【191話】わたしといっしょ
確かに槍は固いものに突き刺さった。
しかし彼女がまぶたを開ければ、微かにまだ景色は動いていた。それどころか、あれだけ暗かった上空はパァッっと晴れ、少し光が差し込んだかのようだった。
指先に触れたものが、指の腹をギュッと握り返した。
違和感にハッとしたチャマルは、自然と自分もその何かを握り返していた。
「やっぱり私はおバカさんです。大バカさんです。目の前で困っている誰かを見殺しにして、駄々をこねてばかりいるなんて。そんな姿を先輩がみたら、きっと私は怒られてしまいます!」
眩いほどの光が辺りを包み込んでいた。
しかもその光は、先程までの熱を帯びたものとは一線を画す、とても柔らかく、そして穏やかなものだった。
指先をそっと放したその人物は、ひらひらした服をバサリと翻し、立ちふさがる黒い壁を前に、堂々と正面に見据えて言った。
「アナタならできる。アナタなら絶対にできる。いつも誰かのために、いつも、誰かのために!」
白目を剥きつつ思いきり息を吸い込み、そのままブッフ~と全てを吐き出した。そして奥底に眠る魔力を充填するように全身へと張り巡らせ、かさついた両手をかざし、巨大な畝りを生み出した。
「ツルッツルの精霊さん、汝らを脅かす黒きモノをキュルキュルさせるべく、キュルルンキュルルンのキュキュルンルンさせちゃいなさい!」
「……え?」
あまりに不自然な言い回しに、チャマルの動きが止まった。
彼女の指先から放たれたうねりは、迫りくるモンスターの足元に張り付き、摩擦ゼロのツルツルな足場へと変貌した。面白いように転び始めたモンスターは、将棋倒しになりながら前方の集団を押し潰し、阿鼻叫喚の悲鳴と怒号を発する集団へと変わっていった。
「昔々、先輩は言っていました。馬鹿正直に攻撃するより、もっと違う手段を考えなさいって。アナタは変わった魔法が得意だから、人と違う方法で勝負するのよって!」
あれだけ勢いよく押し寄せていた波がたちどころに止まり、ブチブチとモンスター同士が折り重なり潰れていく。
ふふんと自慢げに腕組みをする人物。
言うまでもなく、フレア=ミア、その人であった。
しかし彼女が調子にのったのもつかのま、モンスターはなにも地面を歩くものだけではない。
空中からギャアギャアと下劣な声をあげて飛びかかってくる低ランクの飛行系モンスターは、策もなく、ただ真っ直ぐにミアめがけて身体を細めた。
槍のように飛びかかってくるモンスターたちに慌てたミアは、「なにかないかしら、なにかないかしら」と手足をバタバタさせながら、ポンとかしわ手を打った。
そして「ネバネバ」という単語が十回以上も入り乱れた異様な詠唱を唱えてから、真緑色の異臭漂う液体を敵へ向けて噴射した。
まるで網にでもかかったように、面白いように飛行系モンスターが捕獲され、地面に落下した。次々と落ちていく様は、虫除けスプレーで絶命した羽蟻のようだった。
「ぜんぶぜんぶぜーんぶ、私がやっつけてやります!」
たちどころにモンスターを退けたミアは、倒れたまま呆然としているチャマルへ手を差しのべ、「大丈夫ですか」と笑いかけた。気が抜けたようにブワァッと目に涙を溜めたチャマルは、差しのべられたポチャポチャの手を掴むこともせず、声をあげて泣いていた。
「恐かった……、恐かったよぉ」
大丈夫大丈夫と頭を撫でられ、少しだけ安堵した顔を見せたチャマルを背後に隠し、ミアはぐぐっと腕捲りして大きく三度深呼吸した。
敵は膨大。
どう考えても多勢に無勢。
普通に考えれば、勝てる見込みはゼロに等しい。
否応なく、額に汗は滲む。
今にも逃げ出したくなるのは必然。
しかし背後には、守るべき仲間がいた。
「あの頃の私は、守られてばかりでした。そして最後の最後まで、守られるばかりでした。先輩がいなくなってから、私、本当に脱け殻みたいでした。楽しかった日常も、ちょっと意地悪だけど頼りになる皆さんとのお仕事も、ぜんぶぜんぶ最高の思い出。最近ね、フレアさんのところで働き始めてから、ふとしたときに思い出すんです。ああ、なんか昔に戻ったみたいだなぁって。先輩や皆さんと一緒に過ごした日々は、私にとってかけがえのないものでした。だけど……」
全身に魔力をまとわせ、らしくもなく腰を深く構えたミアは、腹の底から「こぉいっ!」と猛った。そして速度を上げて迫る一団へ向け、連続で魔法を放った。
「ピートさんは、あんなふうに言ったけど……。だけど私は、今もまだ、みんなどこかで元気にしているって信じてます。だからまた、私がずっと頑張っていたら、いつかきっと、皆さんとまた会える気がするんです、絶対に!」
くるくると回転しながら不格好な躍りを舞い、見るも無惨で難解な魔法の数々が放たれるたび、モンスターたちは不思議と足を止めてしまう。誰にも理解不能な異常すぎる攻防は、その場にいた全ての者たちの度肝を抜いた。
どうにか足止めに手を貸す門番たちも、いつしかミアの後ろ姿を見つめながら、両腕を掲げ、応援していた。
「だから、また皆さんに会ったとき、胸を張って"私は頑張りました"って言えるようにって思ったんです。それに、……それに!」
今度は泣きじゃくるチャマルの手をしっかりと握り、抱き寄せるように引き起こした。そして梅干しを食べたような顔でポンポンと彼女の背中を叩きながら、「本当に嬉しかったから!」と声を上げた。
「うれし、……かった?」
「私、ホントはスゴく嬉しかったんです。あんなふうに二人でご飯を食べて、普通にお話できたこと。だって、だって」
「え?」
「だって、きっと……。アナタは、私と一緒だから!」