君の影を見る1
宿場町A-3でも森はいくらか歩いたが、この森もまた、歩き回ることは比較的容易だった。果物を今まさに持ち帰ろうとしている者や、小型の原生生物とすれ違いながら、俺たちは赤いコートを探す。しかし燃える夕暮れが迫る中、同じような赤を探すことは難しい。
「昨日の夜に発生した魔物が討伐されていない可能性もあります。気を付けて」
ミッドが書物片手にあたりを見回す。オークとは出くわしたくないと思いながら、俺も視線をさ迷わせ、聴覚センサーを研ぎ澄ませる。
(……!)
俺は顔を上げる。遠くでかすかに砲撃の音がしたからだ。こんな時間に、ためらわず砲を撃つような者を、俺は一人しか知らない。
「こっちだ! 多分、魔物もいる!」
「……すんすん」
焦り気味に森の奥を指を差した俺に対して、アマナは冷静だ。クローディアの側で、鼻を鳴らしている。
「どうしたの。アマナちゃん」
「ひとでも魔物でもない臭いがする」
彼女は斧を覆っていた布を取り払った。彼女の身の丈ほどの両刃の斧が、ぎらりと姿を現す。少し離れた俺の顔が映るほど丁寧に手入れされた刃に、思わず息を呑む。
「ひとでも魔物でもない臭い、ですか?」
ミッドが警戒しながら、一歩、また一歩と森の奥へ歩いていく。アマナが俺に布を渡して、彼の側に歩いていく。俺は静かに布を抱える。そして勝手に、これも万が一の時には何かに使えないだろうかと思索を巡らせる。
「手芸店のお母さんや、あの悪い人たちから嗅いだ匂いと同じ」
彼女は立ち止まり、うんうんと二度頷いた。彼女の感覚は彼女の中で完結してしまっていて、ミッドには伝わりにくいようだった。俺も分からないなりに、彼女の意図するところを確認しようと、彼女の用いる言葉を使って通信を送る。
「養分にしたい?」
「まだ分かんないけど、血の匂いもするね」
「俺たちが行って大丈夫だと思うか?」
「できれば避けた方がいい気がする。直感」
そこまでのやり取りを聞いていたクローディアがこちらに視線だけを向ける。
「でも、血の匂いでしょ? あのいけ好かない眼鏡が怪我してるかもしれないじゃん」
「気に入らないのに助けるの?」
「それとこれとは話が別なの」
若干納得していない顔をしながらも、クローディアはアマナの隣を歩く。俺も聴覚センサーに意識を向けながら、慎重に歩を進めていく。自分の踏む木の葉や草の音をたくさん拾ってしまって、音の追跡に苦心する。首を横に振り、俺は集中のやり方を変える。砲の音を記録し、周りの音と比較して、近い音を追跡する。砲撃の音は短時間のうちに近くなったり、遠くなったりを繰り返している。
「飛び回って対応してるな……とすると、多分オークじゃない。かなり俊敏な相手……」
体格の割に素早いオークでも、空を飛んでいるところは見たことがない。となれば、俺の知る限りではグレムリンだと目星をつける。ただ、アマナの言っていた匂いが気にかかることもあって、この場で判断することは保留にする。
ろくに戦えない俺にできることは、情報を確実に取ることと、周囲と手持ちのものでどう切り抜けられるか考えることだ。そう考えながら、クローディアから貰ったナイフを収めた鞘を、軽く撫でる。
丁度、俺がナイフの鞘から手を離した時だった。
「……?」
俺は別の音を察知した。金属と金属が打ち合うような音だ。ミッドも、俺の隣で立ち止まる。彼は音声ではなく、視線と通信で俺とやり取りをする。
「聞こえましたか?」
「聞こえた。金属と金属がぶつかるような音だ」
「よほど仕事に手間取っている夜駆たちでなければ、グリンツ氏である可能性が高いかと」
俺もその意見に頷く。そして、金属同士が衝突するような音は、平和な状況では鳴らないはずだ。俺とミッドは、ほぼ同時に駆け出した。
草を踏み分け、音の先へと急ぐ。それからおよそ十数秒後、俺は木々の合間に、束ねられた緑の髪が翻るのを見た。
「グリンツさん!」
声は届かない。だが、叫ぶ。彼は後方に飛び退りながら、あの黒い針を何者かに投げつける。
(あれは、何だ?)
アマナの言っていた「ひとでも魔物でもない臭い」を放つものがそこにいた。数は三体。人間の形をしている。同じような服を着ている。しかし、まるで生気を感じない。俺から見ても、その硝子玉のような目は異様に映る。それらが無機質に、グリンツ氏に襲い掛かっているではないか。
「おいしくないけど仕方ない。養分にしよう」
そう呟いたアマナが斧を構え、無造作に歩いていく。
「みーくん、ドウツキちゃんと一緒にあの子をお願い!」
クローディアがその場にしゃがみ込み、ライフルを構える。
俺は彼女の指示通り、交戦している場所の中央ではなく、横を突っ切る。銀のかかとを鳴らし、加速する。さっきまで俺のいたところに、黒い針が突き刺さる。ちらと横を見れば、無機質な人間のような何かが、俺にめがけて投擲したものらしい。
グリンツ氏としても兄の救出は邪魔はされたくないのだろう。謎の刺客を切り抜けて俺たちを追いかけてくる。
「あなたたちは……」
「あなたが言った通り、好き勝手しているだけですので」
ミッドが彼に追いつかれると同時に、そんなことを言う。グリンツ氏も分かってはいるようで、俺の視界の端で、ぐっと奥歯を噛むのが見えた。俺は二人を置き去りにしない程度の速度を維持しながら、砲撃の音を探す。
「ムツアシはどこへ?」
「泉の方へ逃がしました。もっとも、その逃げた方向に進んでいるわけですが」
辛辣ながらに彼は返事をする。どうやら、彼も原生生物にはちょっと優しいらしい。ほんの少し、ほっとする俺がいる。
徐々に視界が開けてくる。俺はすぐ側をビームがかすめたことを感じ取り、ちらりと後ろを振り返る。
「んー、弱らないなあ。なーにこれ、あのひとたちと素材は同じっぽいのになあ」
アマナが丁度先ほどの人間のような何かを蔦で捕まえて、木々に叩きつけて弱らせているところだった。彼女の持つ、弱肉強食と人間の倫理を感じ取れない面を再び見てしまい、俺は軽く身震いする。後方は問題なさそうだ。
(――!)
視界に眩しく燃える夕暮れが、ぱっと差し込む。視覚センサーが慣れるまで、思わず目を細めるほどに、視界が赤く染まる。センサーを守ろうと、とっさに俺は腕をかざす。
やがて視野の中の炎が収まると、グリンツ氏の言っていた泉が目に留まった。周囲には青々とした草が生え、彼らのざわめきと、湧き出る清らかな水の音が聞こえてくる。
「……」
誰かが立っていた。
ムツアシを撫でて、軽く手のひらで胴体を叩く。ムツアシは離れた場所へと、六本の脚を動かして、とことこと去っていく。
そこにいたのは、黒ずくめのアンドロイドだった。顔から上半分を、つるりとした無機質なマスクで覆っている。彼の頭部には、マスクから生えた何本もの赤と青のケーブルが連結されている。
彼のかすかな所作、背格好、そして唇に見せた微笑みに、俺はあまりに見覚えがあった。
「……ニューロマンサー?」
俺は、そう訊ねた。同型機かと訊ねる前に。自分自身が、Neuromancerの後継であるということも忘れて。
頭ががりがりと重たい演算音を立てている。なぜか、見分けがつかない。回路が混乱している。
どうしてだ。何故だ。なぜ彼がここにいる。俺はここにいるのに。彼は死んだはずなのに。分からない。理解できない。処理落ちする。目が眩む――。




