三男イゲンの歓迎2
そこで、クラクは急にミッドを見据えて口を開く。
「そもそも、みっちゃんはどうしてこっちに? 危ないって分かってるはずだろう?」
「話せば長くなります」
「あ、俺も話したいことがある。いい?」
そこからは俺とミッド、そしてクローディアとロステル。四人がかりでクラクに説明をした。ヴァン・ファニング氏から滲む思惑、グリンツ氏との衝突と一応の和解。フェオやウィリアムたちとの邂逅。そして救えなかったヒューバートと、自らをビショップと名乗るニューロマンサーの模倣体。思い返せば、何もかもがめまぐるしい旅路だった。
「そうか。みっちゃんがマリア博士のことに決着を付けたくて、それをドウツキ君が後押しした形か。で、護衛に付いてきたクローディアちゃんと、変質したなりに自我が戻ったファニング家の長男殿と、目が覚めないアマナちゃん……なるほどね」
マリア・ダンカン博士の話を切り出すと、クラクは飲みさしのホットミルクの方へ視線を落とした。だが、彼はすぐに顔を上げた。
「頑張ってるね、ドウツキ君」
優しい笑顔がそこにあった。彼の人懐こい笑みに、俺も表情を和らげる。彼の人好きのする顔は、変わらず安心感を与えてくれる。それでも彼の目の奥に真剣な光が宿っていることを、俺は見逃さない。
彼は真摯に、俺たちの行く末を案じてくれている。
「まず、僕からアプローチできるところを上げよう。イゲンさん、この子の手当てについては、もしかしてあなたの得意分野じゃないかなと思うんだけど、どうかな?」
「ん? ああー、そうだねえ」
イゲン氏はといえば、聞いていたのかいないのか、ぼんやりとした様子で脚をぶらぶらさせていた。が、クラクに話を振られれば、マグカップを持ったまま椅子から降りて、クローディアの抱えている繭を眺め始める。
「ちょ、ちょっと! アマナちゃんは大怪我してるから、変なことしないでよね!」
アマナを抱っこして庇おうとするクローディアにも、イゲン氏は微塵も怯まない。マイペースに歩き出して、戸棚を開く。
「ふんふんふん、大怪我、大怪我ね。外傷? それとも内側からやられた?」
イゲン氏は俺たちに間延びした口調で問いかけながら、マグカップをやっと置いて棚を漁り始める。ガラスとガラスのぶつかり合う音が、何度も鳴る。
「ワイヤーで切られたり、揮発性の液体の染みた布に包まれて吊されたりしたんです。火傷はしてないと思うんですけど……」
俺が説明すると、イゲン氏は棚を見たまま相槌を打った。
「ほうほう、ふんふん。外傷もそうだけど、中毒もありそうだね。何せ、この世界の揮発性の油ときたら、地球にあったガソリンという液体のようにタチが悪い。有機溶剤めいて、身体に不調を起こす」
俺がアマナの損傷について答えると、イゲン氏は小瓶をいくつか取り出した。そして机の上にそれらを並べると、三角のガラス瓶を引っ張ってきて、分量を確かめながら混ぜ合わせ始める。
「んー、ドウツキ君。そもそも魔法生物ってなーんだ」
液体を混ぜ合わせながら、イゲン氏が急に俺に問いかけてくる。
「えっ。この世界の遺伝子と、地球の遺伝子を掛け合わせて作った新人類って聞きました、けど」
「そう。じゃ、この子が何か分かるよね。普通に交流してたってことは、大方『人型』だったんでしょ?」
調合された液体は一体何でできているのか、ひっきりなしに色を変え続ける。虹を混ぜているようだった。
「アマナが何、か?」
「……考えたこともなかったって顔だね。植物に関係するこの世界特有の生き物を、君は知っているんじゃないかなって思ったんだけど」
俺は少しだけ考えた。だけど、すぐにイゲン氏が俺に問うていることを理解した。俺の回路が、ぐっと冷え込むのを感じた。
この世界にはいるじゃないか。植物を由来として生まれた人類が。
「ヨルヨリ?」
俺が察したことに気が付いて、イゲン氏は瓶を下から覗き込みながら淡々と告げる。
「うん、そう。この子は地球移民の遺伝子と、ヨルヨリの遺伝子を掛け合わせて作られた魔法生物だ。間違いないよ」
「アマナちゃんも、魔法生物……?」
クローディアが繭を覗き込むが、繭の中のアマナは眠り続けている。
「しかも失敗作だよ。モデルが定まってない。地球移民は、既存の架空の存在をモデルに後続の人類をデザインしたし、そうすることでアイデンティティの喪失を防いだんだ。言っちゃ悪いけど、半端すぎる」
「そ、そんな言い方……」
俺が怯んでいる間に、イゲン氏は薬品を試験管に移した。七色の輝きが収まって、ただの爽やかな緑の色合いに変化していく。待つ俺の回路の中に蘇るのは、フェオのことだった。蝙蝠。赤い瞳。それはひょっとして、吸血鬼をモチーフとしていたのではないかと。
「多分、生育を放棄されたところを、誰かに運良く拾われたんじゃないかって――」
「イゲン」
ロステルがたしなめるように彼の名を呼んだ。すると、彼は肩をすくめた。
「ああ、ごめん。その辺のこと上手くないんだよね。言い過ぎちゃった?」
イゲンは仮面の下の肌に触れていた。おそらく、わざとではないのだろう。ただ、事実を隠すことが極端に苦手なようだった。
「ま、いいか」
「よくない!」
彼は完成したばかりの緑の液体をクローディアに差し出している。クローディアが反論するが、イゲン氏はまったく気にしていない。
「はい。僕の見立てが正しければ、これで元気になるはずだよ」
「ううーっ、もう! どうしてファニング家の人って感情回路の形成が極端なのかなあ!」
グリンツ氏のことも加味しただろうクローディアの嘆きも理解しないでもないが、ロステルが何気なく窓の方へ視線を逃がしたのを、俺は見ていた。俺はどこか生ぬるい苦笑いしか返せない。
ともあれ、今はアマナの治療だ。彼女が元気になるなら、それに越したことはない。
「クローディア、アマナがどうなるか分からないから、抱いていてくれないか?」
「う、うん……」
アマナはクローディアに抱えて貰って、俺が液体を受け取る。かけてと言わんばかりにしきりに頷く仮面の青年をどこまで信じていいのか分からないが、業務提携なんて言葉を使った以上、突然不利な行動はしないだろうと信じる。
「大丈夫だよ。毒なんて入れてないって。ばーっとかけちゃって」
両方の拳を握り、イゲン氏は明るい声で俺を励ましている。おそらく彼は自分にも他人にも気軽にするよう振る舞っている。だが、緊張するものは緊張するし、どちらかというと軽いノリが不安になる。
慎重に、何か起こったらすぐに動けるよう、試験管の緑の液体をアマナの緑の繭へ注ぐ。蔦から滴るかと思われた液体は、驚くほど早く繭の中へと浸透していく。
俺は固唾を呑んで見守った。しばらく繭は動かなかった。
「あっ」
蔦の一本がにょろりと繭から伸びて、あたりを探るようにぺたぺた触り始める。クローディアの頬や腕を触り、近くにいた俺の手にも触れる。
「アマナ!」
やがて、大丈夫と判断したのか、蔦が繭の中に引っ込む。
「ぷはっ」
その代わりに、繭の中からアマナの頭だけが出た。俺も、クローディアも、冷静なミッドやロステルさえも、彼女を覗き込むために一歩前に出る。
「アマナちゃん! 大丈夫?」
「おはよーございます、おはよーございます。よいしょ……」
視界で確認した後、彼女は繭をごそごそと動かして、蔦をほどき、手や足を出す。服はぼろぼろになってしまっていたが、外傷はなく、花の色艶もよくなっていた。
「ふーん。思ったよりは人って感じだね」
様子を見ていたイゲン氏もアマナを一瞥する。地球移民に花をくっつけたような姿の少女に、彼も興味を示しているようだった。アマナはといえば、今しがたの衰弱っぷりが嘘のように、手を挙げている。
「どうもどうも。現状のごせつめーをお願いしたい」
「じゃあ、あたしがするね」
「たすかりをえた」
ほどなくして、アマナは繭を撤収し、両手で斧を受け取った。クローディアがアマナに説明している間、俺たちはクラクに向き合う。
「――。ともかく、現段階で実験都市内に潜り込むのは難しいだろうね」
クラクは顎のあたりをさすりながら、窓の向こうを睨んだ。
「クラク。マリア博士についての情報は得られましたか?」
「君が知っている以上のことは分からなかった。数年前に事故で死んだ。それだけ」
酒のようにホットミルクをあおったあと、クラクは肩をすくめ、ため息をついた。
「でも事故ってさ。トールも事故扱いなんだよ。嫌な感じしない?」
「情報が出揃っていない以上、何か言うことはできません」
俺は納得行かない顔のクラクと、できるかぎり冷静であろうと務めているミッドを見比べる。だが、俺にはミッドも錯綜する状況に苦慮しているように見えた。
「結局、トールがどうやって死んだかも、どうしてトールが研究都市に侵入したかも、おおっぴらに公表されてはいないんだ。まともに表に出たのはイデアーレの処分だけ……」
小さな背もたれに大きな背中を預けて、クラクは天井に近い上の方を仰いでいた。
「何か、とんでもないことが隠されてる。そんな気がする」
「それは、元夜駆としての勘ですか」
「まあね……」
ミッドの質問に笑みを取り戻して、クラクは疲労したような長い長い息を吐いた。俺もなんだか決定打のようなものを掴み損ねていて、やりにくさに負けて背もたれに身体を委ねる。
「いろいろ知りたいことはあるけど、アンドロイドは一人で出歩くのまずいんだよな」
「売り飛ばされたり調整されたくなければやめた方がいいよ」
クラクの言うことはただの脅しではない。俺は眉を寄せる。
「どの道、出るならロステルの力を借りる必要があるか」
「オレは問題ない。あなたを護衛する」
ロステルの言葉を聞いて、イゲン氏は「へえ」と声を上げた。仮面の奥の目が見開かれたような、意外そうな声だ。
「『誰にでも優しい』ロスが、随分個人に入れ込んでるじゃない」
「彼には恩義がある」
「ふーん。ま、いいけどね。君が状況にふさわしい感情表現ではなく、自我から発生する感情を持つのは結構なことだ」
恩義だなんて大げさだと俺が言うより早く、イゲン氏は肩をすくめた。
「じゃあ、ロステル。後で一緒に街へ出てほしい。ミッドたちはどうする?」
「しばらくは同行して、宿を探しましょうか」
「滞在するんだったら、拠点はここでいいよ」
イゲン氏は兵士や近場の人々の許可も取らず、軽くそう言った。「でも」と躊躇う俺に、彼は背もたれに身を預け、指を軽く重ねた。
「ミッドバードを粗末に扱ったら、僕が父から小言を食らっちゃう。アンドロイドの修復設備もあるし、悪くない提案だと思うけど?」
「いやー、ファニング家ってそもそもうさんくさいじゃん……」
「あはは。まあ、仕方ないよね。だけど、僕は君たちに有利なように動く意思がある。信じるかはさておき、それは本当だよ」
アマナに説明を終えたクローディアが躊躇無く口を挟む。イゲン氏は仮面の裏で苦笑いを発したが、それは怒りというより諦観を帯びたものだった。
「むむ、仕方ないか。じゃあ、あたしはアマナちゃんと待ってようかな」
「めざめの運動はしない感じ?」
「病み上がりなんだから、体調がいいかどうか確認するの」
「いたしかたなし」
「アマナ、俺からも頼むよ。悪いけど、もうちょっとだけ休んでてほしい」
「ますますいたしかたなし……」
肩を落とすアマナだったが、俺も彼女が本調子だとは思えない。大人しく二人には留守番していてもらおうと判断する。
「ミッドとクラクはどうする?」
「我々も行動はしたいですが……この人はいろいろ無理をするので、ツーマンセルだと少々荷が重いです。そちらに同行しても構いませんか」
「ああっ、相変わらずつれない」
ミッドの目線の先にはクラクがいる。俺はロステルの方を見て、彼の許可を取る。彼はまったく問題ないといった風で頷いた。決まりだ。
「きっと、クーネルって人も、俺を探しているはずだ。気を付けて行こう」
俺はヒューバートのことを思い返す。彼は死の間際に、この工業都市の主について警告していた。クーネル・プラインがどのような人となりかは知らないが、ヒューバートにあのような仕掛けをしたというのならと、俺は拳を握る。
(そして、この街のどこかにビショップもいる)
俺は、ニューロマンサーの模倣体について思いを馳せた。彼のことだって警戒しなければならないが、俺はどうしても、彼の声色を忘れられないでいる。
単に壊したいのであるならば、求めているなど言わないはずなのだ。手を差し伸べ続けた彼を、俺はどう扱っていいか分かっていない。
(ヴァンさんもそうだけど、みんな何を考えているんだ?)
クラクの言う通り、何かあずかり知らぬものが渦巻いているような気がして、俺は一人目を伏せた。
「ねー、ドウツキ君」
「ああ、はい。何でしょう?」
そこに無邪気なイゲン氏の声が掛かった。俺は俯いていた顔を上げて、仮面を見る。彼は先ほどの姿勢と同じままだ。
「ドウツキ君はさ。なんでファニング家が商会を名乗っているか知ってる?」
「えっ」
急に話を振られて、俺は困惑する。イゲン氏は俺に問いかけるのが楽しいらしい。爪先をのんびりと揺らしている。
「僕ら地球移民が、いかに帰ることのできない地球に縛られているか。君はきっと考えたことがないだろう。永劫に懐疑したまえ。それが僕らのやめてしまったことなんだ」
イゲン氏の意味ありげな言葉を聞いて、俺はただ、首を捻ることしかできなかった。




