人間を愛せない男1
夢の残滓を片手に意識が正常に起動したのは、次の朝だった。俺は慎重にベッドから身を起こす。頭は痛んだが、昨日よりは重くない。
ふと、横を見ると、椅子に座ってベッドにうつ伏せのまま、機能を休止しているミッドがいた。目を閉じて、寝息も立てずじっとしている。
「寝かせておいてあげなよ、君を心配していたんだ」
声のする方を見ると、クラクが丁度スーツを羽織っているところだった。彼が通信端末を耳につけるのを待ってから、俺は通信を送る。
「悪い、もう大丈夫」
「なら良かった」
クラクは満面の笑みを見せた。それから安楽椅子を元の位置に戻して、俺に手招きをする。
「ドウツキ君、朝食に付き合ってくれないかい。行きつけの店があるんだ」
「いいけど、俺はものを食べられないよ」
「それでよければってことさ」
彼は人好きのする顔で手招きをする。俺はクラクと一緒にミッドを寝台に横たえると、軽く身支度をして朝食についていくことにする。
玄関のドアを開けて、外へ出た。室外機の唸りと錆びた匂い、そしてひんやりとした空気が、混ざり混ざってあちこちのセンサーを撫でる。空を見上げると、硝子とフレームの向こうは、ほんの少し曇っている。
「今日だっけ、月食」
「そうだね、見られるといいね」
「クラクは見たことある?」
「あるよ、何度もね」
二人して空を見て、ぽつぽつと言葉を投げ合う。目的地に向けて先に歩き始めたのはクラクだ。
「……トールと僕は古馴染みでね。彼はMid_Bird型を手掛けた技師なんだ」
「というと、俺の親?」
「そういうことになるかな。人間が地球から持ってきた宿題を解いた、僕のヒーローだよ」
クラクは腰に手を当てて、自慢げに鼻を鳴らした。俺はそんな様子に和んでしまって、つい笑ってしまう。
大通りは昨日と変わらずにぎやかだ。様々なかたちの人々が通り過ぎ、Neuromancerの噂をまことしやかに囁いている。時折ドローンや、防災用の道具を持った警備員が、昨日と同じように横切っていく。俺たちはその中を歩いていく。
「宿題って?」
「『限りなく人に近い機械を作ること』。多くの人がこれに挑んでは挫折してきた。古くは不気味の谷、多対一の対話能力、あるいは緻密な感情表現に、もちろん耐久性やエネルギー効率、防水性、運動能力も。ああ……性的機能はやだって言ってたな、それからええと」
指折り数え、彼はちょっと熱の入った早口になる。その頬がほのかに興奮で赤らんでいる。
「とにかく、Mid_Bird型はそれらをブラッシュアップした家庭用のアンドロイドだ。歌って踊れて料理もできちゃう。かのアイザック・アシモフの三原則にも縛られない」
「なんだっけ、人間を傷つけない、人間の言うことを聞く、今の二つに反しない程度に自分を守る?」
「そうそうそれそれ。それもアンハラ認定受けちゃってね。それはそれとして、君たちはすごい技術の塊ってわけ」
「もちろん、ミッドもそうなんだよな?」
俺の質問にクラクは大きく、大きく頷いた。
「その通り。君たちのプロトタイプこそが、みっちゃんだ。つまり一番上のお兄さんだね。首の番号がなかったろう?」
「確かになかったな……。ミッドが、兄貴、なあ」
ぴんと来ないで俺は首をひねる。だが確かに、彼の綺麗な首には識別番号が存在しなかったことを思い出す。
「図書館で知り合った子から、ミッドが各地を転々としてるって聞いたけど、何でだろうって思って……あっ」
思い出して、俺は話を止め、足も止める。クラクが立ち止まり、その大きな体ごと振り返る。
「クラク。俺、あの子に会ったよ、ほら、エプロンドレスの!」
「本当かい?」
ゆるい表情ばかり見せていたクラクの顔が、にわかに真剣みを帯びる。体格差で結構なすごみがあるので、覗き込まれると俺はちょっと身を引いてしまう。
「よ、用事だったんだろ?」
「ああ、いや。前にも言った通り急ぎじゃないんだ。ただ、彼女が夜に外を出歩いているという話があってね。良くないんだよ、それ」
「ミッドもなんか言ってたな……夜は外と開発区に出るなって」
俺は腕を組んでミッドの忠告を思い出した。クラクは街の外への出口がある方を見て、頭を掻いた。一方で、俺は昨日、眠る前に見えた影について思いを馳せる。
「外は怪物が出るから危ないんだよ。グレムリンって知ってるかい?」
俺は同じ姿勢のまま、その単語がデータのどこかにないか頭の中を探す。思い当たったのは、地球のおとぎ話の妖精だ。
「機械を壊すっていう妖精みたいなものだっけ」
「そう、その性質になぞらえて、グレムリン。知性のある機械を捕まえて、爪と尻尾でばらばらにしてしまうんだ。最後には発声器官だけ残して高いところに頭を吊るすときた。グレムリンだけじゃない。外にはそういうのがうようよいる。だからみっちゃんはダメって言うのさ。で、僕も彼女にダメって言いたいんだよ」
俺は思わず真顔になった。どうやら武装した人々を見かけるのは、Neuromancerの一件によるものだけではないらしい。俺たちは大通りを曲がって、小道へ足を踏み入れる。歯車の露出した黒い壁から、たまに蒸気が噴き出ている。
「クラクは外に出たことがあるのか?」
「僕も昔は各地を転々としていたからね、多少なりとも知識はあるさ」
そんな彼が機械の街に住むようになったのには、何か理由があるのだろうか。俺は少しくたびれた空色の瞳を見て、彼の来歴をあれこれとりとめもなく想像した。