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ベツレヘムの星2

 診療所に近づいてくると、遠目に灰色のムツアシの姿が見られた。ムツアシは俺たちの姿を発見すると、とことこと無警戒な様子で近寄ってくる。


「あれは『ようぶん』?」

「だーめ、ですよぉ」


 アマナが興味を示したところを、ヴォルカースが笑って止める。ムツアシは「すん!」と空気を吸って、若干毛を膨らませている。アマナを捕食者として、本能的に察知したのかもしれない。


「そう、このムツアシについても報告しなければなりませんね」


 ミッドが俺に肩を貸したまま、俺の方を見る。


「どうだった? 飼い主さんは……」

「残念ながら、やはり魔物に襲われて死亡しているようでした。件の黒い針ですが、まだヴァン氏がいろいろ調べてくださっています」

「そうか……何か分かるといいな」


 単にそりに乗っていた魔物を迎撃しただとか、魔物を狙って、ということなら問題はない。だが、俺はあの黒い針だけがどうしても引っかかっている。今、気にしてもどうにもならないということは分かっていてもだ。


「それは時間が解決するでしょう。今はあなたの躯体です」


 ミッドも俺の考えていることに感づいたか、俺に念を押す。分かっていると、俺は首をひとつ縦に振る。

 俺たちが扉の前に到着すると、ヴォルカースがドアノブを捻って扉を開く。アマナが一足先に、するりと家の中に入り込む。


「今日の夜はラボで寝てもらうことになりますねぇ……ああ、アマナちゃん。部屋に持ち帰っちゃだめですよ」

「らぼ?」

「ラボです。あっち」

「らぼぼ」


 アマナが自室に俺の腕を持ち込もうとしたのを見て、ヴォルカースが慌ててラボのある方に指を向ける。アマナはそちらに向けて、ぱたぱたと走っていく。

 俺はその様子を見ながら、ミッドに視線を向ける。


「グリンツさんの様子が気になるけど、今は会うと悪い方に刺激するかもしれなくて……」

「食材は私が調理しておきましょう。ゆっくり休んでください」


 現状の俺で何ができるかと問われれば、おそらく何もできないだろう。ミッドの厚意に大人しく甘えることにする。

 スリッパに履き替えたヴォルカースが急ぎ足で部屋の奥に走っていく。しばらくすると、ディスプレイに彼の姿が映る。


「はぁい、お待たせしました。お二人ともラボの方へどうぞぉ」


 ミッドに助けて貰いながら、俺はラボの方へと向かう。検査をした場所よりも、さらに奥の部屋だ。

 部屋に入ると、薄暗さがまず目についたが、俺たちが踏み込んだ瞬間にぱっと明かりがつく。見たことのないガラスの筒や、怪しげな薬液などが棚にずらりと並んでいて、その真ん中にベッドが置かれている。あまり回路が休まる気がしない構造だ。

 ヴォルカース自身の姿はなく、やはり画面の向こうに彼の顔はあって、アームがせわしく修理の準備をしている。


「アマナちゃーん、腕を置いてください」

「まかされたー」


 指示されたアマナがベッドの上に俺の右腕を置く。アームがそれを回収して奥へと持っていき、さっそく修理を始める。


「ドウツキ君はそこに寝てくださいねぇ」

「分かった」

「シャツのボタンだけ外しておいてもらえると助かります。人工皮膚と内部機構のチェックをしたいのでぇ」


 俺はベッドに座ると、シャツのボタンを外す。久々に見る自分の胸板は、幸いにして見る限り人工皮膚が剥げている様子はない。前をはだけたまま、俺は仰向けに横たわる。


「それと……」

「通信デバイスかな?」

「助かりますぅ」


 通信デバイスを外し、俺は頭の横に置く。アマナが俺のことを、興味深げに見つめている。少し気恥ずかしいが、俺に返せる言葉はない。


「アマナ、こちらへ」

「はぁい」


 ミッドが呼ぶと、彼女は俺に軽く手を振って、彼の側に駆け寄る。ミッドが俺を見る目に、心配の色が滲んでいて、俺は大丈夫だと微笑んで首を横に振る。

 彼はしばらく俺にどう言葉を掛けるべきか迷っていたようだが、軽く拳を握る。いつもの、彼が勇気を出す時の仕草だ。


「ヴォルク、ドウツキをお願いします」

「ええ、任されました」


 間延びしない声でヴォルカースがミッドに応じる。ミッドは、アマナと手を繋いで、部屋を出ていく。俺は深呼吸の真似事をする。


「躯体の修理中は、ちょっとおやすみしてもらいますねぇ」


 するすると天井からケーブルが降りてきて、俺の接続端子に繋がる。俺の中で、プログラムが走っているのが分かる。ヴォルカースにはことばが伝わると判断して、俺はケーブルの向こうに通信を投げかけてみる。


「うん。ごめんな、手間掛けて」

「ちょっと迷惑掛けるぐらいが魅力的に見えるそうですよぉ?」

「何だそれ」


 画面の向こう、この家のどこかでヴォルカースが冗談めかして笑っている。軽く笑ったあと、俺は少し身じろぎして、目を閉じる。


「それじゃあ、おやすみなさい。朝には腕も元通りにしますからねぇ」

「ありがとう、ヴォルカース。おやすみ」


 プログラムが機能の休止を俺に指示する。俺は言われるがまま、意識を手放す。きょうだいに見守られた穏やかな眠りが俺を包んで、夢も見ないデータ群の底へと降下させていく――。




 ――。

 それから、俺はふと薄暗い中で意識を取り戻した。ヴォルカースは休憩に入っているのか、画面の彼は作業台にうつ伏せになって眠っている。

 見ると、グリンツ氏が寝台近くの端末を弄っている。どうやら、俺を起こしたのは彼らしい。俺を起こした後、彼はこちらを見つめる。何とか彼と意思疎通が取れないかと考えるが、端末に文字を送るという方法が考えつかず、俺は彼を見つめ返すことしかできない。


「あなたが袋を差し出したから、わたしは取っただけです。わたしは悪くない……」


 彼は不服げな様子で、俺の眠るベッドに腰かけた。彼は自分に言い訳をしているようだった。しかし、ここに来て俺を起こしたということは、少なからず俺に罪悪感を持っているのかもしれないと、俺は推測する。


「努力されるのは勝手ですが、他人を理解できるなどとは思わないことです」


 グリンツ氏は、俺を睨む。その頬がかすかに腫れていることに気づいて、俺は驚く。クローディアは手を上げないとミッドは言っていた。誰が彼の頬を叩いたのだろう。俺は手を動かそうとしたが、動かないことに気づいて、じっと彼の独白を聞くことにする。


「わたしは、あなたが理解できない」


 彼は冷たく、俺に言い放つ。


「あなただけではありません。どのように観察しても、誰も理解できない。わたしは誰の味方にもなれない」


 不機嫌にため息をつき、彼は自分の手のひらに視線を落とす。


「あなただってそのはずです。誰も理解できてはいない。なのに、何故あなたばかりが……」


 黒手袋に覆われた、繊細そうな細い指先を、彼は見つめている。


「もしあなたが、何かしらわたしの情報を手にしたとしても。勝手に知った風な態度を取らないでください」


 グリンツ氏は、懐から黒い針を取り出すと、俺の喉元につきつける。


「不愉快です」


 それだけ言うと、彼は黒い針をしまって、部屋を出て行ってしまった。

 理解とは。何だろうか。確かに、相手のことを十全に理解できるのなら、それに越したことはないだろう。困っていることを相談したり、一緒に話をしたりできるかもしれない。

 しかし、グリンツ氏の言う通りで、それが完璧にできる人はきっといない。俺だって、そうだ。

 では口を噤んで、一切、誰とも意思疎通をしないことが正しいことなのだろうか。それは何となく、俺は違うような気がした。

 心をかたくなに閉ざしているグリンツ氏が、こうして俺にこっそり話しかけたこと。そこに、彼を知る糸口があるように感じられる。

 なるほど確かに、彼を理解することはできないだろう。もちろん、近づくことも。

 けれど、発想を変えて、逆に距離を取ることならできるのかもしれない。

 俺も彼も、心を乱されない距離。それを確かめようとしても、彼はやっぱり不愉快と言うだろうか。怒らせてしまうだろうか。もしかして、これも間違っているのだろうか。

 彼と俺の安寧とは、どこにあるのだろう――。

 ぐるぐると思考しながらも、俺は再び、意識の電源を切った。

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