森と城と人工種族としてのエルフ4
「工業都市も『ファンタザイズ計画』って銘打って、何かしてるってことか?」
クラクは開かれたままの扉をじっと見て、誰もいないと確認してから、俺たちに視線を戻した。
「平たく言えば、『地球におけるファンタジーを再現し、魔物に抵抗しよう』というのが、この工業都市における『ファンタザイズ計画』だよ」
「それは……」
俺は言葉に詰まった。これが本当にFantasyという単語にizeを付けた造語として考えるなら、なるほど岸壁の港町は人間を原生種に近付ける試みとして使っているのだろう。だが、工業都市のそれは毛色が違う。『地球から持ち込んだ理屈で何とかする』という原則から、離れていない。
「それは、根本的には原生種を排斥するってことじゃないか?」
先ほどのプラントの話から打ってかわって、彼らの断絶が露わになる。見た事もないひづめあとという裂け目が、俺の前に突然姿を現したようだった。
「僕は、今は機械の街の住人だからね。どちらが正しいだとか、論じる立場にはない」
クラクもどこか悲しそうに目を伏せた。彼の明るい青い瞳の奥で、善性が苦悩しているようだった。彼はポケットに手を入れて、もう一度、窓を睨む。
「だからそう殺気立って睨まれてると、なんだか悲しくなっちゃうんだ」
「!」
丁度、俺もかすかな物音を感じ取った。足音。しかも複数だ。
ロステルとミッドが一拍遅れて身構える。窓の中に、何かが投げ込まれる。水晶のようなそれが、急速に光を放ち、拡散させる。それが爆音と爆風になるのは、一瞬のことだった。原稿のなり損ないが飛び散って、床の木材が粉々になる。
至近距離の爆発で、俺は耐えられないかと思った。だが、そうはならなかった。爆風が俺の聴覚センサーや、ロステルの鼓膜を壊してしまうかと思ったが、俺たちは無傷だった。
爆煙の中、目の前に青い輝きを見た時、俺は目を見張った。
「僕は誰とだって、仲良くしたいよ」
煙が晴れる。それはクラクの翳す盾だった。銀の腕輪から放出されるエネルギーが、魔物避けよりもずっと強い青に輝いている。爆風が及ぼしたであろう被害を、彼は受け止めきってみせたのだ。
「ま、お嫁さんは機械の女の子でお願いしたいけどね」
軽やかに言ってのけて、彼はウィンクをする。
「そんなことを言っている場合ですか」
呆れた顔でクラクの隣へ歩くミッドの両手には、既に小型のシールドが展開されている。フットワークも軽く、彼はそのまま、壊れた窓から外へ飛び出す。
「ドウツキ、ロステル氏と行動してください」
「分かった!」
「あーっ、みっちゃん待って!」
クラクがどたどたと玄関から出て行く後ろを、俺とロステルが追いかける。ブローチから噴き出した炎が、ロステルの腕に絡みついて機銃に変化する。
「ドウツキ、目標を補足できるか?」
「待って」
ロステルの問いかけに、俺は耳を澄ませる。姿は見えないが、がさがさとせわしい足音が、右に、左にと聞こえる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ――。足音に紛れて、風を切る音が聞こえる。俺から見て左手、前に出たミッドに向けて球状のシルエットが見える。
「五人! 左手から投擲……ミッド!」
「問題ありません」
振り上げられたミッドの爪先が弧を描き、何かを弾く。ほどなくして、爆風が木々の間を駆け抜ける。腕で目元を覆って睨んでみれば、逃げる緑の髪と白い服が見える。白い服に縫い付けられた金の刺繍が、きらきらと光っている。
「相手はヨルヨリか……!?」
先ほどエルフの女性が話していた集団を思い出す。ひそひそとした話し声が熱風に紛れて聞こえる。
――あれはまさか暴露個体!
――待って、わすれがたみがいる!
――だが、あの人間が邪魔だな……。
――あのアンドロイドも人間の味方だよ!
やがて、白い服を着た五人のヨルヨリが一斉に姿を現す。俺は聞き覚えのある単語に一瞬足を止める。彼らは俺とロステルを見ている。戸惑いと敵意。
「暴露個体って何だ!?」
俺は問うが、彼らの耳に通信機は見えない。声が届かないのが歯がゆい。が、俺の声はミッドにも届いたらしい。彼の視線がこちらへ向く。
「彼らの言葉が分かるのですか?」
「えっ、ミッドには分からないのか?」
困惑が俺たちに隙を生み出す。ヨルヨリの集団は、明確にクラクとミッドをターゲットに絞ったようだった。敵意の眼差しが二人に注がれる。
「お前たちはヨルヨリだな?」
ロステルが銃を構え、声を張り上げる。彼の声は、本来よく通るはずの声だということを思い出させる。びりびりと震える空気が、ヨルヨリを本能的に怯ませる。ロステルとヨルヨリたちは意思疎通ができている。
「答えろ。お前たちは、誰の指示で動いている?」
「答える理由はない! あなたが我らが兄にして王の如きひとであっても!」
リーダー格であろう男が叫ぶ。俺にはその言葉がはっきりと理解できる。聴覚センサーをそちらに向けながら、目を他のヨルヨリたちに向ける。彼ら彼女らは皆、武器を持っている。一瞬たりとも油断はできない。
ミッドとクラクも、じりじりと間合いを伺っている。
「我らが友、わすれがたみよ! いかな理由があって種の仇である機械など身につけているか分からない。だが、我らはあなたを歓迎する! あなたはそこのアンドロイドを連れてくるだけでいい!」
ちらとロステルが俺を一瞥し、ヨルヨリたちに視線を戻す。
「彼を暴露個体と表現したな。それは何だ」
「我らを救うものだ! そのアンドロイドは、我らにこそ必要だ!」
俺は眉を跳ね上げる。俺の疑問などお構いなしに、ヨルヨリの男は叫び続ける。
「銅の月を二つ遡る頃、我々はそれを持ち出し損ねた! 次の銅の月まで時間がない! あなたは騙されている! 工業都市も、岸壁の港町も、それを狙って――」
だが、男の声はそこで止まる。うめき声ひとつ残して、彼は前方によろけ、倒れ伏す。俺は突然起こったことに目を見張る。よくよく見れば、男の背中を輝く矢が貫通している。ヨルヨリ側の一人が悲鳴を上げる。
彼らの背後に、エルフ型の魔法生物が立っていた。どうやら先ほどの爆風で俺たちの小競り合いを察知したらしい。
鏃は俺たちにも向いていた。誰も男から流れる琥珀の血を見ていなかった。
「こそこそと嗅ぎ回る余所者どもめ。ここをエルフの森と知っての狼藉か」
「待って、俺たちも彼らも、好んで諍いを起こしているわけじゃ――」
「引っ捕らえろ! 『歩く植物』は除草の矢で駆除せよ!」
分かっている。俺の声はどんなに張り上げたって届かない。容赦なく矢が放たれる。それを防いだのはクラクだ。俺たちの前に出て、盾を翳し、矢を阻む。
「神秘の駆逐。なるほど、僕らの新しい原罪だ。僕らこそが原生林に植わったミントかもしれないのにね」
クラクの呟きを、この場の何人が聞けたのだろう。もはや乱戦だった。ヨルヨリたちはエルフの暴力を前に、あの爆発する球体を投げつけるが、エルフたちの弓矢の方がよほど早い。
エネルギーを伴った矢は、地面に突き刺さると共に爆発する。彼らは姿をくらましては現れて、俺たちを傷つけ、ヨルヨリたちを殺そうとする。
「……あ」
俺は、あの背中を撃たれたヨルヨリが、俺を見ていることに気が付いた。懐を探り、何かを探している。罠かもしれなかった。けれど、彼の紫の瞳は、必死に揺れている。
「ミッド! ごめん、支援して!」
「ドウツキ!」
いてもたってもいられなかった。俺は乱戦のただ中に飛び出した。エルフとヨルヨリの飛び道具が、俺のすぐ側を飛び交っている。俺の頭に向けて鏃が迫る。次にそれを防いだのは、ロステルの射撃だった。彼は俺に頷くが、銃を従えてクラクの支援に回る。
「……っ!」
嗚呼、そうだ。俺の声なんて届かない。それでも、俺は倒れ伏したヨルヨリに飛びつくように、地面へと転がる。俺のいたところを矢が掠め、土へ突き刺さる。
「あ、あの!」
「これを……」
ヨルヨリは俺に一冊の手帳を差し出した。ミッドに守ってもらいながら、俺はそれを受け取る。死にゆく彼は、目を細めた。俺に、微笑んでいる。
「聞こえないのは分かってるけど! 俺、もう目の前で誰も死んでほしくないよ……!」
俺は手帳を肩掛けかばんに突っ込んで、彼を引きずろうとした。必死さが伝わったのか、ヨルヨリは僅かに喉を鳴らして笑い、首を横に振った。彼の爪先が、指先が、ぼろぼろと土塊に変じていく。
「おお、我ら、因果を撚るもの。尊い友と守護のさだめを、かみさまより与えられたもの。その契りを果たせなかった敗残の徒……もはや我らを癒やすわすれがたみの息吹もなく、滅ぶばかり……」
彼の胴体が崩れ、白い衣が土に汚れていく。俺は何もできない。彼がどんどん軽くなることを、止められない。
(枯れていく……)
もはや引っ張る腕もない。彼は悲しむ俺を見て、か細く呼びかける。
「ああ、暴露個体よ……双葉のように震えるな……お前には、することが――」
名も知らぬヨルヨリは、それっきりただの土になってしまった。だが、土だらけの衣の中に、輝く何かがあった。俺は、触覚センサーが残っている方の手で、慎重にそれを掴む。
(これは……)
俺の手にあったのは、蔦の絡んだような造形の種だった。哀しみに膝を折って崩れ落ちたくなるのを耐えて、俺はそれをペンライトが入ったポーチに突っ込んだ。そうして、人工の奥歯を噛みながら、ミッドたちの方へ逃げ帰る。
すでにヨルヨリたちは散り散りに逃げ去って、乱戦は俺たちとエルフとの間に起こるものになっていた。
「まあ、彼らの振る舞いは寓話通りですが、これはこれで困りますね」
ミッドがエルフの刃をシールドで防ぎ、勢いを利用して突き飛ばす。彼は直後、ふうっと息を吐いた。疲労、エネルギー消耗の兆候だ。クラクが苦笑いをして、彼を支えている。
飛び交う武器に対して迎撃を行うロステルが少しずつ後方に下がり、エルフたちを引き付けている。その背後に、俺は敵影を見た。あの警備に当たっていた女性だ。
「すみません。命令なので……!」
短刀を、ロステルに振り上げている。仮に俺がナイフを放り投げたとしても、間に合わない。ロステルも一拍遅れて彼女に気付く。だが、刃は振り下ろされなかった。
彼女の喉元にこそ、凶器が突き付けられていたからだ。背後から、ぴったりとくっついている。
「兄さんに、何か御用ですか?」
俺は、その声を忘れない。その緑の髪を忘れない。兄に似せた赤い服を、黒塗りの針を忘れない。リムのない眼鏡に覆われた、紫の眼光を忘れない。
「グリンツさん!」
ロステルの窮地。それを救ったのは、グリンツ・ファニング氏、その人だった。
「武器を捨て、両手を挙げなさい」
「ひっ……」
低く囁かれるまま、彼女は刃を捨て、両手を挙げる。エルフたちが一斉にグリンツ氏を睨む。
「ヨルヨリの新手か。こそこそと根を這い回らせる卑怯者め」
「貴方たち『エルフもどき』こそ、ファンタジーを騙って図々しく葉っぱを広げるのを止めてはいかがです?」
嫌味に満ちた言葉と共に、グリンツ氏はエルフの女性をロステルから引き離す。グリンツ氏は彼女を連れ、緩慢に後方へと下がり、エルフたちが弓を降ろすのを待つ。まだ、エルフたちは弓を降ろさない。
ロステルがグリンツ氏に何か言いたげにしたものの、冷静にクラクとミッドが守れる範囲に離れる。俺は彼と合流し、少しずつ間合いを広げていく。
冷徹な彼らの弓が、俺たちを狙えない範囲まで、慎重に、慎重に――。
「頃合いですね」
グリンツ氏がエルフの女性の背中を押し、解放する。小さな悲鳴を残して、彼女は転倒する。数名のエルフたちがすかさず救助に入るが、残りは俺たちやグリンツ氏に向けて矢を放つ。
「グリンツさん!」
「無駄口叩かず兄さんを守ってください。イゲンの屋敷で合流します」
彼は一度玄関あたりで何かを拾い上げた後、軽やかに廃屋の屋根まで駆け上がる。離れた俺に通信が入る。合流場所を聞いて、俺は気付いた。おそらく、イゲン氏が助け船を出してくれたのだ。
(と、なると、あの子が伝えてくれたのかな?)
俺はウェーブ掛かった焦げ茶の髪の少女を思い出した。が、今はその時ではない。俺はロステルに目配せをして、ミッドたちに援護してもらいながら走る。矢はなおも追いすがる。
「危ない、クラク!」
そのうちの一本が、放物線を描いてクラクの広い背中に向けて飛んでくるのを俺は見た。しかし、それは彼まで届かなかった。
一筋の青い光が、音もなく矢を撃ち抜き、蒸発させる。幾度となく俺を助けてくれた輝きだ。
「クローディア!」
「走って! 街の中までは追っかけてこないから!」
俺が街の方へ通信を投げかけると、すぐ返事が飛んで来た。クラクにもその通信は届いたようで、彼は口笛を鳴らした。
「ありがとう、素敵な声のお嬢さん! 今度、お茶でもどう!」
「丁重にお断りします!」
「振られるの早っ!」
通信の向こうから苦笑いが漏れ聞こえてくる。
「っていうか、クラクさーん、あたしのこと分かんない? この銃の腕前、いーっぱい見せてきたつもりなんだけどぉ」
「んん? この狙撃の腕前と通信――君はまさか、クローディオ君かい!?」
「バラしたからには積もる話もするから、無事帰ってきてよね!」
クローディアとの通信が途切れる。青い光線は幾度となく奔って、俺たちに当たりそうな矢だけを確実に撃ち抜いていく。やがて、差し込む日差しと魔法の輝きだけだった森から、俺たちは飛び出した。その頃には、もう矢はどこからも飛んでこなかった。
「けほっ、けほ……」
喉が熱い。息切れした俺は、石畳に転がりそうになる。ミッドが支えてくれるが、彼も疲労困憊といった顔で、息を整えている。クラクやロステルも両手を突いて、息を整えている。
「ドウツキちゃん! こっちこっち!」
物陰から出てくるクローディアに、俺は手を振る。人が集まる前に、俺たちは早々に撤収する。気付けば、時刻は夕暮れ。工業都市全体に、薄い青のサーチライトが灯り始める。今度は、魔物の時間が迫っていた。




