからね」


「無理無理、お前じゃ永遠に無理だ」


 ちぇと舌打ちしたベノムを残し、イチルは冒険者を背負いラストデザートを出発した。しかし直後、通路から開けた空間に出たところで、ガゴンと地面が揺れ、近くで鼓膜を破くほどのモンスターの咆哮が轟いた。


 イチルの背中で気絶したように伏せていた冒険者の男が顔を上げた。今度はカタカタと震え始め、イチルの肩に涎を押し付け泣きながら叫んだ。


「あ、あいつ、まだ追ってきやがったんだ……。俺たちの仲間を何人も食いやがって、あの化け物め、どうしても俺を殺して食おうってことかよ!」


 グギョオォォと叫んだのは、ラストデザート上層部に生息するゴブリンドラゴンの最上位種だった。

 十メートルをゆうに超える巨体と、毒々しい青紫色のコブだらけの翼を振り乱し、ベノムに連れられ一人逃亡した冒険者の匂いを辿って、この場所まで追ってきたようだった。


「もうダメだ、殺される。あんな化け物を倒せる奴なんかいるはずねぇよ」


 イチルの肩にしがみついた冒険者の男は、全てを諦め顔を隠した。しかしその隣でニィと不敵に微笑んだイチルは、冒険者の耳元で囁いた。


「アンタは俺たちの仕事を知っているかい。純粋で無知な冒険者は、俺たちアライバルを適当な運び屋程度に思ってるかもしれないが、それは違う。俺たちの仕事は、キミら冒険者を目的の地まで何事もなく送り届けること。それがただひとつ、唯一の使命だ。それにもう一つ、アンタたちは勘違いしてる。モンスターってのは、全て倒せばいいってものじゃない」


 グギャウと翼を振るったゴブリンドラゴンの攻撃をひょいと躱し、イチルは怯えて相手を直視することもできない冒険者の頭を後ろ手に掴み、しっかり見ておけと予告した。


「どれだけ強くても、どれだけ巨大でも、絶対的な速さの前では無意味だ。如何に威力が凄くても、当たらなければ意味はない。よーく見てな」


 再び振り下ろされた翼を躱し、吹き上がる地面の破片を蹴ったイチルは、おちょくるようにドラゴンの目の前で親指を立ててから、そのままドラゴンの角を巧みに利用し、EXチェーン(※高速で巻き付く糸のような魔道具)を巻きつけ、反発力で反対側へと超高速で飛び出した。

 ドラゴンも追おうと翼を羽ばたかせたが、一瞬で突き放したイチルは、数秒とかからずドラゴンを振り切った。


「絶対的なスピードの前に、全ての攻撃は無力と化す。俺は誰よりも速く、全ての者を置き去りにする」


 冒険者の追跡を無効化するアイテムを周囲にばら撒き、驚くべき速さで壁から壁へと飛び移ったイチルは、スピードに耐えられず気を失った冒険者の横顔を眺めながら着地した。


 魔道具を腰につけた装備入れに戻し一息ついたイチルは、何事もなく上階へと続く道を歩き出した。その時だった。


 これまでに感じたことのない揺れが、突如ダンジョン全体を襲った――



「地震か。珍しいな」


 パラパラと天井から砂粒が落ち、遠くモンスターの遠吠えが聞こえてくる。揺れで意識を取り戻した冒険者が「何事だ」と叫んだ直後、今度は自分たちが立っている足場が眩く発光し、異様な熱を帯び始めた。


「見たことのない反応だ、いいねぇ、新しいイベントか?」


 光は秒ごとに増し、ついには目を開けていられないほどに膨らんでいった。


 もしかすると、これは最期の瞬間なのかもと緊張感なく呟いたイチルは、どこか浮遊感のある全身をあるがままに預け、ゆらりと脱力した。


 困った時は無理せず力を抜くこと。異世界の父親と、転生前の父親がイチルに伝えた言葉だった。そんなことを思い出しながら、イチルは静かに目を瞑った――




「――――……さん! ……チルさん! イチルさん、起きてください、イチルさん!」


 誰かが揺り起こす声にイチルの頭が反応した。

 一瞬の油断は死を意味する。知っていながら、イチルはゆっくりと目を開けた。


 だがそこで見た光景は、イチルの想像の斜め上をいくものだった。



「……ここは、……地上?」



 異世界に転生し400年と1日。



 イチルは何の前触れもなく、異世界生活の全てだった仕事を失った――



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