【139話】312万とんで103ルクス
「312万とんで103ルクス。来週までにお支払いを、とのことです」
淡々と請求書を整理したムザイは、全てをきちんと並べてテーブルに置くと、一礼して部屋を出ていった。
黒目のない引きつった顔でひとり硬直したフレアは、並べられた紙の束を見る気力すら湧かず、静まり返った事務所の片隅で項垂れていた。
「おーいフレア、そろそろ準備できるぞ……って、また請求書見て凹んでんのかよ。しゃーないだろ、それなりに色々あったんだし」
「しょうがないじゃ済まないよペトラちゃん! だって312万ルクスだよ?! それだけあれば、中古の一番安いAM仮想の魔道具が普通に買えたじゃない!」
「いや、まぁそれはそうなんだけどさ……」
溶けるようにテーブルへ突っ伏したフレアは、このお金をどうしましょうと目を回した。
魔道具作りの事後処理や諸費用のことを考慮していなかったフレアとペトラは、想定を遥かに超える雑費を突き付けられ、途方に暮れていた。
「まぁそれはそれとして、ひとまずアレ、見てみようぜ?」
項垂れるフレアを連れて事務所を出たペトラは、地下空間Aと記された、いつも使っている地下のダンジョン領域の一角を訪れた。
そこでは既に集められた面々が今か今かと二人を待ちわびており、ようやく現れたフレアの姿にドッと湧き立った。
「随分と遅かったじゃないか、フレアさん。せっかくのお披露目だっていうのに」
嬉しそうにフレアの肩に触れたウィルを殺し屋のようにひと睨みしたフレアは、「ちっ」と舌打ちしてから、ずらっと並んだ面々一人ひとりに視線を這わせ、流し見ながら言った。
「260人分の食事代金に、不在中の設備管理費にモンスター管理費用、怪我の治療費に遠征費、設備修繕費に材料費、それに加えて雑費諸々、しめて312万とんで103ルクスですってよ。それなのにねぇ、……特にこの開発期間中の施設運営費の補填がなぜか不思議と一切ゼロ。……一体どうなってるんですかねぇ、皆さぁん?」
期間中も食事処だけは継続して営業する約束になっていたにも関わらず、ミアの不在により客足が遠のいた影響はあまりにも大きく、収入面で大きな損失を被っていた。
当然ながら従業員には周知の事実だったが、場は一瞬にして凍りついた。
必死に空気を変えようとペトラが取り繕うも、充血した目で睨みを利かすフレアの顔は、鬼のように強張ったままだった。
「百歩譲って治療費は仕方ないと思います。でも肝心なのはココですよ、ココ。追加の食材費、274万ルクス。……ミアさ~ん、お少しお話よろしいですかぁ?」
ミアの背筋がビンと伸び、恐ろしいほどの冷や汗を流しながらそっぽを向いた。
カツカツと近寄ったフレアは、直立し震えるミアの背中にもたれながら、にっこりと微笑みながら言った。
「街の子供たちをい~っぱい引き連れて、た~くさんお金も使って、楽しそうですよね~、ミアさん♪」
怯えすぎて錯乱状態のミアが泡を吹きながらひっくり返った。
もうそれくらいにしとけとペトラに押さえられたフレアは、全員をシャーと威嚇しながら、「これから沢山稼いでもらいますからね!」と猫のように爪を立てた。
「おーこわ。ブラック事業主が社員を恫喝とは、これいただけないねぇ」
萎縮する皆を無視して、何者かが地下に降りてきた。
欠伸しながら現れたのはイチルで、事務所に届いていた新たな請求書をフレアの額に貼り付けながら、ようやく完成したAM仮想の魔道具を覗き込んだ。
「おー、これが例の完成した魔道具か。なんだよ、それなりにデケェな。もっと小型化できなかったのかよ、えぇ?」
怒りで頭から煙を吐くフレアを押さえながら、ペトラが火に油を注ぐなと忠告した。しかし小さいことを気にするなと吐き捨てたイチルは、懐から取り出した分厚い紙束を適当に数えてから、半分ほどを床に捨て置いた。
「今回の遠征で手に入ったアイテムを売却して得た金だ。特別ボーナスとしてくれてやる。とっとけ」
誰よりも早く紙束にしがみついたフレアは、周囲にガルルと牙を立てながら、しばし紙の枚数を数えた。
するとこれまでの不機嫌などどこ吹く風、のほほんとしたいつもの表情に戻り、何食わぬ顔で「それでは魔道具を見てみましょうか♪」と微笑んだ。
「……もうなんでもいいよ。さっさと見てみようぜ」
呆れ果てたペトラは、気を取り直した面々の注目を集めてから、イチルを尻で押しのけ中央のボタンを押した。ギュウンと唸りを上げたAM仮想の魔道具は、地下空間Aの内部データを読み取ると、魔力プールから捻出した魔力を用いてモンスターのコピーを排出させた。
面々から口々に歓声が上がり、子供たちが指笛を鳴らして祝福した。
ホクホク満面の笑顔で何度も頷いたフレアは、「苦労した甲斐がありましたね」と、どこかの指導者のように胡散臭く手を叩いた。
「――と、まぁこれでひとまずAM仮想化は実現できたわけだが……。フレアよ、まさか忘れたわけじゃあるまいな?」
皆の喜びに水を指すようにイチルが言った。
引きつった顔でアゴを引いたフレアは、恐ろしく面倒臭そうに頷いた。
「遊んでる暇はねぇぞ。わかってると思うが、こいつぁダンジョン移転への第一歩でしかない。悪いがお前らも、まさか忘れちゃいないよな?」