【099話】フレア・ペトラ編その10
「あとは繰り返し魔力の流れを感じ、掴むことです。せっかくですし、ここからはペトラ殿にも手伝っていただき、繰り返し魔力を感じてみましょう。もちろんこれはペトラ殿の鍛錬にもなります。今一度、基本の動きを互いに意識しながら実践してみましょう」
背後からフレアに抱きついたペトラは、覚えたての冷気の魔法をフレアの身体経由で試みた。しかし魔力のコントロールが上手くないペトラでは表面に現れる差も歴然で、魔法を唱えるたびに二人が揉めたのは言うまでもない。
「ちょっとペトラちゃん、もっとゆっくり魔力動かしてよ!」
「んなこと言っても、まだ上手く制御できねぇんだって。フレアこそ、こっちに合わせて冷気出せよな!」
「何よそれ、無茶言わないでよ!」
「いいから俺に合わせろって!」
日頃の仲の良さとは対照的に、真反対な性質の二人の魔力は見事に相反し、小一時間夜の森に二人の声が響いた。その間、何も言わず二人を見つめていたマママは、ただ無言で森と同化するように佇んでいた。
「よ~しよし、やっと氷が安定してきたぞ。フレア、いよいよここからだ。俺の氷を受け取って、あそこの木へぶつけるんだ!」
コクンと頷いたフレアは、ペトラから渡された魔力をコントロールし、氷を増幅させるイメージで、そっと冷気を放った。キラキラと小さな粒のような氷が辺りに舞い散り、夜の空気と相まって爽やかな風と靄が棚引いた。
「あぁ、また失敗かぁ」
フレアがガクンと肩を落とした。
「いやいや、失敗じゃねぇって、ちゃんと氷は出てたわけだし。……ま、出力に関しては、俺は一発で成功したけどな」
フレアが親の仇でも見るようにペトラを睨んだところで、「そろそろよろしいでしょうか」とマママが立ち上がった。時間は既に日をまたいでいた。
「最終段階に入りましょう」
唐突に宣言したマママに、フレアが慌てながら首を振った。
「最終段階って、まだ私何も」
「いいえ、そこまで魔力をコントロールできれば十分です。あとは自分自身で生み出したエネルギーを魔力に変換し、出力させるだけです。フレア殿は、既にそれを成功させる術を得ています」
「え?」と言葉を詰まらせたフレアに対し、目を瞑ってと進言したマママは、自然体で立つフレアの背筋と両手を正してから、両胸の間に人さし指の先を当て、「ここに力を集中させて」と優しく諭すように言った。
そしてフレアの奥底に眠る核を弾くように、ゆっくり指先を喉元へとスライドさせた。
身体の底から湧き上がるようなものを感じ、フレアの表情が険しくなった。
感じたことのない異変に全身の細胞がざわつき、沸き立つような感覚だった。
「そうです。身体の奥で生み出されたエネルギーをグッと押し込み、流れる血流へと送り込むイメージを持ってください。そこからはもうわかるはず、一気に力を解き放つのです」
先程までとは次元の違う熱さを感じながら、力を全身へと行き渡らせるイメージを描きコントロールしたフレアは、肌を刺すような痛痒さを感じながら、全てを右腕へと導いていく。
傍から様子を見つめていたペトラは、白く輝くフレアの腕に驚き、不覚にも「おぉぉ」と声を漏らした。
ペトラが静かに瓶の口をフレアの左手に握らせた。
目を瞑ったまま集中力を高めたフレアは、そっと右手の先をフタに添え、キュッと左に捻った。するとこれまでビクともしなかった瓶の口がパンと音を鳴らし、堰を切ったようにクルクルとひとりでに回った。
「え……、フタが、開いた……?」
うんうんと頷き、マママは顔を覆う布の隙間からでもわかる笑みをこぼし、フレアの頭を柔らかく撫でた。
目の前で起こったことが信じられず、思わずマママに抱きついたフレアは、同じように感動して抱きついてきたペトラと手を取って跳ね回った。
「やったぞやった! フタが開いた、やったぞフレア!」
「やったよ、私やったよペトラちゃん!」
喜ぶ二人を尻目に瓶を拾い上げたマママは、開いた瓶の口を少しだけ確認し、納得したように一人頷いた。少しの煙を上げた瓶は、これまでの不可思議な雰囲気をすっかり消し、何の変哲もないただの瓶へと戻っていた。
「ひとまず依頼は達成、ということでよろしいでしょうか」
「ハイッ、ありがとうございました、マママさん!」
マママに頭を下げたフレアは、渡された瓶を改めて見直してから、名残惜しむようにフフフと微笑んだ。
ついに瓶のフタを開けることに成功した三人は、ロベックの中央ギルドへと戻り、依頼達成を報告した。窓口の担当者は、まさか本当に条件を達成すると思っていなかったのか、いたく感心し、二人のことを褒め称えてくれた。
「子供だと思って冷たい態度をとったことを謝らなきゃならないな。ギルドの一担当者として、いやはや恥ずかしい。次は堂々と、一経営者として仕事を御依頼ください。いつでもお待ちしていますよ」
感服し手を振る担当者に手を振り返した二人とマママは、ギルドを後にし、ロベックの街の入口で足を止めた。
唐突にパタパタと駆け寄ったフレアは、何も言わずマママの手をギュッと握り、ふるふると何度も腕を振るった。
「急にどうしましたか?」
「感謝の握手です。先にしておかないと、マママさん、気付かないうちに消えちゃうかもしれないから」
「違いねぇや」と笑ったペトラと反対に、意味がわからず困惑するマママは、どちらにしましてもと話を戻した。
「どうやら共に行動するのはここまでのようです。お二人は、やはりこれからマリザイという街へ向かわれるのですか?」
「あたぼうよ、これからジジイにコイツを突きつけてやんだ。てことでマママ、色々世話んなったな!」
フレアと二人ペコリと頭を下げると、マママも同じように会釈した。
「マママさんはこれからどちらへ?」
「私はまた旅を続けます。どこへ向かうかは決めておりません」
そうかそうかと適当な相槌を打ったペトラは、何か思い出したかのように荷物の中に手を突っ込むと、くしゃくしゃになった紙を取り出しマママへ手渡した。
「そういや、俺たちここで働いてるからよ。いつか暇あったら寄れよな」
「らびー……らんど? 冒険者向けのADですか。なるほどわかりました。機会があればまた是非」
名刺代わりの紙切れを渡し、ペトラがじゃあなと手を振った。しかし何か言いたげなフレアは、出発しようとするマママを「あの……」と呼び止めた。
「まだなにか?」
もじもじ目を泳がせたフレアは、意を決し、心に留めていた疑問を口にした。
「もしよろしければ、あの……、マママさんの本当の名前を教えていただけませんか。身を隠してるのがどんな理由かは私にはわからないけれど、やっぱり、その……、お顔は無理だとしても、呼び方がマママさんじゃ、やっぱり悲しいなって……」
少しだけ間があき、小さく瞬きしたマママは、どこか言いにくそうに伝えた。
「申し訳ありません。残念ですが、私は私の名を教えることができません」
マママの返答に、フレアの顔に落胆の色が浮かんだ。しかしすぐに、マママが言葉を付け足した。
「わからないのです。私は自分の名も、生まれも、私の何もかもを知りません。ですから今この瞬間も、私は私自身を知るために旅を続けています」
「自分を……、知らない?」
こくんと頷いたマママは、それ以上の言葉を噤み、「ではまたどこかで」と別れの挨拶をした。
「最後まで変な奴だな」と退屈そうに欠伸したペトラは、その言葉を最後に去っていったマママに軽く手を振った。
「さ~て、それじゃあいよいよマリザイに戻るぜ。遅くなっちまったが、ようやくこれで再スタートだ!」
少しだけ名残惜しそうに、フレアが「おー」と手を挙げた。