【167話】想定外の想定外
半全身タイツ状態の変質者にたじろぎ、弓を構えていた人影が明らかに狼狽えた。
その瞬間を逃さなかったモリシンは、大剣で自分の周囲に円を描きながら、絶対の不可侵領域を強調した。
「さぁて、どうしたもんか。叩き伏せて強引に話を聞くか、それとも」
「馬鹿言っちゃいけないよ、ムサヒュー。美しい女性に手荒な真似などできるはずがない。しかし――」
グンと膝を曲げて踏み込んだウィルは、弓を引き絞る兵を一人掴まえ、首元へ短剣を押し当てた。
「僕は男に興味がないんだ。邪魔する者は全て叩きのめすよ。それから彼女には、ゆっくりお茶でも飲みながら話を聞かせてもらおうじゃないか」
兵を盾にして迫るウィルに対し、女を始めとする兵がたじろいだ。
一歩も引かず対等に渡り合う二人は、どうやら手練の冒険者。
しかしすぐに頭を切り替えた女が腕を振り下ろすと、一斉に矢が放たれ、盾にされていた兵が串刺しにされた。
間一髪攻撃を躱したウィルは「味方になんてことをするんだい」と憤ったが、女は非情に口を結び直し、二人を睨みつけた。
「あまり調子にのるんじゃないよ。ここは余所者が土足で踏み込んでいい場所じゃないのさ。それに……」
胸元に手を入れた女が、取り出した何かを天高く掲げた。
その光景をマジマジと見つめていたウィルは、「おおっ!」を黄色い歓声を上げ、尊い者を見るように手を合わせ、祈りを捧げていた。
「気分良く饒舌に喋るのもここまでだよ。貴様ら程度じゃあ、ここで生きていくことはできない」
女が不敵に笑った。
すると直後、二人の顔色が急激に曇った。
「な、なんだい、これは……?」
「か、身体が、……重い?!」
急激に重くなっていく身体に困惑し、二人は思わず結束し背中を合わせた。
なぜかまとっている魔力が低下し、半身タイツ状態だったウィルの身体も元に戻ってしまった。
「まさか、コイツは……」
『余所者を排除しろ!』
女の指示を受け、兵が一斉に矢を放った。
重い身体を強引に動かし、どうにか矢を弾き返した二人は、互いに背を合わせたまま身構えた。しかし用意周到に取り囲んだ兵は、一定の距離を保ったまま二人を執拗に追い詰めていった。
「おいムサヒュー、これは一体なんなんだい?!」
ウィルの質問に答える余裕なく、モリシンは大剣を振り回し、無数の矢を弾き落とした。しかし放たれる矢は途切れることなく、確実に二人を仕留めるために撃ち込まれた。
一本の矢がモリシンの肩に突き刺さった。
「うぐっ」と顔を歪めたモリシンは、これでは埒が明かないと、どうにか剣に魔力をため、飛んでくる無数の矢を一閃し、全方向の攻撃を避けるため、あえて壁を背負って体勢を整えた。
「こらムサヒュー、ちゃんと返事をしないか!」
「ちっ。まさかとは思っていたが、これほど早く体験することになるとは思いもしなかったぜ」
「体験だって?」
トドメを前に膠着した状態で、女が再び腕を掲げた。
距離を保ち矢を引き絞った兵は、再び二人に狙いを定めた。
「恐らく宝具の力だ。理由は知らんが、奴ら宝具を使っていやがる」
「ほ、宝具だって?! ……ところで宝具とはなんだい?」
再び矢が放たれた。
しかし胸前で器用に大剣を回して躱したモリシンは、期せずして追い込まれてしまった現状を嘆きながら、不敵に笑みを浮かべた。
「だーから言ったんだ、相手のテリトリーで勝負するのはナシだってな。しゃーねー、奥の手だ」
大剣を地面に突き刺したモリシンは、眼光鋭く女を見つめた。
そしてわざとらしく視線を逸らし、明後日の方向へ女の視線を引っ張った。
女が気をとられた一瞬の隙をつき、剣の柄に魔力を流し込み、地面を叩き割った。
足場が崩れ、巨大な岩が周囲に飛び散った。ウィルの首根っこを掴んだモリシンは、さらにもう一発地面を叩き、目隠しの岩と砂の粒を大量に飛ばしながら、退路を模索した。
「急に何をするんだい、ムサヒュー?!」
「黙ってろボケナス、って、……オウェェェ?!」
逃げ場所を模索していたモリシンが激しくバランスを崩した。
それもそのはずで、地下の岩盤を砕き、それを隠れ蓑にして逃亡を謀るつもりだったはずが、まさか自分の足元が、完全に底が抜けるなどとは思っていなかったからだ。
「んなバカな?! 底が消えた!」
「どんな馬鹿力で砕いたんだよ、馬鹿!」
たかだか数メートル四方の瓦礫を飛ばすはずが、ズドンと抜けてしまった足元に吸い込まれて落下した二人は、穴を覗き込む女たちを頭上に残したまま、落下する瓦礫の合間に身を隠した。
「下に逃げたぞ!」と叫ぶ女の声が遠ざかり、未だ地の底へと落下を続ける二人は、真っ暗な闇の中へと吸い込まれていった。
「こんなの聞いてないぞ、ムサヒュー!」
「知るかそんなこと。しかしラッキーじゃねぇか、どうやら逃げ切れたようだぜ」
地下へと落下していく二人を追うのを諦めたのか、女の声は次第に遠くなっていった。
しかし代わりに、行方も知れず落ち続ける自分たちの行末に、二人は天を仰ぐしかなかった。