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人間を愛せない男2

「よし、到着した。ここだよ。ローストチキンサンドが僕の好物でね」


 クラクが足を止めた先には機械種以外のものに用意された小さなサンドイッチ屋があった。


 木造のドアを開くと、ドアについたカウベルの牧歌的な音と一緒に、映像端末からの軽快な音楽が響いてくる。中はオレンジがかったライトがついていて、落ち着いた雰囲気だ。


「開いているお席へどうぞ」


 俺たちは、二人用のテーブルに向かい合わせに座る。ほどなくして、二人分の水が置かれる。俺はクラクがローストチキンサンドを注文している間に、大き目の窓から見える外を何ともなしに眺める。相変わらず、様々な人々が行き交っている。小さいもの、大きいもの、二足、四足、人間、機械、そうでないもの。豪奢であったり、貧相であったり、身なりも多種多様だ。

 クラクが注文を終えたのを見計らって、俺は通信を送る。


「外って、どんなところ? やっぱり怪物がいるぐらいだから怖い?」


 彼はゆったりとした動作で頬杖をついて、窓の外を見る。


「そりゃ、おっかないのもいるけどね。何だかんだで楽しいよ。街ごとに建物の姿形は違うし、ひとの種類も、配分も違う。何より魔法がある」

「魔法って、手品じゃなくて、あの魔法?」

「そう。炎を呼び出したり、見えないものを見通したりする、あの魔法。僕には才能がまるでなかったけどね」


 クラクはおどけたウィンクを一つした。


「でもみっちゃんは独学で研究して使っているんだ」

「機械が魔法って、あんまり想像つかないなあ」

「それは人間とアンドロイドの先入観だよ。体が金属なぐらいで有利不利が覆るわけじゃない。外は君の知らない素敵なファンタジーに溢れてる」


 彼は昔を思い返しているのか、夢見がちに目を閉じて、ふうっと長めのため息をついた。


「それでもこの街に留まっているのには、何か理由が?」


 俺がそう訊ねると、彼は少し年老いたような苦笑いを浮かべる。そして焼き立てのローストチキンサンドが来ると同時に、口を開く。


「僕は人間を愛せない」


 彼はさらりとそう言ってのけたが、俺は言っている意味が今一つ理解できなくて、食事にかぶりつく彼に何も言えずに首を傾ける。彼はきちんと咀嚼して、飲み込んでから次の言葉を出す。


「女性型の機械じゃないとダメってことだよ。生身の女性がまるでだめでね。機械じゃないとダメ。気の強い方がいい。というわけで、僕はここであれこれ首を突っ込みながら、理想の花嫁と余生を探してるってわけさ」

「それはまた、難儀だなあ。風当たり強いんじゃないのか?」

「うん、強いね。早くヨメさん見つけて、子ども育てて、安定した暮らししろって知り合いからは言われる」


 クラクは水を一口飲んで、ふうっと息を吐いた。勢いよく置かれたグラスが、木製のテーブルとぶつかって音を立てる。なんだか酔っぱらったように、彼は半目になる。


「そうしないと、幸せになれないし、お前を生んだ親も悲しむぞってね」


 俺はどう切り出していいのかわからなくて、齧られたサンドイッチに視線を向けて逡巡する。


「俺は、その意見が正しいのか、正しくないのか、分からない……クラクとしては、それについてどう思う?」


 彼は肩をすくめる。そして、純粋な少年のように、にっと白い歯を見せる。


「僕の人生だ。最高に好きな人ぐらい、僕が決めたっていいんじゃない?」


 そして彼は、またサンドイッチを口元に近づける。


「ミッドにはそのことを話したのか?」

「軽くね。みっちゃんはこの手の人間めいた話っていうのは苦手だから、さわりだけ」


 パンと一緒にレタスが景気のいい音を立てて齧り取られる。至福の表情と共に、咀嚼と嚥下が行われる。


「いやあ、トールにそういう知り合いがいないか聞いたんだけど、彼は彼でそういうのに興味ない人だったから、全然でね」


 クラクは表情をほころばせて大振りのサンドイッチを頬張っている。見ていてなかなか、気持ちのよくなる食べっぷりだ。俺は椅子の背もたれに背中を預けて、その様子を見つめる。


「そんなトールが全幅の信頼を置いていたのが、彼の助手のNeuromancer……ニューロ君なんだよ」


 彼はしばらくサンドイッチに夢中だったが、その話題を切り出した時、ほんの少し眉尻を下げた。ため息には、俺から見ても懐かしさと寂しさの気配がたくさん混じっていた。


「仲、良かったんだな。トールって人とも、ニューロマンサーとも」 

「僕が彼らについて知っているというのを、隠すつもりはなかったんだけどね」


 眉を下げて、クラクは「ごめんね」と俺に謝った。俺は首を横に振る。実際彼の言う通りで、最初に彼に会った時は、他人のことを深く勘ぐるなんてこと考えもつかなかったのだから。

 俺はこの街のNeuromancerについて訊ねるどうか、視線を窓へと逸らしてしばし逡巡した後、ゆっくりと通信を送る。


「だからこそ、ニューロマンサーが記憶装置を抜いていることに納得がいかない、とか?」

「うーん、そういうことになるのかな……」


 歯切れの悪い調子でレタスを噛むクラクに、俺は怪訝な表情を返す。彼は自分の顎のあたりを指でさすって、眉を寄せる。


「確かにニューロ君はそんなことする子じゃないよ。気立てのいい、礼儀正しくて、優しい子だ」


 クラクは唇を湿らせるようにグラスに口を付ける。彼は周りを見回し、誰ひとりとしてこちらを向いていないことだけを確認する。


「ただ、ちょっと不思議なちからを持っていてね。それで研究のために連れていかれちゃったんだ」


 俺は朝の夢のかけらを思い返して、左手の人差し指を丸め、口元に添える。その仕草をすると、じり、と頭の回路がまた不快な痛みを帯びる。


「不思議なちからって、どういう?」

「彼が歌うと周りの機械が異常をきたすんだ。その件ではみっちゃんも研究施設に呼び出されたんだけど、みっちゃんの歌は何ともなかった。あの子だけが持っていた、まさに魔法だよ」


 真剣なクラクはまるで別人のような顔になって、窓の方を見る。


「僕はね、そのちからが何らかの理由で暴走して、かの大停電を呼び起こしたのではないかと考えている」

「確かニュースでも言ってたな、未曽有の大停電から三十日か……」 


 そこで俺はぴたりと動きを止める。

 夢の中で、「月食を見に行こう」と誘った俺。倒れた俺を拾ったらしいミッドも言っていた。「月食から月食までの間、待つうちに入らない」と。

 俺が拾われたのはいつだ?


「なあ、クラク。月食から月食までの間って、どれぐらい?」

「地球換算だと、一か月とも表現されるね。キリがいいでしょ?」


 すっと背筋が寒くなる。俺は焼けて読めない首の識別番号のあたりを、人差し指と中指でなぞる。何度かその行為を繰り返した後、俺は喉に手を当てる。何の音も出せない、喉を。


(ニューロマンサーの失踪と、俺が発見された時期はほぼ一緒ってことか)


 ミッドは俺に「知る権利がある」と言った。

 クラクは俺にトールのことを聞いた時、「本当に」覚えがないかと聞いた。

 そのことが連続する映像のように、回路を駆け抜ける。


(二人は、俺のことを、俺が思うより知っているんじゃないか?)


 そしてそのような疑問が、俺の中に現れて、すっと回路全体に溶けて広がった。


「どうしたんだい?」

「な、何でもない」


 クラクの顔は未だ真剣みを帯びている。その空色の奥から来る眼光に、俺は口を噤む。底知れぬ空の上の宇宙から、睨まれている気になる。


「臨時ニュースです」


 不謹慎だが臨時ニュースはいいタイミングだった。不意にサンドイッチ屋の片隅から聞こえてきた無機質なアナウンサーの声が、俺の内面を隠してくれた。クラクの意識がそちらに向く。


「先ほど、開発区で破壊された地球産ガイノイドが発見されました。被害者は鉄塔図書館に勤務していた個体で……」


 被害者の顔写真が映像端末に映った時、俺は「あっ」と声も出ないのに口を開いた。昨日、子どもたちと一緒に談話室ですれ違い、俺に会釈をしてくれたガイノイドだった。


「病院によりますと、記憶装置が失われているため、現在のところ復旧は不可能であるとのことです」

「……しまった」


 青ざめたクラクがそう呟いたのを、俺ははっきりと聞いた。彼は急ぎ気味に水を飲み干して、サンドイッチの料金を机の上に置いて立ち上がり、早足で出口に向かう。


「マスター、代金は机の上に! ごちそうさま!」

(あっ、待って、クラク!)


 俺は通信に出すのも忘れて、慌ててその後を追う。急ぎ足で扉を押し開けるクラクのあとに続いて、道に出る。

 大通りに飛び出そうとする彼の、その真上に何かの影が見えた。

 くるくると、弧を描きながら、高みから落ちてくる。

 それが防災用の斧と一緒に備えられている「消火器」だと認識した時、俺は無我夢中で大きく踏み込んだ。足についていた銀の装置が通電し、急激に俺を加速させる。一歩、二歩、彼の大きな背中は、あっという間に俺の手の届く距離だ。


 ――クラクさん!


 どこからか悲痛な声がして、俺は驚く。勢いのまま、俺は彼に体当たりをする。加速した俺に押されて、彼は大通りへと、俺もろとも飛び出す。二人して、積み重なって衆目に晒される。

 一拍置いて、さっきまでクラクがいたところに、消火器が落ちる。赤くて丸いその筒は、白い内用液を吐き、悶えている。知らない誰かの悲鳴が轟く。警備ドローンたちが大急ぎで近づいてくる。


「……!」


 やっと状況を理解したクラクが、声も出せずに目を見開く。俺は回路と躯体の痛みに顔をしかめながら、彼から体を退かし、立ち上がる。


「立てる?」

「あ、ああ。大丈夫……ありがとう、ドウツキ君」


 手を握り、引っ張り上げるように彼を助け起こす。俺はそのまま振り返って、白い粉を踏まぬよう黙った消火器に近づき、しゃがんで表面を見る。


 消火器の表面には黒い油性のインクで「知りたがりはいつも最初に死ぬ」と記されていた。

 建物の上を見ても、誰もいない。


 俺は立ち上がってしばらく、じっと佇んで思考した。どよめきがまるで遥か遠くから聞こえてくるようだ。

 この「知りたがり」がクラクのことであるなら、彼は命を狙われたことになる。クラクが焦って飛び出した理由は何だろう。そこを狙ったのだとしたら、相手は彼の動向を理解しているということだろうか。

 俺がこのまま知らぬ存ぜぬを通せば、何事もなく、なにもかもが過ぎていくのだろう。けれど、ミッドは俺に知る権利があると言った。踏み込んでもいいと、彼は言ったのだ。知らぬふりをするか、一歩踏み込むかで迷っていた俺は、改めてクラクの方を向いた。彼は耳の通信機器の位置を直している最中だった。


「クラクは今からどこかに行くのか?」

「え、うん。そうだね、少し急いで行かなきゃいけないところがある。どうしたんだい」

「……ミッドに聞いたら、クラクの代わりに答えてくれるかな。いろんなこと」


 俺のためらいがちな問いかけ方に、クラクも真意を確かめようとしているのか、俺をじっと見てくる。けれど、彼は凝視するのをやめて、俺に弱く微笑んだ。


「何だって答えてくれるよ。みっちゃんは物知りだからね」


 穏やかな声で答えてくれた彼は俺に視線を合わせ、笑顔を深め、ウィンクしてみせた。無理に元気を出していることは、俺から見ても明白だった。


「それじゃ、僕は行ってくるよ。心配ご無用。こう見えて、僕はかくれんぼが得意なんだ」


 彼は背を向ける。俺は急ぐ彼を、もう一度だけ引き留める。


「な、なあ、クラク! 一つだけ、いいか?」

「……いいよ」


 彼がこちらを向く。その穏やかな空色の瞳に、見透かされている気になる。意を決して、俺は訊ねる。


「あんたは、ニューロマンサーを別の誰かと見間違えたりしないか?」


 彼は優しく、俺に笑いかける。


「……間違わないよ、絶対に。僕の少ない友達なんだから」


 そう言って彼は雑踏の中を通り抜けて行った。ひらひらと手を振る彼のスーツ姿の背を、不安いっぱいに見守ることしかできない。彼の姿は、あっという間に見えなくなる。


(イデアーレとの約束の時間はまだある、よな)


 俺は太陽の位置を確かめる。まだ、時間に余裕はある。俺はミッドの家の方に向けて、急ぎ足で歩いていく。その途中、俺は一度だけ振り返る。

 ドローンたちは消火器に夢中で、俺を見ることはなかった。

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