【126話】緊張と緩和
「とにかく急いで止めないと。師匠がやらないなら、僕がやっちゃいますよ!」
「いや、ちょっとだけ待ってくれ……」
「もう待ってる時間なんてありませんよ。これ以上壁に突っ込まれたら、中の岩が崩れますって!」
ポリポリと額を掻いたイチルは、ムザイとロディアに呼びかけた。
「お~い、……さっさとアイツを倒せだってよ」
「か、簡単に言ってくれるな! あんな状態の敵に、わざわざ近付けってのかよ?!」
「……でもさぁ、これ以上暴れられると困るんだってさ」
「そんなこと知ったことか! そもそもだ、わざわざリスクを冒す意味がどこにある、貴様がいつも言っていることだろうが?!」
日頃から口酸っぱく頭を使えと繰り返してきた手前、一点の曇りもない正論を言うムザイに返す言葉がないイチルは、ムググと顔をしかめた。
いよいよ暴走を止められなくなったドラゴンは、一気に瓦礫深淵の崖際を上昇すると、穴の天井にあたる部分にまで到達し、無数にある穴に突進を始めた。
「ああッ! ちょ、マズいっすよ、瓦礫深淵の入口が壊されると、ここへ入ってくる道がなくなっちゃいますって。早くアイツを止めないと!」
「……ううむ。よし、と、とにかくお前ら、アイツを別の場所へ誘導しろ、もっと向こうで戦え!」
無茶言うなと渋る二人の背中を押したイチルは、とにかく急げと自分たちも穴の入口へと移動した。
その間も、逆上し敵味方わからず暴れたドラゴンは、目につくもの全てを壊さんと、理由もなく叫び続けていた。
「もっと下だって、下で戦え、下下!」
「ああもう、うるさいな。ゴチャゴチャ言うなら犬男も手伝え!」
噛み合わない口論を続けるうちに、偶然にもドラゴンの視界にムザイとロディアの姿が入ってしまった。
怒りに震え、燃え立つような赤色へと変貌したドラゴンは、穴の上部でぶら下がったまま口論する三人を一瞥するなり、これでもかと開いた翼を羽ばたかせ、錐揉み状に穴底方向へ飛んでいった。
「……うん? アイツ、下へ飛んでいったぞ。よし、今のうちにお前らも――」
そうイチルが言いかけた時だった。
急激に翼をはためかせたドラゴンは、身を反転させ、谷底方向から吹く上昇気流に乗り、一気に三人へ向け突進を開始した。
怒りに目が眩んだドラゴンは、三人に避けられることすら想定しておらず、これまでで一番のスピードで上昇すると、そのまま穴の入口にへばりつく三人の元へと突っ込んだ。
「ちぃっ、とにかく一旦穴ん中に逃げ込め!」
攻撃を躱すため、穴の中へ飛び込んだ三人を追って、ドラゴンがさらにスピードを上げた。
「ヒィィ」と慌てふためくザンダーも、最高速で突っ込んでいくドラゴンを追って崖を駆け上がった。
スピードを緩めることなくドラゴンが穴に突き刺さった。恐ろしい音を立てて岩を破壊したドラゴンは、そのまま穴の奥に顔を突っ込むと、その先で微かに捉えた三人へ向けて炎を吐いた。
もうメチャクチャだと頭を掻きむしるザンダーの苦悩をよそに、穴の奥へと逃げ込む三人を追ったドラゴンは、崩れた穴の奥へ強引に身体をねじ込むと、岩を破壊しながら、さらに巨大な炎を吐いた。
細長い横穴がドスンドスンと崩れ、絶妙なバランスを保っていた通路は一瞬にして溶けて消えていく。
これは本気でマズいと冷や汗を流したイチルは、後方から諦めることなく追いかけてくるドラゴンの姿を横目に見ながら、バランスを失い崩れていく細道を走るしかなかった。
「このままじゃ追いつかれる、どうすんだよ犬男!」
「いや、それよりも、だ。まずはこの状況を招いてしまった責任をどうとるかをだな……」
「だから、んなこと言ってる場合かって!」
横穴を拡張しながら強引に追いかけてくるドラゴンは、ダンジョンの中立地点へと続く最後の細道に逃げ込む三人を追い、巨大な身体をこれでもかと岩に擦り付けた。
ドラゴンの後方では、青褪めた顔を必死に押さえたザンダーが、もはやどうすることもできない現状に頭を抱えながら、半べそかきかき追いかけていた。
「勝手にドラゴンを倒せば師匠にマジギレされそうだし、このままほっとけば通路は壊されちゃうし、僕はどうすればいいんだよ。あああ、このままじゃ本当に全部通路が壊れちゃうよぉ!」
ザンダーの心配をよそに破壊の限りを尽くすドラゴンは、凝視で三人の行方を探りながら、さらにグイと細い通路に身体をねじ込んだ。
岩が弾けるようにピキピキと音を立てて崩れ、細かったはずの通路は、虚しくその姿を変えていく。
「マズい……、これは非常にマズい……。業務停止命令並にマズいぞ」
いよいよ中立地点へと続く穴の出口が見え始め、イチルも同じように頭を抱えていた。
長く続くダンジョンの歴史すら変えてしまいかねないレベルの失態に、判断を躊躇した自分の甘さ加減を後悔するしかなかった。
「俺たちが穴の入口を壊したせいで誰も中に入れなくなりましたなんて世間に知れてみろ、ウチの施設、マジで袋叩きの目にあって潰れるぞ。マズい、それだけは非常にマズい!」
イチルよりひと足早く中立地点に出たムザイとロディアは、そこでドラゴンを迎え撃つために身構えた。しかしその後ろでどんよりと青褪めた顔のイチルは、自分の失態をどう誤魔化して良いものか頭を悩ますだけだった。
ボトム状になった中立地点には一人の冒険者もおらず、いつかのようにシンと静まり返っていた。
しかし細く続く横穴の先からは、怒りに満ちたドラゴンの遠吠えが続いており、静と動の共存状態がムザイとロディアの緊張感を否応なく高めた。
「ここなら私たちも自由に動くことができる。奴が姿を現したら、一気に叩くよ、ムザイ!」
「言われなくともそのつもりだ、せいぜい邪魔をしないようにしがみついてろ!」
ガチンガチンと繰り返す音が少しずつ広がり、穴底に反響する。壁が揺れるたび、パラパラと崩れた砂粒が落下する。
「くるぞ」と息を飲んだムザイは、未だ傍らで頭を抱えるイチルを無視し、地面を踏み込み飛び上がった。