【119話】ダンジョンの異変
「うグッァ、ぐぁぁあ!」
小さな飛竜が翼を畳み、一直線にロディアへと襲いかかった。しかし反対に身体が動かないことを利用し、変則的な動きで空気の壁を蹴ったロディアは、攻撃を巧みに躱し、竜を翻弄する。
「そうだ、必要なのは判断力を働かせること。自分に何ができて、どうすれば状況を打開できるか。目的までの道筋を頭の中で組み立てられるお前なら、無駄な動きやダメージすら排除して戦える」
腕組みしたままコウモリのように宙吊り状態になっているイチルを視界の端に見て、ロディアが大きな舌打ちをした。
つくづく嫌味な男めと、僅かしかない魔力をフル動員し腹に力を入れたロディアは、既に砕けている肋骨のことすら忘れ、肺いっぱいに息を吸い込んだ。
「こんなところで、私は死なない。貴様の思いどおりにも、足手まといにも、兄の重荷にも、絶対になってたまるものか!」
これまで躊躇していた呼吸をした効果か、痛みと引き換えにロディアの脳はさらに活性化した。
コンマ数秒で竜の行動パターンを読み切ったロディアの頭脳は、瞬時にその弱点すらも見つけ出していた。
「こんな隙だらけの首がぁ、この私に見えないとでも思ったか、ザコめぇ!」
ほんの数センチ飛び上がり、腹筋の力だけで身体を逸らし攻撃を躱したロディアは、自分の真下を通過していく竜のスピードを利用し、硬化させた右手の指先を相手の首元へとあてがった。
たったそれだけで竜の首に食い込んだ指先は、軽く急所を引き裂き、「グゲェ」という悲鳴とともに弾けて飛び散った。
「それなりに頭は働いているようだ。面白くなってきたな」
いよいよ限界を迎え、力尽き落下していくロディアを掴んだイチルは、耳元へ顔を寄せ、「常にそれくらい追い込まれてろ」と嫌らしく言った。
「うる、……さい、だ、まれ」
「悪態つく元気があれば十分だ。これからさらなる地獄を見せてやる。覚悟しておけ半人前」
横穴に入ったイチルは、気を失い倒れてしまったロディアを担ぎ、《追跡》のスキルを使った。脳内に浮かび上がるザンダーの居場所と、あらかじめ聞いていたダンジョン内の構造とを比べながら、そこへ至るまでのルートを模索した。
「随分下まで行ったようだな。時間は残り丸一日といったところか、さて間に合うかどうか」
死んだように白目をむいたまま呼吸するロディアの頬を摘みつつ通路を進んだイチルは、再び目の前に現れた巨大な空洞を前に深呼吸を繰り返した。
どうやらザンダーのいる場所は、目の前にどんと腰を据えた穴の底の底。
もはや考える意味もないとロディアを抱え悠然と踏み出したイチルは、重力にされるがまま落下し、空中で座禅でも組むように姿勢を正した。
「俺の見立てでは、やはりムザイ一人じゃ心許ない。しかし身体は動かなくとも脳ミソのデキが違う誰かを利用できりゃあ話は別だ」
秒ごとに増していく速度と比例し、イチルの身体を揺らす風も強くなった。
煽られてバタバタと暴れるロディアの病院服の端を摘んで破り捨てたイチルは、服の切れ間から露わになった全身の傷を見つめ、頭を悩ませた。
「この傷、もし俺が現世の経営者なら、一発アウトのパワハラ上司として間違いなく世間を賑わせたことだろう。……女の身体を傷つけたなんて袋叩きもいいとこだ。いやはや考えただけでも恐ろしい」
傷に指先でツンツンと触ると、痛みからかロディアの身体がビクンと反応した。
魚かよと面白がって二度三度突付いていると、イチルの《追跡》スキルがピピンと反応を示した。
「うん? ザンダーたちはまだまだ下のはずだが。なんだ……?」
異変を察知したイチルは、直滑降していた身体をモモンガのように広げ、スピードを落として壁にへばりついた。
壁に密着した衝撃で頭を打ったロディアは、微かに意識が戻り、また動かない身体を気にしながら自身を抱えるイチルの顔を見上げた。
「う、ぐぐ」
「目ぇ覚ましたとこ悪いが、なにやら下で起こっているらしい。よくわからんが、ザンダーの奴が超スピードで上へ移動している。なんだってんだ?」
イチルの落下速度よりもさらに速く、ザンダーが穴の上へと移動していることがわかり、イチルは仕方なくザンダーが接近するのを待つことにした。恐らくは一緒にいるであろうムザイに何かあったかと勘ぐるも、数分後に明らかになった状況は、イチルにとってあまりに予想外の突拍子もないものだった。
「……下から超高周波の金切り音。俺の知らないモンスターでも出たか?」
いつしか降り注いでいた光も薄まり漆黒の闇が辺りを包んでいたはずなのに、なぜか時間が進むにつれ、イチルの周囲が明るくなっていた。ダンジョンにも昼と夜があるのかよと眉を潜めた直後、いよいよ下方向からやってくるザンダーの気配が視認できる距離まで近付いた。
「いよいよお出ましか……、って、なんだありゃあ?」
イチルが目を凝らした穴の底方向。
ゴボンゴボンと粘つく音を鳴らしながら、まばゆく光る何かが迫っていた。