君の心、君の意志4
見たこともない文字の浮かぶ暗い虚空の中に、巨大な丸い銀の炉があった。ロステルが桃の髪をなびかせながら、その前に立っている。
炉のガラス窓の中に、燃え上がる空が見えた。紅蓮の夕焼けに、はがねの翼を生やした機械種たちが飛び回っている。抗い、怯え、惑うわすれがたみたちが、ヨルヨリたちを呼んでいる。けれど、緑の髪をした友人は、誰一人として来ない。
美しい髪と簡素な白い衣が、爆風に巻き込まれ、影も形もなくしてしまう。あるいは機械種に取り押さえられ、原生種のサンプルとして回収されていく。
立ち上る黒煙に紛れて、弾雨が降り続ける。誰もそれを止められはしない。
ロステルはただ、ガラス窓に映る光景を見つめていた。
俺はそんな光景を、輝く文字に紛れて浮遊し、見守っている。
――正しく唱えなさい。
ロステルと繋がっているからか、俺に不思議な囁きが聞こえた。凜とした女性の声だった。それは、ロステルの母親の声によく似ていた。
――正しく使いなさい。
――我ら、『かみさま』より色を戴いた長子であるからには。
声はなおも俺の中に響く。そして、きっとロステルにも聞こえているのだろう。
彼はわすれがたみの地獄が詰まったガラス窓に手を伸ばす。
「ロステル……」
俺は手を伸ばしながら彼の名を呼ぶ。ロステルの焦げた白手袋の指先が止まる。彼の視線が、こちらへと向く。
「あなたは見知らぬオレを引き留め、痛みを感じようとしてくれた。正しく痛みを感じることを忘れていたと、思い出させてくれたんだ」
彼は流暢にそう言葉を出して、柔らかく微笑む。
「オレは報いたいよ」
俺は胸のあたりがつっかえるような思いをした。いつか、ニューロマンサーがトールを愛して言ったその言葉が、俺の背中にのし掛かる。
「それは、どっちの意見なんだ」
俺は、彼と彼の胸元で輝くブローチを見比べて、問う。
「どっちもだ、ドウツキ。オレたちの妥協点が、そこにある」
ロステルは俺に手を伸ばす。距離を置いて浮かぶ俺の輪郭を撫でるように、指を動かす。
「誰かを助けたい。道具として意義を果たしたい。オレたちにとって、『報いる』とはそういうことだ。あなたたちを生かすことで、やっと生きていける」
彼は穏やかに笑った。
「大丈夫。考えなしじゃない」
「……」
何と、言えばいいのだろうか。俺は何秒も逡巡した。そして、彼の覚悟は決まっているようだし、俺の言いたいことも決まっていると気付いた時点で、やっと感情を送った。
「信じるけど、よくないことになったら止めるから」
「ああ、それで構わない」
俺はゆっくり拳を突き出した。ロステルが意図に気付いて、拳を握る。俺たちの手は触れ合わないけれど、どこかで繋がって、温度を交換する。
「あなたも、好きなように生きて、オレに関わってくれ。そうすれば、オレは何度だって、自分の輪郭を思い描ける」
「ん、そうする」
彼はもう一度、真なる銀の炉に向かい合う。届かないと分かっていても、俺は手を伸ばす。彼の手の輪郭に己の手を重ねるように。
「生まれ直そう。もう一度、何度だって……ッ!」
彼が炉へと手を差し出した次の瞬間、ガラスが砕け、焔が溢れ、俺の視界がホワイトアウトする。焔の中に熔け行く彼の輪郭が、俺には輝いて見えた。
「!」
視界が戻ると、ロステルの喉元に迫っていたヒューバートのワイヤーが不自然に弾かれる瞬間だった。彼が驚いて見る先に、紫電の名残がある。
気配のした方向を見れば、姿を隠していたミッドが、くいと煤にまみれた頬を持ち上げていた。彼は一歩も動かずシールドでしのぎ続け、ヒューバートがワイヤーを振るう瞬間を待っていたのだ。
「ごきげんよう」
「兄様……ッ!」
焦ったヒューバートがミッドへと振り向いた時、炎が爆ぜた。
ロステルの影が空を振り仰ぎ、息を吸い込み、叫ぶ。
「――『来たれ! 我が兵装、我が軍勢』!!」
ロステルの輪郭が露わになる。炎が吹き上がり、彼を解放する。
痛ましい焦げ痕はどこにもなかった。金で縁取られた緋色のコートを身に纏い、機械仕掛けではない革のブーツを履いている。ブローチはなおも赤々と燃え、背中からは機械の翼が生えていたが、彼の瞳には、はっきりとした理知の光が見えた。そして、怒りが見えた。
「ロステル君……」
「……すまない。勇気を出すのに、時間が掛かってしまった」
彼は言葉をつっかえさせることなく、どこか堅くなってしまった言葉でそう言って、クローディアに優しく笑いかけていた。彼は戸惑うヒューバートに向き直る。
「……土壇場で正気に返らないでください。殺しにくく、なってしまいます」
困ったように笑うヒューバートに、ロステルは首を横に振った。
「いいや、オレは二度と正気には返れない」
彼は再び腕に砲を召喚したが、そのデザインはよりはっきりとしたものへと姿を変えていた。刻印が記され、より機械種らしい効率的な形状の砲を構えて、ロステルは断言する。
「だが、それでいいんだ。あなたと同じだ、ヒューバート」
「ならもう、言葉は要りませんよね」
ヒューバートがステッキを構える。風を切るかすかな音が、陽炎に包まれた部屋の中を行き交う。
「私たちはみんな、大切なものを助けたいだけなんですから!」
銀糸の嵐が吹き荒れる。俺の上の木箱を吹き飛ばし、警備システムの無用の部分さえも切り取って、乱暴に掴み、投げ飛ばす。
ロステルは迷い無くそれらを迎撃し、ヒューバートに肉薄する。
「お待たせしました」
俺の側で声がする。驚いてそちらを見ると、ワイヤーをシールドの魔法でかいくぐったミッドがそこにいた。
「あのワイヤーをくぐり抜けて来られるのか」
「静かな立ち回りが本来のやり方ですので。バッテリーをください、息が切れそうです」
ミッドは再び言葉を唱えて、ステルスを発動させる。俺は木箱の山から脚を抜いて、荷物を確認する。携帯用バッテリーを渡しながら、話を聞く。
「作戦会議です。警備システムを完全に停止させましょう」
「分かった。クローディアが中枢回路さえ分かれば停止できるかもって」
「ふむ……それに、尾についたアマナの斧も回収しなければなりませんね。あのヒューバートの攻撃で、変に壊されては困ります、か」
ミッドも俺も別々のポーズで口元に手を当てて、思案する。俺は警備システムの残ったパーツを眺めている。
「あなたの見立てが聞きたいです」
「そう、だな……」
俺は視線を巡らせながら、思考する。
檻で人型の部分は潰れて、ヒューバートに切り取られている。ここではない。人型はデコイだ。尾はあまり効率的でない。振り回して、破損する可能性が高いからだ。同じ理由で、まず足止めとして攻撃されるであろう脚も考えにくい。
だとするならと、俺は砲塔の少し下を見た。
「砲塔の真下、人型パーツのすぐ後ろ。あそこが一番安全だ。人型部分で目が付きにくいし、俺が設置するならそうする」
「では、そこに賭けましょう」
「ミッド。これはトールの知識じゃなくて、俺の考えだ。それでもか?」
あっさりと言うミッドに、俺は不安になって通信を送る。するとミッドは、吹き出したように空気を漏らす。彼は頬をもう一度持ち上げる。
「ええ。それが何か」
「……そっか。ミッド、ありがとう」
「お礼は成功してから言ってください。では」
ミッドがステルスを解除して、クローディアたちとは別方向へと移動を始める。わざと紫電を警備システムに発射し、クローディアに通信を送りながら陽動を始める。
「クローディア、陽動をします。砲塔の真下を狙えますか?」
「ピンポイントになっちゃうよ。出力上げて切るやつは、あたしがよじ登らないと無理」
そうこうしている間にも、警備システムはぎこちない動きで、ミッドに向けて砲塔を動かしている。相変わらず脚は動かず、じたばたともがいている。
はっと俺は気がついて、二人の会話に混ざる。
「そうだ。クローディア、今から設置するから炸裂弾を狙ってくれないか!」
「設置するって、ひょっとして登る気!?」
「大丈夫。少し時間をもらえれば、俺はやれる。クローディアは、やる?」
しばしの間があった。クローディアも、最善手を探している。ミッドも、俺も、そしておそらくロステルも、そうだ。皆、ヒューバートをどうにか止めて、この状況を切り抜けようとしている。
やがて、彼女から返事が来る。
「分かった。ドウツキちゃんとみーくんの体がそろそろ心配だし、長くは待てないよ!」
「ありがと!」
俺も目的のものを用意し始める。鞄からフックつきのロープを出し、先端近くに炸裂弾を結わえ付ける。ついでにフック自体には点火していないトーチを差し込んで、金具を挟んでおく。すぐ外れそうだが、鞄に手を突っ込む余裕があるかは分からない以上、出しておくに越したことはない。
念のため、ロステルの方向を確かめる。彼はヒューバートと間合いの取り合いをしている最中だった。砲を装着していない、まっさらな白手袋をヒューバートへと差し向けると、あたりに古びた銃がいくつも発生し、自動射撃を始める。
ヒューバートのワイヤーは、それをすべて防ぎ切っている。ロステルをもってしても、彼を無力化することはできないらしい。
ならばなおのこと、急がねばならない。俺はロープを肩に担いで、ハンマーをくわえ、加速装置をつけて、警備システムに接近する。
途中で何度も尻尾が俺を襲ったが、その度にミッドが引きつけてくれた。
俺は警備システムの足下まで来て、檻の残骸や、トーチを噛まされて満足に動かない脚を踏み台に、時折咳き込みながら、必死によじ登る。
接触に気付いた警備システムが上体を振るうが、振り落とされるわけにはいかない。俺はしがみつく。ミッドが作ってくれる一瞬の隙をついて、トーチから金具を抜いて、ハンマーで横方向に打ち付ける。もう一度そこへトーチを差し込めば、即席の足場が完成する。
(あとちょっと……!)
残るは人型パーツと砲塔の隙間にロープを引っかけて、降りればいいだけだ。せわしく動き回る砲台に巻き込まれないよう、俺は足場に足をかけ、いよいよ人型パーツの残骸にロープを引っかける。
「邪魔しないでくださいと言ったはずです!」
ヒューバートが俺に向けてワイヤーを振るい、瓦礫を放り投げてくる。
「あなたはじっとしていればいいんです! それなのに、なんで……!」
瓦礫が俺の頭上で爆発する。ロステルが迎撃してくれたらしいが、俺は見ている余裕がない。暴れる警備システムにしがみついて、振り回されながらヒューバートに通信を投げる。
「俺だって、どうにかしたいことがあるんだよ!」
「何もできませんよ!」
「今やってる!」
「無駄なんですよ!」
「無駄にしないためにやってるんだってば!」
「何もないんですよ! ありっこないんです! ただの家庭用のあなたに、まして声を失ったあなたにできることなんて!」
「それっ……結構傷つくから!!」
素直な言葉を選んだつもりだったが、ヒューバートの通信が止まってしまった。気にはなるが、俺は自分のことで手一杯だった。
人型パーツの残骸にロープを引っかけ、縄と足場を頼りに、必死になって降りる。
(あっ……しまっ……!)
が、その途中で、ロープは先端を残してぷつりと切れた。無差別なワイヤーの攻撃が、ロープを切断してしまったようだった。
自由落下に手足を掴まれる。俺は床に叩き付けられる覚悟を決め、ぐっと目を閉じる。
しかし、俺を包んだのは重力加速度ではなく、白い泡のような魔法だった。
「……っ、そうか、『落下制御』!」
これも宿場町A-3でミッドが使ってくれた魔法だ。見れば、息を切らしながらも、ミッドがこちらに手を向けてくれている。
そして、終焉を告げるように一条の光が炸裂弾を呑み込んだ。
人一人を吹き飛ばしてもまだ足りないほどの爆風があたりに満ち、銀の雨が上がる――。




