【176話】三つの団子
数時間後 ゼピアの街――
感慨深さを内に秘め、眉をひそめて口を結んだ女は、喜びにうち震えていた。
それなのにひとっこ一人いない閑古鳥が鳴くほど静かな街並みは、過去の喧騒など忘れ去ってしまったかのように殺風景なものだった。
「ついに……、ついに私はたどり着いてしまったのだ。嗚呼、あの魔境の魔力渦巻く混沌の地へ!」
場にそぐわない分厚いグローブをギュッギュと握りしめ、フフンと鼻を鳴らす。
ただその異様な人物のことすら吹き飛ばしてしまうほど強い風だけが、虚しくも彼女を歓迎しているようだった。
鼻唄混じりで巨大な門の前に構えたところで、ようやく城門の上で油断して横になっていた門番が気づき、声をかけた。
「うん? 女ドワーフとは珍しいことで。冒険者か、それとも流れの行商人かい。どちらにしろ、そのナリでやってきたってことは、まだ現実を知らねぇってことか。ふぁ~、ねみぃ」
彼女のことをダンジョンが消失した事実を知らない遠方の行商人と判断したのか、門番はさっさと帰れと適当な対応をした。ムッとして頬を膨らませた女は、背負いこんだ巨大なリュックを担ぎ直し、目をひんむきながらクワッと宣言した。
「喧しかキサン、いいからさっさと門を開けとくれよ、ほれ早ーく!」
「いやいや、今さらここで店を開くなんざ無謀もいいとこだ。さっさと別へ行くこった」
「いいから、あ・け・ろ!」
半ば強引に城門を開けさせた女は、血走った目と鼻息荒い呼吸のまま門番へ通行証を差し出した。嫌々パスを受け取った門番は、情報と女の顔とを確認してから「名前を」と質問した。
「チャマルちゃん、チャマル・マルマンディよ。いいからさっさと通してちょうだいな♪」
はいはいと相槌を打った門番が扉を開く中、かつての華やいだ姿を想像して早足で駆け出したチャマルは、頭ほど大きなぼんぼりの髪を弾ませながら街へと飛び込んだ。しかしそこに現れたのは、空き家、空き家、空き家ばかりの人が減ってしまった寂しい街の姿だった。
「あちゃ~、やっぱこうなっちゃうよね~。ちぃとガッカリ」
はぁとため息をついたチャマルは、一旦背中の荷物を降ろし、思い切り背伸びをした。
そしていつか話に聞いた魔境の面影を想像し、額に手を当ててその名残りを探して回った。
「ここも、ここも、ここもあそこもあっちも、全部ぜーんぶなし、空き家、店なし、人もいない! 終わった、終わってるじゃん魔境!!」
王族が去り、貴族が去り、行商人が去った今、ゼピアの街に残っているのは、老人を始めとする彼の地へと渡る力や気力のないもの、闇に姿を隠す者、そして身寄りのなくなった子供などが大半だった。無駄に通る澄んだ声をした女が大声を上げるたび、ただただ残された建物の壁を伝って流れていくのだった。
「む~、やっぱもっと早くに見にきとくべきだったじゃん。それもこれも全部親方のせいだ、だってさ、じぇんじぇん休みくれないんだもん!」
なぜか力こぶを作って不敵に笑うモルドフ(親方)の姿を思い浮かべながら、団子を縦に三つ並べたようにプーと膨れたチャマルは、頭上のぼんぼりをポンポンと跳ねさせながら荷物を背負い、宛もなく歩き出した。
「う~ん、人はいないけど、土地と家だけは無駄に余ってるね。そんで、私はどこ行けばいいんだっけか?」
ハハハと空笑いしたチャマルは、人通りのなくなった街の外れで、誰かにアピールでもするかのようにくるくると回転しながら言った。すると彼女の後方15メートルほどのところで、まん丸な形をした巨大な影がゆったりと動いた。
「そんでさぁ、……チミはいつまでそうしてムスっと黙ってるわけ。いい加減、気持ち悪いんだけど、こっちとしてはさ」
嫌みな言葉にも耳を貸さずのっそり近付いた丸い影は、さも不機嫌ですと言わんばかりに無口を貫いたまま足を止めた。
仕方なく自ら歩み寄ったチャマルは、同じく巨大なリュックを背負って伏し目がちに地面を見つめる女の肩を叩いた。
「しゃ~ないじゃん、キミを連れてこなきゃアタシのクビが飛ぶって言われたんだもん。ま、理由は知らないけどさー」