【196話】強すぎる
どこか視点も定まらず、得体の知れない不気味さをまとい、ニヤァっと笑みを浮かべた。そのあまりの威圧感に思わず口ごもったミアは、呼吸することも忘れ、ビクッと肩をすくませた。
「♥️☠️%?!@#℃僞娜<L*&」
言葉とも知れない異音を呟いたマセリは、ひっひっと悪魔のようにひきつったかと思えば、唾を撒き散らしながらギヒギヒと舌を出し笑い始めた。その姿は壊れた化け物そのもので、ミアの記憶にある洗練されたマセリの姿とはほど遠いものだった。
「ま、ませり、しゃま・・・?」
ギチギチ歯軋りしたマセリは、口の両端から泡を吹きながら、へらへらと笑みを浮かべ、高々と槍を掲げた。すると次の瞬間、呼びかけに応えた後方のモンスターが、一斉に地べたに根付いてしまうほどの怒号を揃えた。
迫力に気圧され、ミアとチャマルの二人は、呆然とその姿を見つめていた。
何かの間違いだという後悔と、見てはいけないモノを見てしまった絶望感に苛まれ、もはや諦めることすら忘れ立ち尽くしたミアは、目の前で自分を忘れたように蠢くバケモノの姿から、目を離すことができなかった。
それは、マセリではないナニカだった。
しかしそれが明らかになったとて、確実なことが一つだけある。
それは数秒後、間違いなく自分たちが、もうこの世界にはいないということだった。
恐らくは一つの躊躇もなく、そのバケモノは自分たちを殺すだろう。チャマルだけは守ると無意識にミアは彼女を抱えたが、それすら無駄であることは本能でわかっていた。
三秒後、自分たち二人は真横に引き裂かれて死ぬ。
あの最中に見た、目の前で笑っている、この人のようにーー
痛みも、恐怖も、なにもかもを忘れたミアは、チャマルを覆い隠して目を瞑った。
もうこれ以上、あの美しかった御方の姿を見ていたくない。そんな本心からだったのかもしれない。
『 下僞ゃ僞ゃ僞! 』
虫が集団で跳ね回るような耳障りな言葉で、マセリが何かを呟いた。
きっと私に声をかけてくれたんだと、目を瞑ったまま聞き入れたミアは、「ありがとう、ございます」と答え、全てを受け入れた。
顔の先まで伸びた槍がくるりと円を描き、魔力が充填されていく。
建物を破壊していたときの倍ほどの魔力が、二人へ向けられていた。それが知っているからこそ、ミアは抵抗することなく、その時を待つのだったーー
『しか~し、こっちもそうは問屋が卸さんのだわ。諸々の約束があるんでな』
わずか三秒の攻防の合間を縫って、野太い声が割って入った。
剛毛の腕を二人と槍との間にねじ込んだ声の主は、手にした異形の盾で強引にマセリを押し退けるなり、髭だらけの口元をニィと歪ませた。
「ウチの可愛い可愛い弟子をいびってくれてるとこ悪いんだが、これ以上は見過ごせねぇ。ウチも最近ちと人手不足でな、こんなでも、いなくなっちまうのは困んだわ」
突然現れた屈強な男に、満面の笑みで目を見開いたマセリは、言葉にならない奇声を上げて襲いかかった。しかし少しずつ形を変えていく盾を振って攻撃を弾いたモルドフは、盾をさらなる巨大な壁へと変化させ、そのまま地面にぶっ刺した。
「悪かったな。兄ぃがクソ手間取りやがったせいで、怪我ぁさせちまった。しかしまぁ、その程度の怪我なら、ツバ付けときゃ治るわな、ガッハッハ」
攻撃を弾いたモルドフの盾に興味津々なマセリは、これまでの比ではない魔力を全身から発散させながら、禍々しいほどの形相で三人に迫った。しかしそれを見計らっていたかのように、さらに後方からゴルドフの掛け声が地響きのように抜けてきた。
「あの馬鹿との契約はよぉ、ここにいる奴らの誰一人も死なせねぇってことでな。いつもながらキチぃ仕事押し付けやがるぜ、まったくよぉ」
両手を地面にべったりと付け、鼻息一発フンと力を込める。指先の力だけで地表をズゴンッと持ち上げたゴルドフは、盾を残したまま、チャマルとミアを担いで後方へ退却するモルドフの姿を見届けてから、完璧な連携で敵と街との間に巨大な壁を出現させた。
そして指先から壁伝いに魔力を盾にまとわせると、今度は幕を張ったかのように盾自体が広がり始め、薄いドーム状の半円球状の屋根となり、街全体を覆い尽くしていった。
「ふぅ。準備に手間取っちまったが、これで数日はやり過ごせる。悪いがテメェらのそんじょそこらの攻撃程度じゃ、コイツは破れねぇよ」
薄く強固に張られた魔力障壁が街の外壁を這うように伸び、鉄壁の砦を造り出していた。ようやく異変に気付いたミアは、モルドフに担がれたまま離れていくマセリの姿を目で追いながら、まだドクンドクンと動いている自分の心臓に手を当て、グッと口をすぼめた。
しかしまだ話は終わったわけではない。
何よりも、マセリが逃亡を簡単に許すはずがない。
苦々しい顔で槍を構えたマセリは、存分に溜め込んだ魔力を解き放つように、薄い障壁へ向かって突き付けた。この程度の薄壁で攻撃を止められるものかと言わんばかりに膨らんだ上半身の筋肉が激しく揺れ、強かに壁を叩いた。
「無駄よ。この百年、俺たちが誰のために道具を拵えてきたと思ってやがる。魔境の最下層で蠢くバケモノ相手にも、どうにか対抗し得るように設えた特注品だぜ?」
激しい魔力のぶつかり合いの末、槍が薄い壁に弾かれた。穂先は欠け、力を込めすぎた持ち手にはヒビが入り、怒りからかマセリは額に血管を浮かせて獣のような雄叫びを上げた。
「す、凄いっす。あの攻撃を、薄い壁が防いだ。さすが師匠とおやっさんっす!」
「ガッハッハ、そう誉めんなよ。……しかしまぁ、そう悠長なことも言ってられんかもな」
えっほえっほと走りながら苦い顔であごひげに触れたゴルドフは、同じく生き写しのような苦い顔をするモルドフと、示し合わせたように、同じタイミングでふぅと息を吐いた。
「ホントんとこ言やぁよ、コイツは最後の手段ってやつだ。本来なら、”排除くん”だけでどーにかなると踏んでたが、少しばかり想定が甘かった。ちぃとマズいな」
「へ?」
「敵さんが強すぎる。それにあの数も想定外だ。イチルの馬鹿野郎、どうしてくれんだよ、あのボケナス」