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蜘蛛の巣の中1

「とにかく、進もう。だとしたら、なおのこと合流しないと」

「同じ罠があるかもしれません。ドウツキ、足元にも注意をお願いします」

「うん、分かった」


 俺はミッドの言葉に頷いて、ロステルに向き直る。


「ロステル、ありがとう」

「あ……」


 礼を言うと、ロステルは小さく声を上げた。彼を押さえつけているブローチの光が、一気に弱まる。何か俺は伝えなければならないような気がして、言葉を探す。


「えっと。さっきのテレポーターのことも、そうだけど。すごく助かってる。もっと、自信持っていいと思う」

「……」

「ロステルは、ロステルの意見を持ってるはずだ。俺は、それが聞きたい」

「お、オレの、意見……」


 震える声で、彼は俺の言葉を反芻する。


「うん。ロステルの気持ち。でも、俺は、ロステルが気持ちを殺すことも、生かすことも、否定しない。できないって言った方が、正しいか」


 グリンツ氏に思うところがあったように、ロステルにも思うところはある。でも、岸壁の港町でアマナの指摘した通り、それを押し付けることは、残念ながら彼らが行われてきたことと同じなのだろう。

 それならば、俺にできることは、許される限り見守ることであり、俺の意見を伝えることだ。そしてそれは多分、丁寧に行わねばならないことだ。


「元気ならいいなって思ってるのは本当だけど。大丈夫。やりたいようにしてくれればいいよ」

「やりたいように……」


 ロステルは俺の言葉を繰り返した後、俺から少し目を逸らし、伏せて、瞼を閉じる。世界とロステルを断絶するように、ブローチの炎の気配が強くなる。

 でも、俺はそれでよかった。俺は待ってくれていたミッドに向き直る。


「行こう、ミッド。待ってくれてありがとう」

「いえ」

「……どうかした?」


 ほんの少し、ミッドが笑っているような気がして、俺は首を傾げる。彼は、隠さず頬をくいと指で持ち上げた。


「兄として、弟の交流を微笑ましいと思いました」

「そっか……ミッドもする?」

「十分させて頂いておりますので」

「本当に?」

「本当です」


 ミッドも、最初に比べれば表情豊かになってきているような気がする。


 ――どーつきが綺麗でいることで、救われる人がいるみたいなの。


 俺はこの場にいないアマナの言葉を思い出して、「ならば、そう在ろう」と思った。

 まるで自分だけが汚れることから逃げているようで、良心の呵責がないわけではない。けれど、そう望まれて、それがミッドたちの強さになるのなら、俺は灯りを掲げ続けたいと。そう、思った。


「じゃあ、進もうか」

「そうですね」


 ミッドが頷く。ロステルに思っていることは通じてしまうが、俺はそれを口に出さず、前に進み始めた。

 次に俺が通信を繋げたのは、トーチを十本ほど灯したあとのことだ。


「ミッドは、サリタさんと交流はあったのか?」

「トールやマリア博士よりは少ないですが、ヒューバートの件もありましたから」


 俺は名簿にあった、あの恐ろしい赤い文字を思い出していた。ミッドは俺がトーチを配置するのを待って、言葉を続ける。


「サリタ技師は気風の良い方です。良くも悪くもはっきりものを言う方でしたから、内向的なマリア博士とは少々そりが合いませんでした」

「トールとは?」

「先輩風を吹かせる立場でしたね。彼より年上なんです。トールもトールで考えがちでしたから、よく背中を叩かれていましたよ」


 写真にあった顔を思い返しながら、俺はミッドから情報を得ていく。


「仲は良かったんだな」

「ええ、そこそこに……」

「あ。ミッド、ストップ!」


 俺は視野に何かを捉えて、ミッドに咄嗟に通信を投げかけた。

 よくよく見れば、ミッドの喉元に、ぴんとワイヤーが張っている。壁を見ると、トーチの金具が頭から首のあたりを予測したような高さで設置してあった。


「……よく見えましたね」

「偶然だよ。ミッドの方を向いてなければ分からなかった」


 ミッドが数歩下がったのを確認してから、ハンマーの柄を突っ込んで、金具を解除する。ロステルが前を歩いていたらと思うと、ぞっとする。

 両端の金具を回収し、ワイヤーの強度を試すために軽く引っ張ってみる。俺の力程度では、金属線はびくともしない。


「生命体が引っかかったらどうするんだ……」

「我々も首が飛ぶと稼働できませんから、他人事ではありません」


 何か使えそうだなと俺が金具にワイヤーを巻き、回収するのを見ながら、ミッドも口元に手を当てる。


「サリタ技師がこれを?」

「結構物騒な罠じゃないか、これ……?」

「ええ……気がかりですね」


 ミッドと顔を見合わせて、俺は首を捻る。ともあれ、止まっているわけにもいかないのでと、前に進むものの、じっとりとした嫌な空気に纏わりつかれている気になる。


「そういえば、この遺跡ってどの種族のものなんだろうな。ヨルヨリ?」


 気を紛らわせたくて、俺は何でもないように通信を送る。


「いえ、彼らの建築様式はもっと、土や岩、木材など自然物を使ったもののはずです」

「機械種の、侵略拠点……」


 思案を続けるミッドの言葉の後に、ふとロステルが天井を見上げる。彼はテレポーターの時のように、壁の継ぎ目や、材質を無機質に観察している。


「『大改訂』。『わすれがたみ』との交渉拠点。交渉決裂後、使用された武器と同質の金属。持ち込まれた金属と現地の魔法化合物」


 俺はブローチに目をやる。彼のブローチは今、爛々と光っている。


「……そのブローチが、知ってるのか?」

「知ってる? 知ってる」


 ロステルは無感情に俺へと答える。茫洋とした灰混じりの青に、丸い炎の輪郭が見える。いつかこの世界を焼いた炎の一端が、この世界の種の末裔を縛っている。それを、まざまざと見せつけられる。


「知らないけど、知ってる」


 彼は目を閉じる。ブローチの炎が収まったり、強まったりと、せわしなく揺れ動く。


「きっと自分のことより、知ってる」


 ふと、彼は滑らかに言葉を発し、伏し目がちに笑った。

 俺とロステルは似たもの同士だ。自分の識らない記憶に縛られることがある。彼も今、混濁の最中にあるのだろうか。俺は一瞬の正気を石英硝子に焼き付けた後、視線を暗がりに向けた。

 少し先を見ると、扉がひとつ見つかる。その奥は行き止まりだ。


「ふむ」


 ロステルの言葉を聞いたミッドが唸る。


「この遺跡、おそらく『ハズレ』ですね」

「ハズレ? サリタさんがいないってことか?」

「いいえ。そうではなく。この遺跡にはすでにめぼしいものがないということです」


 俺はトーチを設置して周囲を確認した後、ミッドとロステルを誘導する。


「話は変わりますが、機械種というのは、同族を作るのに材料が必要なんです」

「あー……と、人間のように細胞分裂はしない、ってことだよな」

「はい。ですから、機械種の遺跡が見つかった場合、彼らは真っ先に調査しに来るはずなんです。素材や物資を確保するために」

「……そうか。少なくとも機械種の持ち出したいものは持ち出された後ってことか」

「おそらくは。これ以上の探索は効率が悪いと判断を下したのでしょう」


 彼は頷いて扉を警戒しながら、俺に目配せをする。俺は聴覚センサーに意識を集中して、中の音を確認する。音は聞こえない。


「そして、何より人がいません。ランドルを探しに行った時は、何度も探索している人たちとすれ違ったんですよ」

「入り口あたりにも、このあたりにも人はいないな」


 できるかぎり気を付けて、俺は扉の鍵穴などを調べてみる。鍵は掛かっていない。ゆっくり押してみると、錆びた音を立てて、扉はあっけなく開いた。


「あれっ」


 中の壁にはトーチが並べられていた。今までの暗がりが嘘のように、部屋は輝いている。驚いた俺は思わず一歩踏み出しそうになるが、慌てて足元を見る。

 俺の足首あたりに、ワイヤーが張っていた。おそるおそる指で伝うと、ワイヤーは扉のすぐ横を通り、頭の上の炸裂弾のピンに繋がっていた。


「だから、やはりおかしいんです」


 ミッドは声を低く、唸るように言葉を搾り出す。


「マダム・サリタはどうしてこんな宝の目が薄い遺跡に……?」


 彼の独り言を耳にしながら、俺はワイヤーを踏んでしまわないようにまたいで、金具で作られた罠を解除する。長いワイヤーを巻き取って、炸裂弾を慎重に取る。短剣の先をピンとワイヤーの隙間にねじ込んで、結ばれた銀線をほどく。

 結構な長さのワイヤーと、炸裂弾。これを使わない手はない。俺は金具の一つにワイヤーを丁寧に巻き、炸裂弾を鞄に入れる。


「人を傷つけるものはって思ってたけど、今の状況を考えると物資が得られるに越したことはないかな……」

「場慣れしてきましたね」

「ちょっとは、な」


 部屋は大きなテーブルが一つと、その場でこしらえたような粗末な椅子がいくつかある程度だ。

 床にテレポーターはないか。別のワイヤートラップはないか。安全であることを確認し、俺は手招きする。


「会議室か何かかな?」

「そのように見えますね」

「休む?」

「罠があった部屋ですし、私は落ち着かないですね」

「それもそうか……ロステルは?」


 ロステルの方を振り返ると、彼は緩慢に首を横へと振った。俺もミッドの意見に賛同して、もう一度だけ歩き回って、あたりを見回す。


「じゃあ、一旦戻るか……」


 その時、俺が通り過ぎた横の壁に、違和感を覚えた。わずかな、本当にわずかな、線のようなものが見えたのだ。


「あ、やっぱりちょっと待って」

「どうかしました?」

「……ここ」


 壁の線を指差し、俺は二人を呼ぶ。二人も凝視する。やはり、壁の一番下から一番上まで、線がある。

 似たようなものがないか、俺は壁に人工皮膚のある方の手をつけて、かすかな凹凸を感じようと集中する。


「ん、んん……。あ、もう一本あった」


 すると、人二人程度通れそうな幅に、似たような線を発見した。やや大きいが、扉程度の幅と考えられなくもない大きさだ。

 手袋を外して、ミッドも壁と線を撫でているが、首を捻っている。


「ミッド、ロステル、テーブルを動かすから離れてくれ」

「あ……て、て、つだう」

「手伝いますよ」

「ありがとう」


 俺はあれこれ考えた後、二人に協力してもらってテーブルを引っ張り、椅子をその上に乗せた。転倒しないように乗っかって、壁と天井の境目を眺める。


(隙間があって、軸がある……もしかして)


 境目にはごく薄い隙間があった。さらに極細の空間に軸があることに気が付いて、俺は椅子とテーブルから降りる。テーブルを押して、空間を確保し、膝と手をついて、夢中で壁と床の境目を見た。天井と同じ位置に軸があり、ごくわずかな隙間があった。


「やっぱりそうだ!」


 俺は確信をもって立ち上がり、思い切り軸がない方の壁を押した。ゆっくりと、確かな重量をもって壁が回転する。俺はすぐに、動く扉に椅子を噛ませる。

 扉の向こうに暗がりが広がっている。耳を澄ませば、グレムリンの羽ばたきや、ミミックのうめきが聞こえる。


「なるほど、隠し扉」

「もしかしたら手付かずかも」

「サリタさんが探してたのって、これかな」


 ワイヤーがないか確かめて、俺は壁にトーチを掛けた。ミッドが壁際に古びたモニターを発見して、歩み寄る。

 ロステルは砲を召喚し、暗がりを睨んでいる。


「さすがにエネルギーは尽きているようですが、保存状態は悪くないです。未踏破と見て良いかと」

「ロステル。武装を変えて戦うことはできる?」


 燃え盛るブローチに照らされた瞳がぎろりと見据える。

 まるで命令するなと言わんばかりの圧に、気圧されそうになる。俺はただ、彼の答えを待つ。


「……か、える。ぶきを、武器を、換える……」


 だが、ロステルの目は、わずかに左側を見た。人間が思案している時の動きだ。砲を持っていた手が震えている。砲が揺らぎ、赤い陽炎となって浮き上がり、より小型のものに変化する。

 がしゃんと硬質な音を立てて、彼は炎のエネルギー体をリロードする。


「で、きた」


 俺も驚いたが、彼自身も、少し驚いているようだった。間違いなく、彼はブローチの力を自らの意志でコントロールし始めている。


「すごい。そうやって変形するのか。ありがとう、ロステル」

「あ……。で、できて、当たり前、だから」


 お礼を言うと、彼は戸惑う。目を伏せて、視線を彷徨わせる。


「そう、オレは、『できて当たり前』……だから。……全部……だから、たたかえる……戦える。破壊する」


 ブローチの炎が弱まる。か細い声と共にロステルが顔を上げる。同時に、また強く輝く。彼の意志の気配が遠ざかり、「戦える。破壊する」という言葉だけが明瞭に響く。


(全部できて当たり前なんて、そんな……)


 俺は寂しさにうなだれたが、すぐ頷いて前を向いた。

 『できて当たり前』なんて、そんなこと一つもないのだと言えば、今のロステルを否定することになってしまうかもしれない。

 臆病さに負けて、ぐっと通信や思考を抑えて、俺は前に出る。鞄の中のトーチは確実に減っている。無駄のないように、光を絶やさぬように、置いていかねばならない。


「あんまり深いようなら撤退しよう。ヒューバートたちがいるとは思えないから」

「了解です」


 トーチの光が遠ざかり、足元がおぼつかなくなった時点で壁に配置する。

 グレムリンの羽音が近づけば、ロステルが小型の砲で撃ち落とす。その隙間を縫って、ミッドが素早く剣を振りかざすミミックに躍りかかり、ミスを誘うような動きで無力化する。そこをロステルが追撃する。

 細い通路をそうやって抜けていけば、すぐに小部屋に到達した。

 ミッドとロステルが前に出て、魔物の気配を探る。俺はペンライトをくわえてハンマーを取り出し、壁に金具をつけ、トーチを差し込む。

 淡い七色の光があたりを照らす。小部屋にあったのは、いくつかの箱や紙切れが入った棚と、小さな机だった。


「記録を保存する場所でしょうか……少し興味があります。いいですか?」

「持ち出していいんだったよな。時間が掛かるようなら持って行こう」


 俺の返事を聞くと、ミッドは自分の白手袋を確認し、棚に入った紙切れを漁り始める。

 ロステルがじっとしていることを横目で確かめて、俺も何か良いものはないかと小部屋を調べていく。

 そんな俺の指先をふと、久しぶりに見るものがかすめた。


(あ……ジニアの、花びら)


 薄く輝くジニアの花びらが、確かに俺の指の側を通ったのだ。すぐに消えてしまったそれを目で追うと、資料に埋もれた手帳があった。

 古びた紙束や動かないタブレットを掻き分けて、俺はその手帳を抜き取る。

 そして、名前がないかを確かめて、目を見開いた。


「……。あっ、こ、これ……!」

「何か見つけましたか?」


 俺は思わぬところで思わぬものを発見して、強めの通信を出してしまった。ミッドが探索の手を止め、俺に振り向く。


「アマナの、お父さんの手帳だ……」


 手帳に記されていた名前は「カレル・カレリイ」。かつて岸壁の港町で聞いた、アマナの父親の名前だった。

 慌てて、俺は中を確かめる。

 古びた革の手帳には、地図と一緒に、このようなことが記してあった。




『重畳! 隠し部屋には戦争当時の作戦指示書などが山積みだ。ここをしばらく拠点にしよう』


『必要な素材を搬出する機械種たちの言い分を聞いてみたが、やはりわすれがたみたちが逃げ出した原因は、どうにも機械種の親切心にあるらしい。

 とはいうものの、自分たちの方が優れた文明を持つので、あなたたちはそれに従った方が繁栄するとは、実に飲み込みがたい回答である。

 機械種たちに意識調査を行ったが、おおむね適応できない弱者を淘汰したにすぎないといった回答が戻ってきた。

 わすれがたみについての調査は難航しそうである』


『わすれがたみたちはかみさまを信仰していた。いと高き神とも呼ばれるそれは、ヨルヨリたちによれば今も生きているらしい。

 この世界の謎を紐解くために、ぼくは神に対面せねばならないのかもしれない。

 プライン・エンタープライズの社長にだって顔を合わせたくないのに、神なんか気を失ってしまいそうだ』


『明日はヨルヨリの離れ里へ向かう。宿に泊まる金がないからトーチの灯った隠し部屋に住むとは我ながらいい発想だと思う。

 あとはトーチを撤収して、何事もなかったかのように置いておくだけだ。

 さて、火傷でお休みになっている神のおわす場所へ行く方法を、デルヴォラアレ老は教えてくれるだろうか?』




 手帳はそこで終わっていた。どうも、カレル氏はトーチを綺麗に片付けるあまり、肝心の手帳を忘れてしまったようだ。

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