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機械種と地球移民の街5

「こんばんは、君の声が聴きたいから通信機器を持ってきたよ。あとそれ、アンハラだよ。ドウツキ君」

「あんはら?」

「アンドロイドハラスメント。アンドロイドに、本人そうやりたいわけじゃないのに、人間に近いだとか、人間に似ててすごいねって言うことさ。そういうの、イマドキは怒られちゃうんだよ」


 苦笑するクラクに、俺はなんだか申し訳なくなって、眉尻を下げてミッドの方を見た。ミッドは俺を見て、ゆるやかに首を横に振る。そしてクラクがのんきに割って入る。


「こんばんは、みっちゃん」

「人の話を盗み聞きするだなんてマナーの悪い。とっとと要件の提出をどうぞ」


 俺にはまるで見せない棘を含んだもの言いで、ミッドは身体の向きはそのままに、クラクの方を一瞥する。クラクはへらへらとした顔で肩をすくめる。どうやら、こんなやりとりが彼らの間では普通らしい。


「まあまあ、そう言わず。ドウツキ君が意識を取り戻すまで慌ててたのに、本人の前では素直じゃないんだから」

「たかだか月食から月食までの間、待つうちに入りません」

「あーっ、意地張っちゃってかーわいいねー! なんで君はガイノイドじゃないんだろ……」

「アンハラの前に、一度セクシャルハラスメントについてお考えになってはいかがですか。それで、要件は」


 知人とは言っていたが、この調子をはたから見るに、彼らはどうも腐れ縁に属する関係のようだった。


「ドウツキ君も同席でいいのかい」

「ええ、彼には知る権利がありますので」

「まあ、そうだね。僕から出せるのはこれだけ」


 訝しむ俺を置き去りにして、クラクはその辺の手ごろな木箱を引きずってきて、どすんと腰かける。そして懐から茶色の封筒を一つ取り出す。ミッドはそれを受け取って、嫌そうな顔でクラクを見ながら、封筒をペーパーナイフで切る。中には一枚の紙切れが入っている。ミッドは取り出したそれを凝視する。くたびれた青い瞳が文字を読み、右に左にと動く。

 クラクはその様子を見ながら、足を組んで片手の掌を天井に向ける。


「件の事件の被害者は、君の予想通りだ。動揺した警備の銃弾が頭に……不運な事故だよ」

「……」


 ミッドの顔が回路の苦痛を耐えるように歪む。クラクはなぜかこちらを見て、ミッドへ視線を戻す。俺は不安いっぱいに首を傾げるしかない。


「加害者についてはどうです?」

「『処分済み』だから公開できないってさ。機械種は身内に甘いからね」


 ミッドが肩を落とした。クラクは苦笑いをしながら首を横に振って、俺を見る。


「ドウツキ君、Neuromancerの話は少しだけしたね」

「えっ、ああ。あの後、図書館で新聞を読んだよ。研究施設から脱走したんだって」

「勉強熱心だね。その、死人が出たことも知ってる?」

「一応は。でも名前が出てなかった、よな?」


 クラクは俺の反応を見た後、小さく頷いた。そして、ミッドから差し出された紙を受け取った。沈痛な面持ちで、空色の瞳が伏せられる。


「死亡したのはNeuromancerの管理者。名前はトール・ジニアという」


 初めて出てきたその名前に、俺自身、心当たりがないかデータを漁る。その最中、クラクが難しい顔をして俺を覗き込む。


「ドウツキ君、この名前に、本当に覚えはないかい?」

「いや……」


 俺は首を横に振りかけて、左手の人差し指を丸め、口元に添えて思考する。じり、と回路に不快なノイズが走る。


「そのトールって名前にはピンと来ないけど……ジニアの花に、見覚えはあった。図書館でミッドの載った本の表紙を見た時だ。花籠いっぱいに抱えてた」

「ええ、確かにそのような撮影をしました」


 ミッドは首を縦に振った。


「でもそのあと、いきなり雨が降ってきて、ディスプレイから黒い影が……」


 ――帰ってきて。


 どこからともなく聞こえてくる、誰だか判別できないその声に、びくりと肩が震える。


「ほら、こうやって帰ってきてって……!」


 窓の方を見ると、黒い影が外に立っているではないか。外は硝子のドームの中だというのに大雨だ。雷も鳴っている。

 ミッドが驚いた顔で、窓と俺を見比べて怪訝な顔をする。二人には見えないのだろうか。あんな真っ黒な、おそろしい影が。

 ほら、窓を叩いている。怖い。嫌だ。背もたれから壁に、ひっくり返りそうになりながら背中を押し付ける。


「ドウツキ君、落ち着いて」


 ――帰ってきて。

 灰色のノイズに色褪せたクラクの声がひどく遠い。回路への負荷が痛みに変わる。とっさに身を守るように頭を抱えて、影に向けて叫ぶ。


「分からないんだ、答えてあげたいけど、でも、俺、お前の事全然覚えてないんだ……!」


 影はがたがたと窓を鳴らしている。窓の隙間からジニアの花が音を立てて咲く。迫って来る。足元からみしみしとフローリングの隙間を割って、茎が伸びてくる。

 どうしたらいい。どうしたら。衝動的に、俺は正直に叫んだ。


「脅かされてばかりじゃ、俺は何も分からないよ!」


 ぴたっと、全ての音が止んだ。クラクも、ミッドも、当然窓の向こうの影や雨の音も。まるで時が止まったかのように、全てが停止する。

 影の気配が消える。足元や窓に芽吹いていたジニアの花も見当たらない。


「ちゃんと話ができたら、ちょっとは思い出すかもしれないんだ……頼むよ……」


 俺はもう、消え入りそうな通信を絞り出すことしかできなかった。

 何がなんだか分からない。だけど叫んでどうにかなるものでないことも分かっている。うなだれて、回路の中を棘だらけの激情が通り過ぎるまで拳をぎゅっと握るしかない。


「みっちゃんは、何か見えたかい」

「……いえ」


 二人が顔を見合わせて、窓へ揃って目を向けている。


「ドウツキ、どうしますか。辛いようでしたら、このまま休まれても構いませんよ」

「そう、する……」


 俺は通信も出せず、こくこくと頷くことで精いっぱいだった。よろけながら、ベッドのある部屋へと歩いていく。そしてベッドに倒れ込む。

 窓の外を見ると、硝子の向こうで何かが羽ばたく影が見えた。あれは一体何だろう。俺は俺の事を知りたいが、同じぐらい夜に出てはいけない外のことも知りたいのだろう。でも、今はそれどころではない。回路という回路が悲鳴をあげている。


(冷たい……凍っていくみたいだ……)


 アンドロイドは機械だ。冷たく維持されるようにできている。だから布団も温まることはなく、俺はひんやりとした布の隙間で、ゆっくりと機能を休止した。




 俺は夢を見た。真っ暗で広い実験室にいる。書類の散らばった机が見える。俺はその側にある大きなカプセルの外側から、誰かに呼びかけている。時折、俺は息を潜めてあたりを伺う。誰もいないのを確認している。


「なあ、――。月食を見に行かないか?」


 名前のところはノイズで霞んで聞こえないが、外に出る誘いをした。そしてコンソールを慣れた調子で叩くと、カプセルの中を開けて、中にいる誰かのコードを外し、手を繋いだ。サンダルウッドの香りが漂う。


「歩けるか? さあ、行こう。ちょっとだけ、急ごうな」


 俺は手を繋いで走っている。警報が鳴る。それでも手は離さない。血の通わない、冷たいアンドロイドの手を、俺はずっと握っている。たくさんの人に取り囲まれる。

 夢を見る俺は、そんな俺を見ている。俺の顔がわからない。だが、それでもおかしい。俺の夢なら、俺の視点は手を引く俺の見る景色のはずだ。誰かが俺と手を繋いで、俺を見ている。


 この視界は、誰のものだ?


 夢がゆっくりと覚めていく。銃声が聞こえる。その先にある硝煙と、震えた誰かを見ようとする。世界が霞む。

 待ってくれ、もう少し。もう少し――。

:人物紹介:


トール・ジニア Neuromancerの管理者。銃弾を頭部に受け、死亡している。

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