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【190話】愛を与えてくれたヒト


 撃鉄を落とすようなガチャンという音に続いて、七色に輝き始めた魔道具が、俺に近付くなと言わんばかりに高周波を鳴らした。しかしそれすら目に入らず、魔道具の後ろで祈るようにしゃがみこんだチャマルは、いよいよヒビが入り始めた壁を前に、大声で叫び続けた。


 鼓膜をつんざくほどの低音とも高音ともとれない超音が周囲を包み、これまでで最も巨大な閃光が放たれた。光に飲み込まれたアンデッドの群れは溶けるように蒸発して消え失せ、迫っていた集団が一瞬にして消し飛んだ。


「や、……やった、やったよ」


 衝撃は凄まじく、既に弱ってボロボロになっていた城の壁が崩れ、一部が崩落して壁の向こう側が(あらわ)になった。壁一枚で塞がれていた鼻をもぎ取るほどの死臭が流れ込み、チャマルは思わずえずいてしまい、しゃがんだまま、胃の中のものを吐いてしまった。


「エホッ、ゲホッ、ウゥォッ、ヒグッヒグッ」


 しかも無情なもので、死臭の後に、また続いてやってくるものがあった。それは臭いのさらに奥で蠢く、亡者たちの行進だった。


 確かに押し寄せていた最前線のモンスターは排除した。しかし後方で待機していた者たちは、今や遅しと手ぐすねを引き、その時を待ちわびていた。


 もう力は使い果たしてしまった。

 あれほどの熱と輝きを放っていた魔道具も、今や光を失い、充填に必要な魔力も尽きてしまったようだった。動け動けと叩いてみるが、うんともすんともいかず、もはや攻撃の手段としての役割を終えたようだった。


「そん、な……。アタシ、もうどうすれば」


 芯の芯まで燃やし尽くした体は、この場から動くことさえ叶いそうもない。笑いっぱなしの膝は、自重を保つことすらできず、膝を擦ったまま這いつくばることすら苦労するほどだった。


 しかしどれだけ足掻いたところで、あらゆる隙間を縫って聞こえてきてしまう。少しずつ近付いてくる、黒く密集した化け物たちの声が……


「なんでっすか、どうしてっすか。アタシには、普通の幸せも分けてくれないの? 理不尽すぎるよ、こんなの」


 ポロポロと涙を流して地面を叩いてみても、もはや何も好転はしない。


 次第に近付く足音は、大きすぎる絶望感を全面に押し出し、映る全てが黒山の化け物だかりとなって不機嫌な微笑みを彼女の心に植え付けた。


「バカみたい。必死に足掻いて、もがいて、バタバタしちゃってさ。でもやっぱり、どうにもならないんだね。……あの人と一緒だね、アタシ」


 薄れ、消えかけていた記憶が蘇り、フラッシュバックのように浮かんでは消えた。ただその風景のどれもが、ただ幸せだった一瞬を切り取ったように鮮やかで、自分の人生にはこれほどの幸福があったのだと気付かされるには十分すぎるほどだった。


 触れた指先の記憶ーー


 あまりにも自然な笑みにふれた最期の時。


 たったそれだけの時が幾度も連なり、何層にもなって折り重なった。そうして自分も、あの人と同じように死んでいくんだと覚悟したとき、自然と涙は止まっていた。


「守るんだよ。私を愛してくれた、みんなのことを」


 地鳴りのような足音が響くたび、壁の穴は広がり、視界も広くなった。さらに押し寄せた一団の足取りは早まり、既に数十メートルのところまで迫っていた。


 横一列に並んだモンスターは、手にした旧時代的な武器を肩に担いだまま、いつ振り下ろそうか、虎視眈々と準備を整えていた。中でも先頭の数匹は、既にチャマルをターゲットとして捉え、手のひらでポンポンと武器をバウンドさせていた。


 膝を思い切り叩いたチャマルは、魔道具にもたれかかって歯軋りしながら立ち上がった。一歩でも踏み込もうものなら顔面から倒れてしまいそうなほど体は限界で、全身から冷や汗なのか、異様なほどの汗が吹き出していた。


 滴る額の汗を拭って魔道具のコアを持ち上げたチャマルは、ふぅふぅと肩で大きく息をしながら、武器代わりに身構えた。いよいよそれを投げれば届くほどの距離に到達した敵の集団は、誰かの指示を待つようにピタリと制止した。


 もはや万策尽き果てた。

 できることは、死ぬ気で足掻くことのみだった。


 狙ったように一斉に走り始めた亡者の列は、一目散にチャマル目指して向かってきた。血に飢えた猪のように鼻を鳴らしたチャマルは、「あああああああああ!」と叫びながら、迫りくるゾンビ兵に向かって飛びかかった。


 振り下ろされた錆びた剣先が額を(かす)り、血が吹き出した。それでも手にしたコアで相手の頭を殴り付けたチャマルは、必死の抵抗で最初の二体を叩き伏せた。しかし後続の複数体によって持ち上げられると、そのまま高く掲げられ、下から剣を突きつけられてしまった。


 万事休すだった。

 腹を狙った剣先が勢いよく伸び、どうにか体を捻るも、横腹に突き刺さった。痛みで顔を歪めたチャマルは、離せ離せと暴れたが、多勢に無勢なのは変わらなかった。次々に迫る剣先が全身に刺さり、ボタボタと血痕が辺りに散った。


「嫌だよぉ、まだ死にたくないぉぅ」


 蚊の羽音に掻き消されてしまうほどの声で嘆くが、ガチガチと関節を鳴らす亡者の異音はそれすらも許さない。激しく地面に叩きつけられてしまったチャマルは、背中を打ち付け、そのまま仰向けに倒れてしまった。


 血溜まりの中心で空を見上げたまま、周囲をアンデッドの大群が取り囲む。それら全ての個体が天高く槍を構え、倒れて横になっている、たった一人のドワーフを串刺しにせんと狙いを定めていた。


 動く気力が尽きたチャマルは、朧気な視界の中、あの日の夢を見ていた。




 ―――― さま




 初めて私に愛を与えてくれた人

 所詮(しょせん)は一貴族の、打算的な気まぐれだったのかもしれない。


 しかしそれでも思い浮かんだのは、彼が最期にみせた笑顔だった。



 微かな視線の先へ伸ばされた指先をめがけて、彼女もそっと手を差し出す。


 もう一度、あの人のもとへ。


 彼女の中に眠っていた、ほんの少しの願いを掴まえるようにーー



 頭上の景色は完全なる闇に覆われ、ゴキブリのように蠢くただただ黒い塊たちは、彼女の腹の真ん中だけを狙って槍先を身構え、ついに振り下ろした。彼女の指先を軽く弾いた数多の槍は、そのままドスドスと鈍い音をたてながら突き刺さった。



「あ、ああ……」



 あの人がみた最期の景色も、きっとこんなふうだったんだろうな。腹を貫かれ、胸の中で死んでいった男の顔が、焼き付いたように離れなかった。




 しかし――






   させません





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