Odds&Ends2
席を立ったウィリアムの前をアマナが歩いていく。そのまま彼女は、真向かいの花屋に突っ込んでいく。俺も急いで彼女を追いかける。が、花屋特有の香りを嗅覚センサーが取得すると、また回路のあたりに信号とセンサーが乖離するような不快感が走る。こめかみのあたりをさすりながら、俺はここに長居はできないと理解する。
「てんいんさん、ヴォルカースさんちのはなたばでつたわりますか?」
爬虫類の鱗を生やした花屋の店主はアマナの言葉を聞くと、小さく頷く。彼が動く度に、彼の黒い鱗はきらきらと虹色に光った。
「ああ、少し待ってておくれ」
彼はハスキーな声でそう返事をすると、慣れた手つきで、花を集めて束ねて、白い紙で包む。データにないカラフルな花がたくさん入った花束は、死という沈痛な概念に対して、とても優しく、明るいものに見えた。
「あなたは、地球移民?」
アマナのストレートな質問に、主人は寂しそうに笑った。
「いいや。だが、移民には違いない。末裔といったところかな。地球移民より先に来たけれど、もう村を作るほどもいないよ」
花屋の主人はカンテラの飾りがついたリボンですべてを取りまとめて、アマナに差し出した。彼女はそれを受け取って、俺に視線を向ける。俺は提示された金額を支払って、店主に軽くお辞儀をする。
「この飾りはかんてら?」
「そうだよ、お嬢ちゃん。かみさまは火傷でお休み中だから、その分、私たちが頑張ろうという意思表明なんだ」
「ほあー、それはろまんちっく。ありがとーございました」
「毎度あり。お嬢ちゃんたちの側にカンテラの光があらんことを」
花束を抱えたまま、アマナは興味深そうにそれを聞いた後、ぺこりと頭を下げて俺とウィリアムの方へと歩いてきた。俺は花束を受け取って、抱えて歩き出す。
「カンテラ信仰ってやつだな」
頭に両手をやりながら、ウィリアムが商店街の道を歩き始める。夕食の買い物には早い昼下がりの商店街は、人通りもまばらだ。
「いと高き神が俺たちのせいで大怪我したから、代わりに掲げる象徴が要ったって話さ。それを決めたのは、わすれがたみやヨルヨリじゃなく、地球移民と機械種なんだけど」
「実は知ってる」
アマナがにへにへとした笑顔のまま、先ほどの花屋の店主に子どものふりをしてみせたことを明かす。ウィリアムは引きつり気味の笑いを見せる。
「何も知らねえガキのふりしやがって……」
「いたずらに人を傷つけるものでないよ。ぼくが人を傷つける時は、それを駆逐すると決めた時だけだもの」
「おー、おっかねー」
(ん? それって……)
話は俺が捕まった時まで戻るが、つまり、彼女はあのならずものたちを「駆逐する」と、決めていたということになるのではないだろうか。
「ニューロマンサーが水をあげたからだったよな? 俺を助けてくれたのは……その時点でその、ならずものをどうにかするって決めてたってことか?」
それだけにしてはあまりに覚悟の入った行動だと思って、俺はアマナの蔦を軽くつつく。すると彼女の蔦はわさわさと鳴って揺れる。
「んー、今のところはそれ。決めてはいたよ」
煮え切らない返答がきて、俺は首を傾げる。アマナはポケットから袋に入った、棒状の菓子のようなものを取り出すと、頬張り始める。あまり硬いものではないようで、さくさく、ぱりぱりというより、もさもさという効果音が似合う。
「何だそりゃ」
興味を示したウィリアムが覗き込むと、アマナは包み紙を見せる。地球移民の使うアルファベットと思しき文字が並んでいる。
「地球移民の携帯ブロック食。プレーンあじ」
「あれだけ食ってまだ食えるの……」
「そだちざかりなもので」
呆れたようなウィリアムにも、アマナは気にせず返事をした。それからブロック食をあっさり食べつくし、近場のゴミ箱に包み紙を捨てた。
俺たちは商店街のメインストリートから曲がって、飲み屋街がちらほらと並ぶ小道に出る。道の奥にある取り壊された白い壁と、寄せられたがらくたの山を見て、俺はロステルの記憶を辿る。彼は確か、がらくたの山をのぼっていたはずだ、と。
「おう、そこだそこ」
丁度俺が視線を向けていた方を、ウィリアムが指差した。見れば、「Odds&Ends」と書かれたぼろの木製看板が、小さく扉の側で揺れている。
アマナがぬいぐるみキットの袋を揺らしながら入り口に近づいて、その古びたドアを眺めている。
「どーつきは、Odds&Endsの意味を知ってる?」
「いや……どういう意味?」
「はんぱものとか、がらくたとか、そういう意味合い」
「ま、おれたちにゃ、お似合いだよな。じゃ、入るか」
ウィリアムがドアを軽く押すと、カウベルの心地よい素朴な音色が響いた。中はどちらかといえば薄暗く、アナザー・ポーラスターと比較すると、どうしてもさびれた酒場といった印象が強くなる。酒場は客一人おらず、とても静かだ。
「じいやー、来たぜー」
慣れた様子で踏み込んだウィリアムが、店主と思しき人物を呼ぶ。すると、店の奥から一人の店員が姿を現した。俺が見た記憶より、その男は白髪としわを増やしていて、彼もまた、月日を経て変化していったのだと感じさせる。
「おや、ウィリアム坊ちゃん。その方たちは?」
「おれのダチだよ」
俺の方を見て、ウィリアムはにっこりと笑った。
「それはそれは。坊ちゃんはやんちゃですから、手も掛かりましょう」
くつくつと猫背を揺らす老人に、ウィリアムはむくれた顔をする。
「何だよそれー。あ、そうだ。じいや、アレ作ってある?」
「ええ、ええ。作ってありますぜ。ご入用で?」
「まあな。おれが甘いものに手を出す時がどんな時かなんて、じいやは分かってるだろ?」
「また誰か口説くんですかい? 懲りませんねえ、もうちっと大人になってからでもいいでしょうに」
俺もアマナも気づいているから、顔を見合わせた。ウィリアムは、ロステルが戻ったことを伝えずにいるつもりだ。彼はポケットから数枚のコインを出すと、カウンターの上に置き、口笛を吹きながら待っている。
「これはロステル坊ちゃんも好きでしてね」
懐かしむように、老人は棚から小瓶を取り出す。片手で収まるほどの瓶の中には、色とりどりの小さな果実と一緒に、きらめく小さな結晶が入っている。
「からふるべりーだ」
「ええ、家の裏で栽培してましてね。よく実るもんで、こうして魔法の掛かった氷砂糖と一緒に保存してるんでさあ」
アマナもきらきらと輝く小瓶の中身を眺めて、目を輝かせている。ペパーミントの大きな瞳に、きらめきが反射している。
「今は見聞を広める旅に出たと伺っておりますが、そろそろ恋しくなって戻って来るかと、待っているんでさ」
「なーに、ロステル兄なら元気だよ。おれたちみんなの兄ちゃんだもんよ。っと、さんきゅ!」
優しく小瓶を撫でて薄茶の袋に入れると、老人はウィリアムに小瓶を差し出した。
――いたずらに人を傷つけるものでないよ。
さっきアマナが言ったことを、俺は思い返していた。確かに、正直にロステルが今、ヴォルカースの家にいることを伝えてもいいのかもしれない。けれど、心を蝕まれた彼が、この老人を見分けることができるかは分からない。そして何より、そんな状態の彼を見せることで、この老人が悲しむことを、ウィリアムは避けようとしている。
「うん。きっと帰ってくるさ」
彼は優しく、静かな声で、老人にそう言った。それはまるで、彼にとってのいつも通りの日常を、俺たちの前で演じているようでもあった。
俺はただ黙って、その一部始終を見守っていた。仮に喋れたとして、きっと言葉を出すことはできなかっただろうと思う。
ウィリアムの子どもなりに達観した顔と、どこかその背伸びを悟っているような老人の優しい笑み――この繊細な空気を壊す勇気は、俺にはなかった。
「じゃ、おれはまだもう一か所案内しないといけないところがあるからな。また後で来るよ。夕食頼むぜ、じいや!」
「ええ、ええ。お待ちしておりますよ」
グラスを大事に磨きながら、老人は頭を下げる。ウィリアムは俺の背中をぽんと叩くと、紙袋を片手にそのまま外へ出ていく。アマナと俺は老人に頭を軽く下げて、Odds&Endsを後にする。
「……」
扉を閉じて、俺たち三人は、しばらくの間、沈黙した。
俺は通信の一つも出せないでいる。アマナはおそらく、空気を読んで黙っている。ウィリアムはきっと、どう切り出していいか分からないのだろう。
最初に一歩踏み出したのはウィリアムだった。
「まあ、そういうわけでさ。じいやは……ロステル兄が今どうなっているのかを知らない。もうだいぶ年だし、そっとしといてやってほしいんだよな」
彼は俺に紙袋を渡して、先導しながら、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいく。俺は静かに頷く。そうすると、彼は眉を下げて、口元だけで笑う。
「さんきゅ」
それからは、俺たちは特に言葉を交わすこともなく、ゆっくりと、小道を抜けた。




