【144話】子供たちの見学会
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「ようこそおいでくださいました。さぁさぁこちらです、お足元をお気をつけて」
そう言ってフレアの手を取った老齢の紳士は、右目に付けた丸眼鏡のような魔道具をカチンと正しながら一礼した。
見るからに貴族ですと疑わないきらびやかな振る舞いや身なりは荘厳で、否応なく緊張したフレアは、「ハヒィッ」と舌を噛みながら返事をした。
「そう緊張なさらなくて結構ですよ。たかだか一魔術院の見学なのですから。ありがとうクレイル、ここからは私が案内いたします」
クレイルと呼ばれた老齢の紳士は、柔らかな会釈とともにフレアに小さく手を振った。
何度も頭を下げて礼を言ったフレアは、ほら早くと呼ぶエミーネに招かれるまま、ヴィクトリアン様式に近い威厳ある佇まいの講堂を抜け、先に待ち構えていた教員用の研究棟に入った。
魔法に縁のなかったフレアにとって、研究棟の中はあまりに現実離れしていて、見たこともない不思議なアイテムや、得体も知れないモンスターの姿などに遭遇するたび、足を止めて息を飲んだ。
「そんなに珍しいかしら? 私からすると、ゼピアの街の方がよっぽど不思議に溢れているけど」
「そんなことありません。どれもこれも、とっても面白くって新鮮です!」
「そう、それなら良かったわ」
ニコリと笑ったエミーネは、備品の一つひとつを嬉しそうに見て回るフレアを、自分の研究室へと案内した。しかし研究室に近付くにつれ徐々に下がっていく気温に気付き、フレアの顔も次第に険しくなった。
いよいよ扉一枚の場所に迫った頃には、きらびやかだった外の空気とは一転し、辺りはどこか禍々しいほど茶色に沈むような違和感に包まれていた。思わず尻込みしたフレアは、先に進むのを躊躇し、足を止めた。
「ああ、ごめんなさいね。私が扱ってる研究テーマが少しアレなものだから、ほかとちょっと雰囲気が違っていてね。大丈夫大丈夫、怪我したりしないから」
エミーネが率先し、大袈裟にただいまと挨拶しながら扉を開けた。
すると中から地獄へ引きずり込むような黒く不吉な影が伸び、エミーネの身体全体に巻き付くように、彼女を部屋の中へと引っ張った。
「え、エミーネさんッ?!」
「ああ、これ? 大丈夫大丈夫、私の姿を見つけてじゃれてるだけだから。別に何も悪いことしないから平気よ。入って入って」
全身に怪しい靄をまとったまま進んでいくエミーネの背中を目で追いながら、ゴクリとつばを飲み込んだフレアは、意を決し目を瞑ったまま一歩を踏み込んだ。すると浮遊感を覚えるほどのナニカが下からまとわりつき、フレアの身体をゆったりと持ち上げた。
「エミーネさんッ!!?」
「大丈夫大丈夫、早くこっちよ、こっち」
微かに目を開け、ふんっと呼吸を止めたフレアは、小走りでエミーネの後に続いた。
建物の中にも関わらず、進むにつれて薄暗くなっていく室内は、いつしか苔むしたダンジョンのような風貌に変化し始め、ついには光一つもない洞窟のようになってしまった。
「ここって……、部屋の中、なんですよね?」
「そうよ。少しだけ魔力で広くしているけどね」
手持ちの照明に火をつけたエミーネは、ようやく落ち着きを取り戻したフレアを奥へと誘った。言われるままついて歩いたフレアは、そのあまりにもリアルな洞穴の風景に目を奪われ、キョロキョロと辺りを窺った。
「研究対象のモンスターや魔法の種類に応じて室内の環境も変えているの。今は長期間続いているダンジョンの主と、それに伴うモンスターに関する生態調査をしていたんだけど、今回のことで一旦研究はお休み。とりあえず、ずっとそのままにしてたせいで少し散らかっているけど我慢してね」
自然増殖した一種のモンスターのような霧があちらこちらに漂い、二人を遠目に覗いていた。
フレアは慌ててエミーネの側に寄り、数多ある視線を避けるよう影に隠れた。
薄暗い通路を辿り、少しだけ開けた空間が現れた。
空間の奥を照らしたエミーネは、「ええと……」と呟きながら壁に触れると、パッと通路に光が灯った。すると、近くに感じていた霧がサァッと引き、漂っていた陰鬱な空気が消えてなくなった。
「長期間不在にすれば、そりゃあこれくらいの闇は居つくわよね。ほら、その扉の向こうが私の研究用スペースよ、入って入って」
人工物らしきものがゴロゴロと地面に積まれているものの、どれもが苔に覆われ、何があるのかはわからなかった。
エミーネは、それらを足蹴にしながら道を作ると、徐に扉を開けた。すると図らずも、誰かが先にフレアへ声をかけた。
「お、やっときたな。遅かったじゃん、フレア」
声をかけたのはペトラだった。
一足早くエミーネの研究室を訪れていたペトラは、エミーネ用に設えられたふわふわな椅子に緊張感なく腰掛けながら、フレアに手を振った。
「こーら、ペトラちゃん。お招きしていただいてるんですから、もう少しちゃんとしなさい!」
へいへいと尻を掻きながらペトラが立ち上がった。
別に構わないよと荷物を扉の近くに置いたエミーネは、近くにあった椅子をペトラの隣に置き、「座ってて」と目で合図した。
研究用に使われているであろう大袈裟なテーブルが数個並べられ、その上では得体も知れない色をした巨大なフラスコのようなものがボコボコと音を立てていた。またその奥では、モンスターの剥製なのか、見たこともない巨大な生物が幾つも折り重なるように置かれていた。
一斉に並べられた剥製の不気味さたるや相当なもので、たった一つと目が合うだけでビクッと背筋を伸ばしたフレアは、なんの恐れもなく鼻に小指を突っ込んで楽しそうにしているペトラの図太さに呆れていた。
「すぐにクミル茶を入れるから待ってて。あ、ペトラちゃん、ウーゲルに餌あげてくれた?」
ペトラが指を丸にして返事をした。「ウーゲル?」と首を傾けたフレアは、すぐにギチギチと傍らで音を鳴らす存在に気付いた。
これまでに増してビクンと肩をすくめたフレアが「ギャー」と叫んだ。
すぐにペトラの背後に隠れ、ビクビクしながら触手を動かすそれを何度も指さした。
「あ、足がいっぱい! 足が、足がッ?!」
「うん、ああコイツ? コイツは甲虫百足のウーゲルくんだな。エミーネのペット兼助手だってよ。結構可愛いだろ?」
ペトラがウーゲルを持ち上げ、何十もの足が蠢く腹をフレアに突きつけた。すると再び悲鳴を上げたフレアは、近付けないでとエミーネの背後へ逃げ込んだ。
「なんだよ、フレアはウジャウジャ系のモンスター苦手なのか。こんなに可愛いのに」
ギュウギュウと嬉しそうに返事するウーゲルとじゃれるペトラの姿を、エミーネの背後から軽蔑したように凝視するフレアは、それをどけるまで私は近付かないと首を振った。
仕方なくウーゲルを所定の住処へと戻したエミーネは、クミル茶の入ったコップをテーブルの端に置きつつ話を振った。
「それでどうだった、ウチの魔術院は?」
再び椅子にふんぞり返って座ったペトラは、少し考えてから、「やっぱ勉強は面倒臭ぇや!」と笑い捨てた。呆れながら隣りに腰掛けたフレアは、ウチの従業員がすみませんと謝った。
「それにしてもビックリしたわ。まさか貴女たちが魔法を覚えて間もない初心者だったなんて思わなかったから。でも本当は、小さな頃から練習していたのよね?」
「だからしてねぇって。フレアはどうか知らねぇけど、俺は親もいねぇし、魔法に触れる機会なんてなかったしな」
「私もおんなじです。お父さんがいなくなってからは、私もずっと一人だったから」
初めて二人の境遇を聞き及び、エミーネが首を振った。
世の中にはまだまだ考えもしない奇跡が転がっているものねと、全てを飲み込んでから改めて二人に尋ねた。
「ならこの際だしハッキリ聞かせてもらおうかな。どう二人とも、ウチで一から魔法を学んでみる気はない? もちろん、アナタたちの仕事のことは心配いらないわ。ウチでもできる限りバックアップはするつもりだから」