機械種と地球移民の街4
賑やかな大通りを抜け、再び小道を曲がって、花の咲く木造の家に到着するまでにはそれなりに時間が掛かった。帰る頃には夕暮れで、人間をはじめとしたいろんな種族が食事をする時間になっていた。
あちこちの建造物に灯りがついている。その分、家のある小道は薄暗く見える。室外機の唸る声がより一層大きく感じられて、俺は心細くなって、猫背気味になる。
庭を抜けて、俺はドアの前で立ち止まる。ドアノブに触れて、つい考える。こういう場合、俺は何と言えばいいのだろう。
「ただいま……?」
半信半疑のまま、俺はドアを開けながらそう言った。おかえりの声はなく、サンダルウッドの残り香だけが出迎えてくれる。蝶と百合のステンドグラスが、夕暮れの赤い光に燃えている。
(これは、何だろう。箱……?)
ミッドの座っていた椅子の側に歩み寄る。机の上には指で転がせる程度の金のダイヤルがいくつかついた、飾り気のない金属の小箱がひとつ置いてある。興味本位に手に取れるほどの大きさだ。かちかちと人差し指でダイヤルを転がしてみるが、何も起こらない。おそらく、正しい番号を入れなければ開かない仕組みだろう。箱を置いた俺の指には、ダイヤルを回した時の小気味よい感触が残る。
「……」
諦めて視線を椅子の下に向けると、古びた傷だらけのトランクがあった。勝手に開けることは憚られた。ミッドはおそらく、これに荷物を詰めているのだろう。
することを見失った俺は何となく、椅子に座ってみる。木製の、何の変哲もない安楽椅子だ。背もたれに身体を委ねると、ゆらゆらと、前に後ろにとゆっくり揺れる。
(帰ってきてって、どこに?)
呼ばれている。誰にだろう。あの真っ黒な影を思い出して身震いする。
(分からないことだらけだ……)
――帰ってきて。
切実なその願いを、叶えたいのはやまやまだ。けれど、その術はひとつもない。考えれば考えるほど、気分が泥沼に沈んでいく。
ごまかすように、あるいは抗うように、浮いた足をばたつかせ、両手で顔を覆う。唸る。やだ、やだやだ。訳が分からないまま落ち込むのは辛いのに、気分が下がる。
(機械って、こう。もっと論理がしっかりしてて、感情なんかに左右されないんじゃないのかな。ほら、人間なんかとズレたやりとりしてさ、最後に「これが人間の心!」って感動する……そういうのじゃ、ないのか?)
窓に映る自分の顔を見る。まるで不完全な混ざりものだ。どっちつかずで、格好がつかない。人間、アンドロイド、機械種。俺は、どれ一つとして満たさない。
鬱々とした気持ちに引っ張られて、天井にどんどん雲の幻覚が溜まって、回路の中で雨が降りそうになる。
「おや、戻られていましたか。おかえりなさい」
それを阻止したのは扉の開く音だった。俺はそちらを向く。抑揚のない声。やつれた青い目。あの書籍とは程遠い、くたびれた礼服姿が目に入る。慌てて、俺は安楽椅子の前の方に座って、脚を床につける。
「おかえり、ミッド」
「外はどうでしたか?」
「今、大変なんだな。あっ、落とし物拾って届けたりもしたよ。硝子の板を女の子に渡したんだ」
「おや、お手柄ですね」
お手柄と言われるとなんだかくすぐったいものだ。俺は立ち上がって、椅子を明け渡す。彼は軽く頭を下げると、安楽椅子に腰かける。俺は視線をさ迷わせて、部屋の片隅に放置されたぼろの椅子に座ることにする。背中を背もたれに預けると、後頭部が木造の壁にくっつく。
「それより、クラクって人を知ってるか? この家に寄るって言ってたけど、もう来た後?」
「珍しいですね。彼の方から会いに来るのは」
ゆらゆらと、爪先を床に、空中に、つけたり離したりしながら、ミッドはステンドグラスを見つめている。
「彼は……そうですね、ずっと昔からの知人です」
「それは、本に載った頃から?」
俺の問いかけに、彼はゆっくりとこちらを向いた。表情は変わらないが、何となく驚いているように見えた。
「いいえ、もっと前からです。どこでそれを?」
「図書館でアンドロイドの品番を検索したら出てきた。それに知り合った子が、ミッドのこと有名人だって言ってた」
「そうですか」
そっけない返事だった。彼は興味を失ったように、俺から目を反らす。そしてまた、安楽椅子と共に揺らめく。俺は気にせず、質問を続ける。
「ミッドは、歌は好きなのか?」
「ええ」
思い切った俺の質問にも、やはり感情は宿らない。本当に好きかどうかも、分からない。俺は口をへの字に曲げる。
「じゃあ、歌うのは好き?」
さっきの質問と同じようで、ほんの少し違うことを訊ねた。すると、ミッドは言葉を詰まらせた。初めてだった。無機質な彼の中に「戸惑い」を見たのは。彼はしばらく黙していたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「昔はそうでしたが、今は分かりません」
「……そっか」
ミッドは緩慢な動作で立ち上がると、安楽椅子を俺の方に向け、座りなおす。身体ごとまっすぐ相対することも初めてで、俺は曲げていた背中をぴんと伸ばす。
「ドウツキ、私は人間を嫌っているわけではありません。ですが、私が人間そっくりだと賞賛されることは耐えがたい苦痛なのです」
「それは……笑ったり、怒ったり、とか、それこそ……歌うとか?」
俺の質問に、ミッドは頷いた。
「そういった解釈で問題ありません。私は人間に極めて近く作られましたが、人間になりたいわけではないのです」
その真意が理解できずに、俺は首をひねり、うつむく。
「難しいなあ。俺、アンドロイドって言ったら論理的でさ、人間とかとズレたやりとりして、最終的に『これが人の心なのか』ーみたいな感じで、そういう、人の感情みたいなのに憧れるのかなって思った」
右手と左手の指をまごつかせながら顔を上げると、ミッドがとても難しい顔をしていた。俺は何かまずいことを言ったのかと身体を強張らせる。ミッドも俺の反応で我に返って、視線をさ迷わせる。
「ああ、いえ。失礼しました」
「い、いやいやこっちこそ」
「……私は、ただ……自分らしくありたいだけなんです……」
気まずい空気が流れ、ミッドは咳払いの仕草をする。
「ともかく、ドウツキ――」
「アンドロイドが感情を問う時代はとっくに終わったのさ!」
俺でもミッドでもない声がして、俺はドアの方を見た。ビジネススーツ姿の大柄な男が、軽く手を振っている。クラクだ。耳元に何かの通信装置をつけている。