森と城と人工種族としてのエルフ2
「エルフの森、ですか」
地名に対し、ミッドは覚えがないといった様子だ。
「ミッドがいた時にはなかったところなのか」
「ええ。確かに原生林はありましたが、そうした名称はついていなかったはずです」
ミッドの言葉を聞き、ロステルを横目で見れば、彼も首を横に振っていた。前後不覚の期間が長かった彼もまた、エルフの森とやらを知らないようだった。
「クラクは知ってる?」
「南に原生林があったのは僕も知ってる。何せ、目的地は北だったからね……」
どうやらクラクも行ったことはないようだった。
「じゃあ、ちょっと行ってみよう」
「ん、それがいいね」
俺の提案に、他の三人も頷いてくれた。おのずと足は、南へと向く。歪な城に偽装されたこの街の心臓を、俺は振り返り見る。一人の少女が出たことさえ不思議に思われるぐらい、扉は固く閉ざされて、開く様子はまるでなかった。
「そもそも、あの城の中はどうなってるんだ?」
俺は三人と同じように南に歩きながら、好奇心のままに城の中身を問う。
「以前と同じなら、宇宙を漕ぐ船に搭載されていたプラントがあるはずです」
問いかけにはミッドが答えてくれた。だが、今度はプラントという単語が分からない。一拍遅れて、彼は気付いたのか、「ああ」と軽く声を上げる。
「食物と武器、人間、それと魔法生物を作るプラントです」
「それって、やっていいことなのか?」
食糧と武器は分かるが、人間と、現地の遺伝子を掛け合わせた魔法生物を製作する。それは、アンドロイドを造るより、ずっと妙なことに感じられて、俺は戸惑う。そこにクラクが補足をしてくれる。
「人間がここに不時着して地球移民になった時、物資も足りなかったけど、何が足りないって味方と人手だったんだよね」
「理屈は分かる。でも、何だろう。俺の中で、それがやっていいことかというのが引っかかってる」
「それは僕も分かる」
クラクは神妙な面持ちになって、頷いた。
「ただ、人間はただの人間のままじゃ太刀打ちできなかった。このままだと人間が滅ぶという事実を前に、きっと知識を総動員した結果なんだと思うよ」
「プラントによって、地球から持ち込んだ情報を実体として製造する都。それで、工業都市というわけです」
「ええ……俺、単に鉄板とか作ってると思ってた……」
きっと、死者のつぎはぎである俺の中には地球の倫理がまだ残っている。それと照らし合わせて見れば、思ったよりも工業都市とは不吉だった。
ミッドも思うところがあるのか、道よりも少し上の方を見て、小さく息を吐く仕草をした。
「人類の宿題である私たちのデータベースには、地球で正しかったことが入っています。そして、岸壁の港町は、あれでもデータベースの倫理に近い行為で動いています」
実際に、ミッドが言った通り、岸壁の港町では、こうしたプラントなどの話は聞かなかった。
「人間が築いてきた生物としての本質も、どっちかっていうと岸壁の港町の方が強いよね。パートナーと結婚して、養子だったり子どもを産んだりで次に繋ぐ。一方で、貧富があり、分かり合えなくて、人は分かたれたままだ」
クラクの言っていることの方が、俺にとっては理解できる内容だった。グリンツ氏と俺がそうだったように、分かり合えない差がある。路地の影にいた名前も知らぬ貧しいヨルヨリさえ、あり得ることだと勝手に思っていた。
「ここでなら、分かたれずに済む?」
俺は時折行き交うエルフやドワーフの姿をした魔法生物を見て、また首を捻った。
「そう、かもしれませんね。解析された情報から、労働力として魔法生物や人間が産出される――彼らの肉体と精神は、この世界と一つになっているのかもしれません」
「ただ。ここほど人間主導の都もない。律されても、苦悩が取り除かれるわけではない」
ロステルのぽつりとした呟きが聞こえた。彼はほんの少し伏し目がちになって、フードを被り直していた。桃色の髪がすっぽりとフードに覆われたのを見て、俺は何とも言えぬ寂しさを感じた。
「彼の言う通り。ここが岸壁の港町より静かなのは、生まれた一部の者が苦悩の末に岸壁の港町へ流れるから。それと、機械の街から『非効率的』との烙印を押された結果でもあるんだ。ドウツキ君は、機械の街の往来を見ただろう?」
「あっ、そういえば」
俺は、クラクに言われて機械の街の往来を思い出した。俺がイデアーレとぶつかった道、彼がローストチキンサンドを頼んだ店の窓から見た外、いずれも、様々な形状の人々が行き交っていた。
だけれども、ここで行き交うのはほぼほぼ、人間かエルフ型かドワーフ型の魔法生物だ。
「非効率って言うけど、機械種はわすれがたみにしたように、怒ったりしなかったのか?」
「おそらく、時期が時期ならば刃を向けたでしょう。ですが、『それどころではなくなった』のです」
「そうか。そこで魔物の出現か……」
一つずつ、点が線になる。共通の敵を前にしても、全てが全てまとまれるわけではない。それでも、まとまるところもあるということだ。
技術力に秀でた地球移民と、よりよい文明を目指す機械種が共同で『魔物』に対処している。だから、機械種は人類やアンドロイド、ひいては魔法生物を生かしているというわけだ。無論、効率を求める彼らが、ごく少数の移民の生き残りを理由なく討つわけもない。
「なんだか、結局この世界が割りを食ってる感じなんだな」
「だからこそ、僕らはちゃんとやったことを覚えておかなきゃいけないし、本当のことはきっちり知っておかないとダメなんだよ」
いつになく真面目な風でクラクが前を見据える。俺も、小さく頷いた。
「ん?」
丁度その時、ささやかな風が吹いた。その中に、俺が幾度となく見てきたジニアの花びらの幻影が混じる。つい、花びらを追って視線を向ける。
「風が出てきましたね」
「雨かな?」
「海側からではないので、大丈夫だとは思います」
ミッドとクラクの二人が映る。二人は今吹いた風について軽く話をしているだけだ。
「あなたには何が見えている?」
「え、ああ……俺が俺として機能してきた時から、見えるものがあるんだ」
ただ、ロステルは俺に気付いたらしい。俺は素直に、ジニアの花びらの幻について、彼に打ち明けることにした。すると、彼は緩慢な動作で、俺の顔を見た後、花びらが流れていった方へと目を動かしていく。
後方で立ち止まった彼に、ミッドとクラクの視線が向く。
訝しむミッドに大丈夫だと伝えるように、ロステルは歩き出す。ミッドとクラクもまた、歩を進めていく。石造りの家々の間を抜けているうちに、ほのかに輝く森が見えてくる。今となっては、すっかり慣れた魔法の七色だ。淡くかすかに、森の中を照らしている。
「一応、足元に気を付けましょう」
ミッドが先導する。続いてクラクが。そして、俺とロステルが最後尾につく。
「ドウツキ」
「どうした?」
ふと、ロステルが俺を呼び止める。ミッドとクラクから離れすぎないように距離を取り、彼は俺の隣を歩く。
「確かに、あなたに恩義がある。それは事実だ。だが、オレは、あなたに対し奇妙な感覚を覚えている」
「えっ、俺、何か変?」
「そう、じゃない。表現が、困難だ……ああ、ええ、と」
硬い言い回しは彼自身の意思ではないのだろう。どのように表現するべきか分からない様子で、眉を寄せる。彼がとっさに胸元に手を当てるのを見ると、ブローチは彼の意思を押し込めるように淡く光を帯びていた。
俺は適度に相槌を打って、彼の邪魔をしないよう心がける。
「あなたが過去、ニューロマンサーという別個体だったことを知っている」
「あ、ああ。そうか、ロステルも覚えてるのか」
ロステルはこくこくと、表現しがたい言葉の代わりに頷いた。彼を助けたトールとニューロマンサーの記憶を、俺はわずかに思い返す。
彼の瞳は伏せられ、頼りなげに泳ぐ。
「あなたに、妙な感覚を覚える。最初は、この心が、亡きニューロマンサーを懐かしんでいるのかと思った。だが、どうにも違う」
ロステルは灰混じりの青い目を凝らして、自らの言葉と、言葉にできない真実を探っている。
「あなたは、妙な気配を纏っている。オレには、それが見える」
「気配?」
「そう。とても懐かしいと思わせる何かが、ある。恐ろしいものでは、ない。しかし、看過もできない。あなたの見る幻と、関係、あるかは……不明、だが」
結局、それが明確に言語化されることはなかった。が、俺にも分かることがある。どうやら、俺にはロステルにだけ感じられる気配があるらしい。幸いにして、彼が怯えるようなものでもないということも。
彼は思考が困難な様子でうなだれていた。かと思いきや、ぱっと顔を上げる。
「勘違い、しないでほしいのは。あなたに付いているのは、決してニューロマンサーや、懐かしさが理由ではない。あなたが、あなたの言葉で、オレを引き留めてくれたからだ」
ロステルは再び、俺から彼自身の手を覆う手袋へ目を向ける。ブローチとの契約が再更新され、彼の手袋は新調されたように真っ白だ。
「ロステル」
俺は彼の名前を呼んでみる。すると、彼は俺に顔を向ける。戦いの時はあんなに心強いのに、こうした時の彼は迷子のようだ。
「ロステルは確かに、ブローチのことは怖くないと言っていた。でも、俺にはロステルが、『今』に怯えているようにも見えるんだ。ロステルは、この世界が怖い?」
だから、つい聞いてしまった。俺が呼び止めたことで、彼は苦しみを背負うことになったのではないだろうか、と。すると、彼は首を横へ振った。
「きっと、あなたと同じだ。ドウツキ、あなたも少しは怖がっている」
「……そうだなあ。だって怖いこと一杯あったし」
グレムリンに解体されかけたこと。イデアーレに殺されかけたこと。ミッドが倒れた時のこと、グリンツ氏に冷たく当たられたこと。ヒューバートが陥れられたことも。数え切れない怖さがこの世界にある。
害意も陰謀もこんがらがっていて、足が竦みそうになる。
「それでも、あなたは彼を助けたいのだろう?」
ロステルが前を見る。ミッドがそこにいる。たった一人で弟の名簿を手に世界を歩く兄がいる。彼は恐怖と向き合いながら、どうにか過去に折り合いをつけようとしている。
「うん、放っておけない」
「それと同じだ。オレはどうしたいか決めている」
「心強いなあ」
「頼り、接してくれ」
やっとロステルが笑った。計り知れない苦しみを抱えながら、彼は前を見ている。俺もまた、前を見ている。
「どうしました、ドウツキ」
ミッドが振り返って、俺に問いかける。
「いいや、何でもない」
俺は笑って、ミッドに答える。皆が同じ方向を向いて歩いていることが、今は安心に繋がっていた。




