【122話】勝手な思い込み
その時だった。ムザイの隣で闇の奥を見つめていたザンダーが、「まずった」と呟いた。
意味もわからずとぼけた顔で振り返ったムザイの背中にロディアを背負わせたイチルは、無言で二人の肩をポンポンと叩き、「最後のチャンスだ」と上目遣いに言った。
「最後のチャンスぅ? なんの話だよ、……んなぁッ?!」
ムザイの声とともに、周囲の岩が激しく揺れた。ドガンという何かがぶつかるような音が周囲に響き、再度大きな揺れが辺りを襲った。
慌てて隠れ家に防魔障壁をかけ直すザンダーの傍らで、ふぅと浅く呼吸したイチルは、ついてこいとムザイを連れて走った。そして一番近い横穴を抜け、眼下に業火の炎が渦巻く崖穴の上方へと飛び出した。
「おい、何してんだ犬男!」
「何も糞も、いよいよ一騎打ちのチャンスじゃねぇか。わざわざアチラさんから足を運んでくれたんだぜ。相手しない手はないだろ?」
イチルの言葉をかき消すように、恐ろしいほどの奇声が轟いた。ムザイが見た穴の先には、怒りに震え、黄色に発色したスカイボルケーノドラゴンが壁に向かって突進を繰り返していた。
「ま、まさか、アイツ、……私たちを追ってきたのか?!」
「らしいな。ザンダーの奴、どうやら炎から逃げるのに必死で、追跡の無効化を怠ったらしい。まだまだ甘ちゃんだな」
ザンダーの部屋がある壁の奥を狙い、巨大な身体を震わせたドラゴンは、いよいよ壁を壊さんと喉奥に魔力を溜め始めた。しかしそうはさせじと、イチルはただドラゴンの気を引くためだけに、小さな炎を放ち、ドラゴンの後頭部にぶつけた。
グルルと唸りながら、ドラゴンが動きを止めた。そしてゆっくりと振り返り、穴の縁にくっついたイチルを見つめた。
「どうやらファイアがさらに上がってくることはないし、邪魔立てする冒険者もいない。何よりもう逃げ場はないし、勝負の舞台としてはもってこいだ。ムザイにロディア、たとえ単独猟が無理だとしても、お前ら二人ならどうだ?」
ロディアとムザイが同時にイチルを睨み、「この程度の敵、自分一人でも倒せる」と怒りの声を上げた。
「ハッハッハ、だったらやってみせてみろ。それじゃあいくぜ、時間無制限一本勝負、スタートだ!」
姿を消したイチルに代わり、当初からのターゲットであったムザイが姿を見せたことで、ドラゴンのボルテージが一気に跳ね上がった。魔力で黄色く染め上げられた背中の鬣はあまりにも美しく輝き、見つめる者たちの注目を否応なく集めた。
カパッと口を開けたドラゴンは、一瞬も躊躇なく巨大な炎の塊を放った。ロディアを背負っていたムザイは、ロディアを捨てるわけにもいかず、炎をギリギリのところで躱した。しかしこのままではロディアがただの足手まといにしかならないと、イチルに声を掛けた。
「犬男! なんで動けないコイツを私が背負わなきゃならないんだ?!」
「当たり前だ。俺もお前の無鉄砲な性格が数日で直るなんて思ってない。だとしたら、ザンダーの言うように、今のお前じゃアイツに致命傷を与えるなど不可能だと思ってね」
「なんだと?! ……ふん、ならばその目でしっかりと確かめてみるがいい」
ロディアのことを強引にトスしたムザイは、少しの休養で戻った魔力を溜めながら、事前に見極めていたドラゴンの首の付根一点に狙いを定めた。
「コイツを一人で倒し、貴様らに私のことを認めさせる。もう二度と、私のことを雑魚などとは呼ばせない!」
崖の縁を蹴り飛び上がったムザイは、あまりにも直接的にドラゴンの頭上へと回り込み、溜めていた魔力を右腕に集めた。しかし巨体を俊敏に動かしたドラゴンは、簡単に身体をよじり、急所を隠してしまった。
「知ったことか。我が業火よ、地獄の底まで燃やし尽くせ!」
ムザイの炎がドラゴンの首へと放たれた。しかし分厚い鱗で覆われた翼数枚を空中へ飛散させたドラゴンは、鱗を遠隔操作し、炎の端々を切り刻み消してしまった。
「一撃で当たるなどとは思っていない、一発でも当たれば私の勝ちだ!」
次々に魔法を放つムザイに対し、空中でホバリングしたドラゴンは、下層の炎から巻き上がった上昇気流を巧みに利用し、全ての魔法の弾を鱗で弾き落としていく。その精度は凄まじく、まるで意思を持っているかのような角度で放たれた鱗たちは、ものの見事にムザイの攻撃をはたき落とした。
「ちぃっ! 巨体のくせに細かい動きをしやがって。ならばこれならどうだ!」
青鱗亀を狩った時のように無数の球を頭上に浮かべたムザイは、ドラゴンの進行方向を絞るため周囲を罠で固めていく。
その隙間をぬい、もう逃げ場はないと再び炎を放ったムザイは、逃亡するであろうドラゴンの方向を見据えて壁を蹴った。
「自慢の熱線で全てを弾き飛ばしてみせるか? そんなことをすれば爆発で視界が奪われ、貴様の無防備な巨体は私の思うがままだ。さぁどうする!」
不敵に笑ったムザイが徐に球の一つを破壊して爆煙を作り出した。煙を避けるように動いたドラゴンを追いながら、先回りしたムザイの炎がドラゴンの巨体へと襲いかかった。
眩くように点灯するドラゴンの背びれが、魔力を帯びてさらに鈍く光った。いよいよ口を開くかとムザイが次の攻撃を画策する中、ドラゴンは魔力を込めた奇声によって大気を震わせ、振動でムザイの作った球をその場で破壊していく。
「ふん、無駄なことを。広範囲で視覚を奪えるのはこちらにとって好都合でしかない。しょせんは愚かなドラゴン風情だ!」
凝視でドラゴンの幻影を掴んだムザイが、一気に距離を詰め背後を取った。
右の拳に炎をまとわせたムザイは、それを直接急所へ叩き込むため、思い切り振りかぶった。しかし――
「ドラゴンが凝視を使えないと簡単に思い込める根拠はなんだ? モンスターと言えど、ランクが上がれば上がるほど、その知能指数も飛躍的に伸びていく。たかだかモンスターと侮ることは、自分の命を縮めるぞ、ムザイ」
ムザイの目前で、明後日の方向を向いていたドラゴンの眼がギンと光った。
そしてギョロリとドラゴンの目玉が背後のムザイを見つめた直後、向き直ったドラゴンの口がカパリと開いた。