【186話】パヒュン
○ ○ ○ ○
「おっと、こ~れ以上は見せられません。ウチもお客様あっての商売ですからね、中の中まで見せてしまっては商売上がったりだ。ここから先は、お代を頂戴してからです」
調子の良い台詞で言葉巧みに手招く使用人に釣られ、また新たな客が屋敷へと招かれていた。それなりの手練れらしき女連れの冒険者は、身に付けた盾に属性を付与してほしいと依頼しているようで、屋敷が一つ買えてしまうほどの金額を用意していた。
「これはこれは勿体無い。本当にこんなにいただいてしまっても?」
「こちらが言う能力が手に入るのであれば、この程度安いものだ。ただし、それなりの物でなければ納得はせん。心に刻んでおけ」
約束の期日を告げ、使用人が軽く手を振った。女連れの冒険者たちは、満足したように頷き、声高に笑いながら帰っていった。
その様子を裏手から覗いていた領主は、金を受け取るとすぐに、ドワーフの女を連れて商談の部屋を出た。これからしばらくの間は身を隠し、火の粉が届かない場所でだんまりを決め込むだけとほくそ笑み、上機嫌に女の鎖を引っ張った。
「まったくバカな奴らめ。これだから冒険者という人種を騙すのはやめられんのだ。キサマもそう思うだろう、愚かなドワーフ女め」
さっさと歩けこの金ヅルめと女の頬を掴んだ領主は、逃げる準備を進めるため、屋敷へ戻るなり召使いを呼び出した。体罰により痛め付けられ、ぼっこりと腫れた顔で現れた召使いの男は、卑屈すぎる顔で女の鎖を受け取り、「はい、ご主人様」と、さらに鬱屈とした声で返事した。
「キサマらはいつもの小屋で身を隠していろ。当然、俺がいいと言うまで出てくることは許さん。しっかりとその無能を見張っておくんだ。さもなければ……」
召使いは額に冷や汗を溜めながら「ひゃいッ!」と返事をした。どうやらこってりと罰を受けたようで、反論する気力すらなく、とぼとぼと女を連れて屋敷を出ていった。
「ではさっさと事を進めるか。おいお前、例の男は準備できているのだろうな?」
別の使用人に声をかけた領主は、連れられるまま屋敷の一室に入った。そこでは多くの下女が部屋の中央に立つ人物のために着付けを手伝っており、慌ただしく準備が進められていた。
「ほ〜う、それなりの格好をさせれば奴隷もそれなりに見えるものだ。おいキサマ、こっちを見てみろ」
領主が声をかけると、端正な顔に短く揃えた髭を蓄えた人物が振り向いた。
貴族階級を思わせる身なりに清潔感を漂わせた男は、コツコツと踵を鳴らして領主へ歩み寄ると、大袈裟に会釈をしてみせた。
「まさか奴隷の私をこれほどまでにお引き立ていただけるとは、この上なき喜び。このご恩は、一生をもって代えさせていただく所存でございます」
「畏まらなくてよい。それよりも、お前はこれから私の言う場所へ赴き、私の代わりに仕事をしてもらう。良いな?」
「ありがたき喜びでございます。して、何をすればよろしいのでしょうか?」
「別に何も。なにもせずともよい。お前はその場所へと赴き、ただやってくる者たちの愚痴を聞いてやればよいのだ。もちろん、時には辛いと感じるときがあるやもしれん。そんなときは、私への恩を胸に乗り越えるのだぞ」
ポンポンと元奴隷の肩を叩いた領主は、男の身なりを整えるふりをしながら奴隷の後ろ側に回り込んだ。そうして襟首に触れ、隠しきれない口許の緩みを誤魔化すように咳払いをした。
「……おや、随分と嬉しそうですねぇ、ご主人様ぁ。どうかなさいましたか?」
背中越し、不意に元奴隷に声をかけられた領主は、額にしわを寄せ、「楽しそうだと?」と聞き返した。
元奴隷は、「ぷくく」と吹き出したように肩を震わせてから、そのまま首の関節が外れたかのような音を鳴らしながら、顔だけを真後ろの領主へと向け、悪魔のように口角を上げながら言った。
「みぃつけた、デヒヒヒヒヒ」
ギュルンと伸びた首が元に戻るのを目撃し、領主が腰を抜かして尻餅をついた。
あまりの不気味さに飲まれ、その場の全員が言葉を失い立ち尽くしていた。
その様子がよほど愉快だったのか、耳をつんざくほどの声で笑い始めた元奴隷は、紅潮していく不気味な表情もそのままに、ボキボキと身体を鳴らしながら少しずつ肉体を肥大化させた。続けて上半身の服が裂けて弾け飛ぶと、肩甲骨の辺りから鬼のような太い腕が六本生え、たちどころに変色し、紫色の禍々しい魔力をまとった。
「無垢な素人を騙す悪い子は~、夜中殺しにくるんだよ~♪ デヒ、デヒヒヒヒ」
冗談のように軽く振るった指先がパヒュンと下女の首を跳ね、血が飛び散った。
途端に上がる悲鳴が追い付く間もなく、領主以外の全員を一瞬のうちに葬った元奴隷は、化け物と呼ぶに相応しい顔を寄せ、「場所、変えよっか?」と悪魔のように微笑むのだった。