【172話】意外すぎる偶然
隅で背筋を正し座っていた女は、目だけ動かし嫌味を言う男を見た。しかしすぐに目を逸らして俯いた。
「いつまでそうしている気だ。無駄に時間を潰したところで一銭にもならんぞ」
いじらしく否定の態度を変えないミアが背を向けた。しかしイチルに首根っこを掴まえられ、中央の椅子に座らされた。
「何するんですか、やめてください!」
「黙れゴミ虫、お前のようなわがまま女中を雇っているこっちの身にもなれ」
不貞腐れて頬を膨らましたミアは、それでも我を通し拒否をした。椅子の回りをカツカツ歩きながら息を吐いたイチルは、片付けられず散らかったままの備品を拾い上げながら呟いた。
「お前の過去に興味はない。過去に何があったかも聞かんし、踏み込む気もない。しかし働かない者を雇い続けられるほど、ウチに余裕がないのはわかっているな。ハッキリ言うが、お前の換えなどいくらでもいる。お前でなければならん理由など一つもない」
潤んだ目で唇を噛むミアは、それでも頑なに首を振って拒否した。ダンゴムシのように床を這い、隅に転がっていた魔法のリストを抱え込むと、また背中を丸めて蹲った。
「……無様だな。主君を守り抜くこともできず、そのうえ過去に囚われたまま身動きもできんとは」
顔を伏せたミアの手元からリストを取り上げ、泣きながら抵抗する彼女の動きを静止で止め、パラパラと捲った。そこにはミアが使用可能な魔法の他に、メモリーパックや過去の風景が拙い言葉で綴られていて、イチルは流すように一瞥した。
一目で身分を感じさせる清廉さをまとった人物の数々は、目前で無様に震える女とは似ても似つかない。よくもこれだけの者たちと寝食を共にしていたものだと呆れながら、最後に残ったページを開く。するとそこには泣き顔とは正反対な、子供のような笑顔で一人の女性に抱きつく彼女の姿が映し出されていた。
女性はミアと同じメイド服にも関わらず、純白のドレスに見間違うほど高貴で美しい人物だった。ハーフエルフ特有の美しい髪を丸く固め、その隙間からはピンと立った耳が凛と覗き、胸元にはアリストラ王国に忠誠を示す証である竜のエンブレムが象られていた。
「やめてください、勝手に見ないで!」
静止を解除しリストを取り上げたミアは、すんすんと鼻をすすりながらペタンと腰を落とした。
「嫌ならば、それでいい。しかしお前一人が抜けることで、どれだけあの二人の負担になるか、まさか理解していないわけではなかろうな?」
ハッと顔色を変えたミアだったが、再び顔を伏せた。
「ここからは独り言だ。……少し前にバカ男二人との通信が途切れた。俺はこれから様子を見るためパナパへ入る。ガキ二人はトゥルシロの拠点に押し込めてあるが、……わかっているな?」
俯いて返事もしないミアを残し、イチルはパナパへ向け出発した。
◆◆◆◆
「くそっ、動けねぇ。糞犬、よくもやってくれやがって、あ、んあアァアッ?!」
固定された足元の魔法が解け、バランスを崩しペトラが床を転がった。同時に拘束が解かれたフレアも、同じくバランスを崩して尻もちをついた。
イチルが本部を出てから半日が経過していた。本部に足止めされてしまった事実は重く、ただただ連絡を待つほかないもどかしさに焦がれた二人は、気持ちを制御できず、地団駄を踏むばかりだった。
「こうしちゃいられねぇ、すぐ俺たちもみんなを追うぞ」
転送装置を拾い上げたペトラは、これさえあればと準備を始めた。しかしイチルによって封じられてしまった装置を操作したところで、二人にそれを解除する術はない。
「フレア、どうにかしてコイツの封印を解く方法を考えるぞ。絶対に方法があるはずだ」
しかし反対に、フレアは意気消沈したような顔で相棒の肩に触れ、小さく首を振った。あの男がそんなに甘っちょろいことをするはずがないと心底理解している様子で、別の方法を模索するしかないと唇を噛んだ。
「だからってジッとしてられっかよ。俺は行くぞ、止められても行くんだからな!」
着の身着のまま飛び出そうとするペトラの腕を掴んで止めるが、その勢いは凄まじく、必死に踵でブレーキをかけるフレアごと引きずり小屋を飛び出した。
「待ってよ、私たちだけじゃ無理だよ!」
「いつからそんな腑抜けたこと言うようになりやがったフレア、無理でもやるんだよ!」
「無理なものは無理だよ。私たちのせいで、みんなに迷惑をかけてもいいの⁈」
「うるせぇ、迷惑かけなけりゃいいんだろ!」
ついにフレアの腕を振り払い、細い路地へ出たペトラは、背後走りしながら捨て台詞のように「じゃあな」と叫んだ。しかし直後、見通しの悪い路地を曲がったところで、何かとぶつかりひっくり返った。
「っってぇな、なんだっつーんだよ!」
硬い壁にぶつかったような感覚に襲われたペトラは、ふらつく頭をさすりながら頭上の何者かに悪態をついた。陽の光を背負っているにも関わらず、目を覆いたくなるような純白のなりをしたその人物は、あらあらとでも言わんばかりに、倒れた彼女へと手を差し伸べた。
「申し訳ございません。あまりに突然のことで、避けきれませんでした。私としたことが情けのない」