【142話】人それぞれの好みがありまして
「いえ、……別に」
「用がないならお仕事に戻ってください。今のうちに地下空間のCからFくらいまで使えるようにしておかないと移転作業が滞ってしまいますし、ムザイさんにお願いしたいお仕事は、まだい~っぱいあるんですから!」
ふんふんと誤魔化すように頷いたムザイは、それでも部屋に居座り、チラチラとフレアの様子を窺っていた。眉をひそめたフレアは、「まだ何か?!」と、少しだけ語気を強めて言った。
「その……、アイツ……」
「アイツ? 誰のことですか」
「あのバカ……、いや、ザンダーの(超小声)……」
「あのバカ? なんですか、また犬男のことですか? 愚痴ならお仕事が終わってからゆっくり聞きますので、それはまたご飯の時間にでも」
「ザンダー! ……い、いや、……さっきフレアさん、ザンダーと喋ってたろ。……アイツ、なんか言ってなかったかなぁ、なんて……」
より一層眉をひそめたフレアは、ムザイの足元まで近寄り、腰に手を当て、下からムムムとムザイを見上げた。慌てたように目を逸らすムザイは、「さ~て仕事をしないと」と背伸びしながら誤魔化した。
「ザンダーさんは、犬男に用事があっただけだそうですよ。それが何か?」
「いやぁ、別に。そっか、犬男に用事か。そっかそっか」
スッポンというアダ名を持つ刑事ほどに目を細めたフレアは、身を低くしながらムザイの周辺を歩き回り、チラチラその表情を見つめた。時折嫌らしくフフンと笑みを浮かべるフレアに対し、ムザイは怪訝そうに顔を赤らめながら「なんなんですか?!」と聞いた。
「へんッ! 歴戦の殺し屋さんともあろう御方が、ま~さかまさか、可愛らしい乙女のお顔をしていらっしゃるものですからねぇ(ニヤニヤ)」
「なッ?! まさか、この私がそのような……。ふ、フレアさん、いくら貴女が雇用主とはいえ、それ以上の侮辱は許しませんよ?!」
「へっへっへ、そうでござぁますか。まぁよござんしょ、今度あの御人がいらっしゃいましたら、ムザイさんがお話をしたいと仰ってました、とお伝えしておきますね」
カーっと顔を赤くしたムザイは、「そんなことは断じてない!」と肩を震わせ事務所を出ていった。クククと意地悪く笑ったフレアは、そこでようやくふぅと息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかった。
「はぁ……、ちょっとだけ疲れてるのかなぁ、私」
フレアが年寄り臭く両の肩をくるくる回していると、徐にまた扉が開いた。
部屋を覗いたのはリールの少年ロイで、辺りを窺いながら、そろりと中に入ってきた。
「ええと、アナタは……ロイ君、でしたっけ?」
「ああ、そうだ。フレア……さん、ちょっと話があるんだけどいいか?」
仲間の子供たちの目を盗み事務所に入ったロイは、中からもキョロキョロ注意深く辺りを見回しながら、懐に隠していた何かをゴソゴソと取り出し、フレアのテーブルに置いた。
「……コレは?」
「頼みがあんだけどさぁ、コイツで俺のことをリーダーにしてやってくんねぇかなぁって」
「リーダー、ですか?」
「ほらぁ、リールの奴らのだよ。一応俺って奴らを引っ張ってきたリーダーじゃんか。だからそいつを、もうちっとハッキリさせときたくてよぉ」
ロイがそこまで言い終わると、また静かに扉が開いた。扉の隙間からはロイの仲間の一人が中を覗いており、ロイと目が合うなり、慌てて中に踏み込んできた。
「テメェ、ロイ。また一人で抜け駆けしようってんじゃねぇだろな?!」
「な、そ、そんなんじゃねぇよ! テメェこそ、何勝手に入ってきてんだよ!」
「うるせぇ! いつもいつも一人で良い思いしやがって、今度という今度は許さねぇかんな!」
二人の声を聞きつけ、別の仲間たちも一斉に事務所へ踏み込んできた。
自分をリーダーにと繰り返す子供たちに心底苛ついたフレアは、絶えず続いていた喧嘩の声を掻き消すほどドンと地面を鳴らすと、ピクピク血管を浮かせながら叫んだ。
「だぁまれクソガキども! それ以上騒ぐなら、全員まとめてクビにすんぞ!!」
すぐにシンと静まり返ったところで、仕事の進捗報告にきたペトラが不思議そうに事務所を覗き込んだ。いいからさっさと仕事に戻れと子供たちを持ち場へ散らせたペトラは、肩で呼吸しながら最高潮に眼を充血させているフレアの背中をドォドォとさすった。
「まぁそう怒るなって。最近ピリピリしすぎだぞ、フレアは」
「フンっ、みんな勝手なことばっかり言うんだもん。嫌になっちゃう」
ペトラになだめられるまま二人が深呼吸をしていると、再び事務所の扉が開いた。また面倒事かと猛禽類のような獰猛な目つきで睨みつけたフレアに対し、なんだなんだと苦笑いを浮かべながら入ってきたのはモリシンだった。
「うわ、またきたよジジイが」
「ジジイ言うな。こう見えて、まだバリバリの三十代だっつぅの」
やっぱジジイじゃんと文句を言うペトラを無視し、背中を伸ばしていたフレアに近付いたモリシンは、馴れ馴れしくテーブルの端に腰掛けながら言った。
「忙しそうにしてんじゃないの少女たち。感心感心」
「余計なお世話です。また邪魔をしにきたんですか?」
「そう言うな、互いに助け合った仲じゃねぇかよ」
そういうとモリシンは背中に隠していた冊子を取り出しテーブルに置いた。