【161話】地下空間の異変
声はムザイたちのいる空間と少し離れた闇の奥から聞こえていた。
悲鳴のような声に異変を察知したプフラは、すぐにマリヤーラを自分の背後に移動させ、両の腿裏に隠していた暗器を両手に構えた。
「ここには我らジャワバの民しか踏み入ることができぬはず。一体何者……」
プフラの相槌が終わるのも待たず、辺りを照らしていた光が消えた。
共々が凝視に視界を切り替える中、隙をつき、一気に距離を詰めた何者かがプフラに斬りかかった。しかし唯一反応していたロディアは、賊が突きつけた喉元のナイフを蹴り上げた。
「うぐぅっ?!」
刃先が微かに皮を破り、プフラの首から鮮血が飛び散った。
既のところで攻撃を躱した三人は、すぐに距離を取り、離れた賊の行方を見失わぬように、激しく視線を交互させた。
「危なかった、貴女の反応が遅れていたら首を切られていた。すまない」
「礼など言っている場合か。……くるぞ!」
人の発する圧がフロア全体を覆い尽くすように、ぞろぞろと押し寄せた黒服の集団が広間の入口を占拠していた。統率の取れた一個小隊は、逆扇の形で距離を保ちながら、一ヶ所に集まったムザイらジャワバ兵を見据えていた。
「どこのどいつだ……、と聞いたところで答えちゃくれないか。プフラにはわかるのかい?」
止血を終えたプフラにムザイが訊ねた。しかし女は首を横に振った。
「闇に紛れる黒で身を包み、用意周到に侵入してきた狡猾さ。一瞬の隙を逃してもなお深入りせず好機を待つ余裕度。どれをとっても先程の烏合の衆とは雲泥の差。明らかに計画された襲撃だろうな」
「警戒していたつもりですが、やはりつけられていましたか」
「そのようだな。で、どうするんだ?」
ムザイの質問に対し、主君に被害が及ばぬように目配せしつつ、プフラは武器を構えた。
「どのみち簡単に逃してはもらえないでしょう。やるしかありません」
「良いねぇ、なら今度はそちらさんのお手並み拝見といこうか」
状況に臆することなく笑ったムザイは、一歩身を引き、わざとらしく腕組みした。
その間にマリヤーラの背後に回り込んだロディアは、男の耳元でぼそりと囁いた。
「賊に宝具を使用しろ、すぐにだ」
「わ、わかった」
マリヤーラは再び石を掲げ、賊へ向けて宝具を作動させた。
しかし黒服の集団は一切問題にせず、ジリジリとにじり寄った。
「……決まりだな。ナダン以外の何れかだ」
マリヤーラを背後へ押しのけたロディアは、ムザイの隣に並んで相手の出方を窺った。
ジャワバ兵との睨み合いが続いた数秒後、先陣を切りプフラが動いた。
「紫の炎」
地面に手をつき、地の底から紫色の炎を発したプフラは、一斉に飛び上がる黒の集団へと追撃の炎を放った。しかし統制の取れた動きで巧みに攻撃を躱した集団は、空中でフォーメーションを取りながら、手にした暗器に魔力を込め、反撃の狼煙を上げた。
恐るべき速さで投じられた刃の数々が兵を襲い、複数の唸り声が響いた。数名が相手の攻撃に倒れ、一瞬にして地面を転がった。
「……くッ、強い」
退路を塞がれ、状況は明らかに不利だった。しかし地の利は自分たちにあると一列に並んだジャワバの兵は、プフラを先頭に初めて陣を構えた。
それぞれが指先から細かな粉を振りかけると、地面からニョキニョキと光り輝く武器が生えてきた。専用の装備を握った兵は、まだまだ勝負はこれからだと呼応し発破をかけた。
襲いかかる黒の集団を迎え撃ち、兵は一斉に武器を振るった。
混戦の様相を呈した争いは凄まじく、互いに一歩も引かず武器や魔法をぶつけ合った。
序盤は黒の集団に押されていたジャワバの兵も、次第に冷静さを取り戻し、互角の状況に持ち込んでいった。
「怯むな、それぞれの力を集結させれば必ず勝機は訪れる。臆さず冷静に対処するんだ!」
もともと少数精鋭であるジャワバの結束力は強く、統制の取れた相手であっても、容易く打ち破れるものではない。いよいよ地下の侵入口まで集団を押し戻したジャワバ兵は、ロディアらの力を借りることなく互角に渡り合っていた。
「やるじゃないか。さすがはパナパのダンジョンに関わる冒険者といったところか」
様子を窺っていたムザイがふふんと鼻を鳴らした。当然だと顔色一つ変えず大きく息を吐いたマリヤーラは、兵を鼓舞するように大きく腕を掲げ、「押し返せ!」と号令をかけた。
勢いを増した兵たちが、黒の集団を追い込んでいく。
そしていよいよ地下空間の端にまで追い詰め、反対に周囲を取り囲んだ。
形勢は逆転した。
初めて表情を崩したプフラは、ここでとどめを刺すと息巻いた。
その直後だった――
黒の集団の中央に立っていた男が、徐に高く何かを掲げた。
本能的に距離をとったジャワバ兵は、男の仕草に警戒心を強めた。
「あれは……、退魔宝具か?」
男の手に握られていたもの。それはマリヤーラが持つ石に似たアイテムだった。
アイテムが明らかになるなり、警戒心はすぐに薄れ、反対に追い風となってジャワバ兵の背中を押した。大前提として、宝具は五国を除く他国の者にしか通じず、効力がないことを知っていたからだ。
だからこそ男の行動が虚仮威しでしかなく、意味がないことを理解していた。
はずだった――
「一気に落とす、決して手を緩めるな――……ッ?!」
勢いそのまま、プフラが勝負を決めるため武器を振りかぶった時だった。
これまで僅かながら上回っていたはずのジャワバ兵の動きが鈍り、黒の集団が一気に取り囲む兵の圧力を押し戻した。
事態を理解できず困惑した兵たちは、瞬く間に元いた広間へと押し戻され、壁を背負い、再び取り囲まれてしまった。
「な、なんなのだこれは、身体が、……重い?!」