【148話】それぞれの思い
「かがや、……なんだって?」
「エターナルがあった頃は、悲喜こもごも全ての感情が入り混じったカオスがここにはあった。全てを投げ売ってでも手にしたい称号が、目の前に存在したからだ」
「それがなんだってんだよ……」
「俺はな、……いや、違うな。俺たちは、もう一度そんな場所を作りたいんだ。俺が初めてフレアの理想を目にした時、俺の中で何かがパンと弾けた。俺がずっと追い求めてきたものは、もしかするとフレアの中にあるんじゃないかとな」
「それはお前の一方的な思い込みだ。あの子が求めているわけじゃない」
天を仰いだイチルは、持参した書類の最終ページを捲ってみせた。
そこには確かに、フレアの手によって記された力強い筆跡の文字が書き込まれていた。
「確かに俺はずっと下にこもりっきりで、マティスみたいに世界の情勢なんか知らねぇよ。だがな、ウチの奴らは俺とは違う。必ず立ちふさがる障壁を打ち破り、天辺へ辿り着く最適解を見つけ出すぜ。俺なんぞじゃあ考えもつかねぇような、そんな未来を必ず創り出す。お前だってなんとなく気付いてんじゃねぇのか、奴らの馬鹿げた才能をよ?」
「うぐっ」とマティスが言葉を噤んだ。
するとまるでタイミングを謀ったように、何者かが外扉をコツコツと鳴らした。
「おーい、そろそろ話はついたかー。……んだよ、難しい顔しやがって。まーだ揉めてんのかよ犬男」
勝手に入ってきたのはペトラだった。
続いてフレアやムザイなども部屋に押し入り、何事だとマティスが表情を曇らせた。
「で、ちゃんと謝ったのかよ犬男。いつもわがまま言ってすみませんマティスさーん、て」
まるで年下の子供に言い聞かすようにイチルの腰を叩いたペトラは、近くで購入してきた差し入れをわざとらしくマティスの前に差し出し、「これでおひとつ」とイタズラに笑った。しかし――
「イチル、この際だ、彼らにも直接聞いてみようじゃないか。お前の独りよがりで無茶を強いられている彼ら自身にな」
横並びになったペトラやフレアを険しい目で順繰りに見つめたマティスは、まず始めに最もランクの高いムザイに尋ねた。
「キミは前も、その前の時も、相当な無茶を強いられたと聞いているよ。今後もコイツの下で働くということは、常に命の選択を迫られるということだ。その覚悟はあるのかい?」
マティスの質問に少しだけ視線を上げたムザイは、軽く首を振りながら天を仰いだ。
「悪いが冒険者になった時点で、死に場所は自らの意思で選択すると決めている。そんなものはここへやってくる以前の問題で、たとえ死んだとしても自己責任だ。犬男どうこうの話ではない」
うぐっとたじろいだマティスは、目標を変え、ウィルに同じ質問をした。
ウィルは「ハハハ」と誤魔化しながらも、自分の胸に手を当てながら言った。
「そうだなぁ……、だったら少しだけ僕の話を聞いてもらおうか。僕にはね、昔からどうしても叶えたい夢があったんだ。しかしいつからか、そんな夢のことなど忘れて過ごすようになっていたよ。しかしね、ここでみんなと過ごすようになってから、なんだか最近その夢のことを思い出す機会が増えたんだ。……よくよく考えてみるとね、きっとその夢が少しずつだけど近付いている実感があるからじゃないかと思っているんだ」
「へ~、バカウィルにも夢なんかあるんだ。どんな夢だよ?」
「ペトラちゃんやみんなには内緒さ。でも最近ね、僕の夢は、ここにいればいつか叶う気がしているんだ。だけどそのためには、普通じゃ想像もつかないような馬鹿げた課題もクリアしていかなきゃならない。……しかしね、僕くらい圧倒的なスケールの持ち主なら、いつだってそんなもの優雅に飛び越えていくものだろう?」
「……なに言ってんだ、やっぱバカウィルだな」
「とにかくさ! 僕はここで、僕の目指すべきものを見つけるよ。そのためには、どんな苦労もいとわないと決めたのさ。格好いいだろう?」
ペトラにスネを蹴られピョンピョン飛び跳ねるウィルを諦めたマティスは、挙動不審にオロオロしているミアを次のターゲットに捉えた。
「ならキミはどうなんだい。今回のことで、リールの街の者たちとも、いたく揉めたと聞いているよ。一つ間違えば死んでいてもおかしくないと言う者もいた。そこまでして彼らと働く意味などあるのかね?」
マティスの剣幕にしてやられ、あわあわとその場で足踏みしたミアは、何を答えてよいのかわからず口ごもった。しかし両サイドからフレアとペトラが身を寄せ、落ち着いてとミアを見上げた。
二人から勇気をもらったミアは、唇を震わせながら、静かに話し始めた。
「あ、あの、私は、難しいことはよくわかりません。でも、ここでお仕事をさせていただくようになってから、毎日が本当に楽しいんです」
「楽しい? ……あれだけ酷い目にあったのに、ですか」
「私、これまでずっと、誰からも必要とされずに生きてきました。でもランドにきてからは、フレアさんや、ペトラちゃんや、ウィルさんやロディアさんやムザイさんもみんなみんな、私のことを必要だと言ってくれます。そんなこと、これまで生きてきて初めてだったんです」
「しかしそれなりに傷つき、それなりの苦痛もあったことでしょう。これからだって、きっと貴女は辛い目にあったり、時には酷い仕打ちを受けることだってあるかもしれない。それでも良いと?」
これまでずっと慌てていたミアは、初めて真っ直ぐにマティスの目を見て答えた。
「きっと大丈夫です。皆さんと一緒にいられるなら、私、どんなことでも我慢できます。それに……」
「それに?」
「これまでずっと、私は自分が何のために生きているのかわかりませんでした。時には私のことを、慈悲深く助けてくれる方もおりました。けれど……、私のことを心の底から頼ってくれた方は、一人もいませんでした。……だけど今は違うんです」
足元のフレアとペトラを交互に見つめたミアは、グッと口を結び、堂々と宣言した。
「きっと私は、今この時のために生かされてきたんだと思います。だからこそ、今私と関わっている全ての皆さんのために、生きてみようと思うんです」
フレアがミアの太ももをギュッと抱きしめた。
ニッコリ微笑んだミアは、「だから、どんなことがあっても大丈夫です」と最後の結論を付け足した。
マティスは、あまりに想定外な皆々の言葉に面食らいながら、それでもと残しておいた子供二人に語りかけた。
「……しかし、まだ肝心のキミたちの言葉を聞いていなかったね。この際だからハッキリ聞かせてもらうよ。キミたちは、一つ間違えばすぐ隣に死があるということを、本当に気付いているのかい?」
「おい」と語気を強めたイチルを背中に隠し、マティスは改めて二人に確認した。
未だどこかで、自分の意思ではなくイチルによる強制で動かされていると信じて疑わないマティスは、強い言葉で二人に尋ねた。しかし――