【101話】フレア・ペトラ編その12
言葉の出処もわからず、二人は言われるまま、その場で高く跳び上がった。
直後、これまで同じ目線にいたモンスターたちの身体が横にずれ、突然真横にぶった切られ、おびただしいほどの血を吹き上げ飛び散った。
血が頬に跳ね、フレアが思わず悲鳴を上げた。空中でフレアを掴まえ折れた木の根元を掴んだペトラは、モンスターを一閃した何者かを探した。
「こっちだ、こっち」
二人が声のした方を振り返ると、薄暗い木の陰で、囮として二人を連れ回したキツネの首元を撫でる者の姿があった。
「ガキ二人で夜の森とは感心しねぇな。それともなにか、森へ入らなきゃならない理由でもあったか?」
粘着質に嫌らしく尋ねた男は、宵闇の木々の隙間でキツネを抱えて立ち上がった。
背の丈は大柄なイチルほどあり、右肩には身の丈ほどもありそうな巨大な剣を抱えていた。
顔は見るからに無骨なヒューマンで、伸びっぱなしの無精ひげは手入れされているとは思えなかった。屈強すぎる肉体がわかるほど薄着にも関わらず、ボロなマントを巻いただけの姿でクシャミした男は、キツネの熱を頬に感じながら、「俺の質問は無視?」と改めて二人に聞いた。
「そ、そのキツネが俺たちの瓶を持って逃げやがったんだ。それで俺たちは仕方なく」
「お前らの瓶? そりゃおかしい、リンは人様のもんを盗むような馬鹿な真似はしねぇ。大方適当に転がしていたんだろ」
「休憩中にちょっと地面に置いただけです!」
「そりゃアレだ、大層大事に抱えてねぇお前らが悪い。手を離れてたってことは、落ちてたも同然だ。てことで、リンは悪くねぇ。だよなぁリン?」
嬉しそうに男の顔を舐めた三尾キツネのリンは、小さな肉を一欠もらいご満悦だった。
左肩を定位置に落ち着いたリンを横目に、二人へ近付いた男は、伸びっぱなしのひげに触れながら「うん?」と顔をしかめた。
「こりゃ驚いた。ガキのエルフに、もうひとりはアンデッドか。てっきりヒューマンだと思って助けてみりゃあ、アテが外れたな」
男の言葉にムッとしたフレアは、「私は歴とした(アンデッド)ヒューマンです!」と言い返した。まじまじと下からフレアの顔を覗き込んだ男は、「……ヒューマン? 紫色の?」と首を捻った。
「この失礼野郎、助けてもらっといてアレだけど、元はと言えばテメェのペットのせいでこんな目にあってんだぞ、ふざけやがって!」
怒って殴りかかったペトラをペチンとはたき、男は「まぁそう怒るな」と大袈裟なジェスチャーで二人を宥めた。服が破れて覗いている腹をボリボリと掻きながら、「んなことより食いもん持ってねぇか?」と聞いた。
「んなッ?! この糞男、ふざけるのも大概にしろよ」
「だ~から、そう怒るなよ。ここ数日まともなもんを食ってなくてね。で、リンの奴に、い~い匂いのするもんがあったら取るか連れてこいって頼んだわけ。そしたらなぜかガキ二人が釣れちまいましたとさ。こっちとしちゃあ、また無駄な力使っちまったし割と迷惑してんだぜ。わかる?」
イライラを募らせたペトラに変わって一歩前に踏み出したフレアは、助けてもらったせめてもの礼だと荷物の中から余っていた干し肉を取り出し、男に見せつけた。しかし手を伸ばす男の指先を躱し、「その前に聞くことがあります」と引っ込めた。
「まずは助けていただきありがとうございました。少しだけピンチでしたから、少しだけ助かりました。……でも根本的な原因はそっちにあるようですし、今後私がペコペコすることは一切ありません!」
「こりゃまた難しい言い回しだこと。悪かったな、ま、まぁそれはそうと、さっきの一撃に免じてソイツをだな……」
しかしさらにグイと肉を引き寄せたフレアは、汚物でも見るような目をして男に顔を寄せた
「まだ話は終わってません。それで、アナタは何者ですか。まさか、ゴルドフさんの差し金なんて言わないでしょうね。だとしたら、……許しませんよ」
「ご、ゴルドフぅ? 誰だソイツは」
しばし男の顔をジロジロ見回したフレアは、二周ほど確認してから、肉を肩のリンに咥えさせた。「あッ?!」と声を漏らし自分の上を逃げ回るリンに肉を返せと迫る男に対し、腕組みしたフレアが続けた。
「関係ないなら結構です。だけど、少なくともこの状況の責任は取っていただかないと困ります。これからアナタには、私たちを連れて森を抜けてもらいます。良いですね?」
リンと肉の取り合いをしていた男は、フレアの言葉に反論し「なんで俺が?!」と両手を挙げた。
「当たり前じゃないですか。アナタがその子に命令しなければ、私たちはこんな目に合わずに済んだんですもの。責任を持って街まで送り届けてください。……それともなんですか、私たちのような幼気な子供を、森の中で見殺しにすると?」
自分が子供であることを全面に押し出し迫ったフレアは、どうやら子供が得意でない男を精神的に威圧した。思っていた展開とまるで異なる状況になり、面倒になった男は、わざと二人から視線を外し、「今はまだ帰れん」と拒否した。
「なんですかそれ、理不尽なこと言わないでください」
「どっちが理不尽だ。俺は善意で助けてやったんだ。わざわざ村まで届けてやる義理はねぇ」
「あります! 私たちがここにいるのは、全てアナタの責任です。いい大人が子供を危険に晒していいと思ってるんですか、それでも本当に大人ですか?!」
そうだそうだと合いの手をいれるペトラの後押しを受け、いよいよ分が悪くなった男がたじろぎ一歩後退した。クチャクチャと肉をかじるリンを横目で恨めしそうに見た男は、観念したようにハァとため息をつき、「わぁったよ」と肩を落とした。
「しかし一つだけ条件がある。戻るのは数日待ってほしい。こちらにも色々と事情があんだよ」
「イヤです。私たちも帰らなきゃならない事情があります。今すぐ戻ってください」
「即答は勘弁してくれって……。まぁあれだ、ここはひとつ折衷案をだな」
「絶対イヤです! 私たちはすぐにでもこの瓶を持ってマリザイへ行かなければならないんです。急いでいるんです、時間がないんです!」
「マリザイ? マリザイって、あのマリザイか?」
明らかに不審者を見るように不快感をあらわにした男は、フレアとペトラの顔の前でわざとらしく手を叩き、「ゴーストの類では、……ないな」と確認した。
「なんなんですか、ふざけるのもいい加減に――」
「いやいや、ふざけてんのはどっちだよ」
言葉を止め、男は巨大な剣を振り上げフレアの目の前でピタリと止めた。
あまりの迫力に息を飲んだフレアは、どうにか尻込みせぬようわざと一歩踏み出し、「私たちはふざけていません!」と宣言した。
「知ったことじゃねぇ。どちらにしろ、そんな街はな……」
男が再び言葉を止めた。
なぜか嫌な予感がしたフレアとペトラは、その後に続く言葉を聞くのが嫌になり、思わず顔をしかめた。
「とっくに滅びてんだよ、マリザイなんて街は――」