二人分のおもかげ3
並ぶ白い家屋に赤い屋根。急な坂や階段が立ち並び、街の底には人の手で地盤を整えられた大きな港がある。
人の流れを見れば、背中に翼を生やしたものが配達をして、様々な肌の色、鱗の色をしたものが市場で客に呼びかけている。そして吟遊詩人を名乗るものたちの放送が、昼寝をする住人の小型端末から陽気に流れている。
岸壁の港町とは、そういうところだった。
俺は街の入り口側にある案内マップを見て、どこに何があるかを記憶する。港の景色も見てみたいし、図書館も行ってみたい。大きな手芸店や市場は、今まで意識したことのなかったものだ。
(明日、探検できるといいな……)
躯体の中から湧き上がる、わくわくとした気持ちに、俺の目はきっと輝いているのだと思う。が、地図を見ていられるのはほんの少しの間だけだ。グリンツ氏が早足でロステルの手を掴んで移動していってしまうからだ。
とにもかくにも兄が最優先でありながら、グリンツ氏はその兄の意向ということをあまり重視しない。確かにロステルは意識があいまいな状態だが、それを加味しても異常なほどに見える。
ただ、グリンツ氏が屋敷の中で、かつてロステルと仲良く遊んでいたこと。加えて、成長してからは彼の味方になれなかったことを考えると、今の彼は味方も欲しいし味方でもありたい、と考えなくもないのだ。けれど、今の状態が良い、とは俺も思わない。
(何か彼の心を落ち着かせる取っ掛かりができればいいんだけどな……)
あいにくと彼は俺のことを好んではいない。下手に俺が行動すると、余計に事態を悪化させてしまう。さて、どうすればいいだろう。
思索を巡らせながら、俺は彼らの後ろを追いかける。
ここ出身であることもあってか、グリンツ氏は移動に慣れていた。街は遠目で見たよりも、なかなかに入り組んでいる。俺一人では迷子になっていただろう。
迷路のような小道を抜けて、彼は市場の前に出た。市場では様々なものが、テントの下で多種多様なものを売っている。ぱっと見た限りでは地球移民が多いが、機械種もいるし、鱗だらけの者や、翼を生やしたものもいる。
「きょろきょろしないでください。恥ずかしいと思わないんですか?」
好奇心に誘われるまま見回す俺に、グリンツ氏から辛辣な言葉が飛んでくる。言葉が出ないのに、俺の喉はぐっと詰まる。
グリンツ氏はすいすいと市場の中を通り過ぎていく。やがて彼は、肉屋の前に到着する。ひんやりとした硝子の箱の中に、いろんな種類の肉が入っている。鶏肉、牛肉、豚肉、かろうじて兎肉までは判別がついたが、それ以上は分からない。貝のようなものも売っているし、見たことのない色の肉もある。
俺はグリンツ氏の動向を伺う。彼は肉と兄を見比べている。
「…………」
やけに長考している。俺が首を捻ると、俺に気づいて憎々しげな表情をする。
「何ですか。文句があるのですか」
俺は首を横に振った。帰ってくるのは舌打ちひとつだ。だが、結論から言えば、グリンツ氏は答えを出すことができなかった。俺は彼に気づかれないように、そっとロステルに通信を送ってみる。
(この中で、食べたいもの、ある?)
ロステルから返事は帰ってこない。だが、それは無反応という感覚ではない。彼は自分の手のひらに視線を落として、じっと考え込んでいる。
もしかしたら、自分の事が分からないのかもしれない。
そしてグリンツ氏は兄をちらちら見て、不安げな表情を見せている。
ひょっとしたら、何をどれだけ買っていいのか分からないのかもしれない。
俺は意を決して、グリンツ氏を見て、肉の入った硝子の箱を見る。俺の動作に、彼は一瞬驚いたような顔をして、すぐに不機嫌そうな顔になる。
「何ですか。文句なら……」
俺は首を横に振る。まずは、硝子越しの赤身の肉を指差す。グリンツ氏は訝し気な顔をしながら、眼鏡をくいと上げて俺の意図を探る。
「……もしかして知らないのですか? 牛肉はステーキなどに使われます」
馬鹿にされたような気がするが、俺の意図は達成されている。つまり、彼の知識と思い出を頼りに、彼らの好きな肉を見定めるというものだ。
そのまま、次に先ほどの肉より少しピンクがかった肉を指差す。
「豚肉。食事に出ることはありましたが、兄は油の多い肉を好みません」
同じようにピンクがかった肉を指差す。これは表面にぶつぶつとした皮がついている。
「地球移民の調理でよく使われる鶏肉です。肉は美味ですが、皮の油分が多いです」
他の肉も指差してみる。
「人工兎肉。赤身肉の酸味に加え、食感そのものは鶏肉に近いですが、食卓に並ぶのはまれです」
せっかくなので変な色の肉も指差してみることにする。
「オオツノの肉です。煮込み料理に用いられます。匂いもさほどなく、加熱すると柔らかくなりますから」
最後の聞き慣れない名前はおそらく原生生物だろう。地球移民の拠点というだけあって、さすがに地球の食材が多いようだ。肉を見比べる俺たちに、店主が笑いかける。
「兄ちゃんとこは金持ちだねえ。ウシは普通、バラ肉と野菜を炒めて食べるもんだぜ」
「崖上近くの家にお仕えしているんです。今日はその買い出しなんですよ」
俺に見せる表情とは打って変わって、彼は肉屋の店主へと非常に人懐こい笑みを見せる。なるほど、事情を知らない人にまでは、彼は敵意をむき出しにしないようだ。だから、最初の俺への対応は丁寧だったのかもしれない、と思い返す。
「へえ、ファニング家の近くの。それじゃ、いい肉買わないとな。この牛肉のヒレなんかどうだい?」
「……では、ふむ、その塊を一つ」
(えっ)
俺は大慌てで取り出された肉の値段と財布を見比べる。お金は十分に入っているが、これはミッドのお金だ。できるかぎり節約はしたい。
グリンツ氏と店主に軽く手を振って、視線をこちらに向ける。こちらを見たグリンツ氏は、目ざとく俺の手元の財布を見つけて手を伸ばそうとする。俺は当然、ひっこめる。彼は店主に見えないような角度で、俺に敵意の眼差しを向ける。
「渡してください。あなたよりわたしが持つべきです」
「ダメだよ。二人じゃ、あんな大きい塊を食べきれないだろ?」
思わず俺は聞こえないのに通信をぶつけてしまう。グリンツ氏はどうやら一人あたりの分量が分からないらしい。これは渡すわけにはいかない。俺は首を強く横に振る。
「お、連れてるのは家庭用のアンドロイドか」
「すみません。中古品なんで、たまに言うことを聞かないんです」
(ちゅ……中古品……!?)
あんまりにもあんまりな言い方に、俺は何とも言えないもやもやした感情を抱える。おそらくこれは怒りだ。だけど、ここで事を荒立てるのは良くない。俺はどうにかこうにか、財布を持っていない方の拳を握りしめて発生したもやもやを我慢する。
俺とグリンツ氏のやりとりを見かねたか、ロステルがグリンツ氏の前に立ちはだかる。
「……多い」
すると、グリンツ氏は困った顔で彼に笑いかける。
「兄さん、食べなきゃだめですよ。兄さんならいけます」
(いやいやいや)
それはロステルがかわいそうだ。俺は急いで、トールかニューロマンサーの遺した知識の中で、成人の食べるべき肉の量を検索する。多少くらくらするが、仕方ない。
俺は真剣な顔で、店主に向き直る。男性二人分と考えて、指を立てて重さを指定する。
「ははっ、まあ、それぐらいだな。はいよ、切るから待っててくれ」
どうやら店主はグリンツ氏が肉の量について疎いのを見抜いていたらしい。俺はお金を用意して、彼が肉を切るのを待つ。やがて、冷たい氷のような結晶と一緒に、紙に包まれた肉の袋が渡される。俺はそれを受け取って、代金を差し出す。そして、お釣りを財布の中に入れる。溢れる冷気が、ひんやりと気持ちいい。
「毎度あり!」
元気のいい声で、俺たちは見送られる。何とかメインディッシュを買うことができた。次は野菜だ。
「わたしに恥をかかせないでください」
ある程度肉屋から離れてから、明らかに不機嫌になったグリンツ氏が俺に声を掛ける。俺は袋を差し出してみる。
「は? 何故、わたしが荷物を?」
ままならない。俺は袋を持ってうなだれる。困った時は逃げ出せとはヴォルカースに言われているものの、それもそれで難しいと俺の回路は判断する。
しかしこのままヘイトを向けられ続けるのは正直辛い。どうにか打開策を見つけねばならない。
そう、まだ肉しか買っていないのだから。
(あとは野菜と、ちょっとしたデザートがあればいいかな?)
市場をぐるりと見回すと、地球由来のものならある程度識別できることに俺は気づいた。これなら大丈夫だと、一歩踏み出そうとしたその時、ロステルにポーチのベルトをぐっと掴まれた。驚いて、俺はそちらを見る。
「……」
彼はゆったりとした動作で、首を横に振る。何となく不安が伝わってくる。俺とほとんど背丈の変わらない彼を、俺はじっと見つめ返す。不安の正体が掴めなくて、何と答えていいか分からない。掴む手を、ぽんぽんと軽く撫でると、彼はベルトから手を離す。
「あまり兄のこと、じろじろ見ないで貰えますか」
グリンツ氏の言葉にはっとして、俺は視線を外す。そしてごまかすように、野菜を取り扱う店を指差す。
「指図しないでください」
毎度毎度厳しい言葉を浴びせられるが、何だかんだ、うまく誘導はできている。ただとても、俺の回路の何かがすり減っている。熱疲労もないのに、息を吸って、吐きたくなる。二度ほど軽く咳き込んで、俺は彼らの後を追う。
結局、肉屋と同じような展開を三回ほど繰り返し、俺たちは無事に食材を手に入れることができた。
「兄さんはこれ、好きでしたものね」
ひんやりとした袋の中には、牛肉とサラダ用の葉物とトマト、あとはこの地方原産の七色の丸いベリーの詰まったカップが入って、ずいぶんと華やかだ。若干の達成感に、俺のくたびれた回路も少しは熱を冷ますというものだ。
空を見れば、日が暮れ始めている。白い建物は徐々に灰色に染まり、影を伸ばしていく。あちこちに建てられた魔物避けの灯りが、気づけば街灯のように明るく光っている。
グリンツ氏が相変わらず何か俺に嫌味を言っているが、いよいよ判別する気力がなくなってきた。聴覚センサーが認識を拒絶している。早く家に帰ろうと、階段を昇り、薄暗くなりはじめた道を先導して進む。
(他人にこういう感情をぶつけるのって、逆に難しいんじゃないのかな)
彼がここまで嫌悪や悪意を俺にぶつけ続けている、その由来は何だろうか。俺は彼と一緒に買い出しをして、皮肉や嫌味自体よりも、むしろそちらの方が気になり始めていた。
アンドロイドは最初から誰かの味方であると、宿場町A-3で彼は言っていた。そして、自分が誰の味方にもなれず、兄以外に味方がいないということも。おそらく、俺が味方になるということは、彼は望んでいないのだろう。変に距離を詰めるのは、彼をいたずらに刺激することなのかもしれない。
(かといって、一人にはしておけないし……)
彼が孤独であることを望んでいるわけではないのは明白だ。しかし、彼は他人に手を差し伸べられるのを極端に嫌っている。ならば彼自身から歩み寄って貰わないことにはどうしようもないのだが、彼は兄に対してさえ一方的な気持ちを押し付けている状態だ。
正直、俺はロステルに負担を掛けたくない。彼だって、いつブローチの炎が燃え上がって、飛び去ってしまうか分からない身なのだから。そっとしておいた方がいいと思っている。
(八方塞がりだ)
どれだけ考えても、俺にできることが見つからない。ため息をついた俺の躯体が、何かにぶつかる。集中しすぎていたのだと、はっとして顔を上げて、謝罪をしようとする。
目の前にいたのが、怪しげな黒いスーツの男だと気づくまでは。
「ファニング家の者だな?」
ただならぬ殺気に、逃げねばならないと回路が弾き出す。俺は振り返る。グリンツ氏が目の前の男の正体に気づく。そのさらに後方からも、似たような背格好の男たちが現れる。
目の前の男は、グリンツ氏に向けて銃を構える。とっさに銀のかかとを鳴らし、俺は加速をつけて男の腕に飛びつく。男が体勢を崩す。銃声が響く。
その間に、グリンツ氏が他の男たちに追われながら、ロステルの手を引き、俺の横を通り抜ける。一瞬、俺とロステルの目が合う。
男を突き飛ばしてよろけた俺はバランスを取ろうとして、買い物袋を持ったままの手を伸ばす。グリンツ氏が、こちらに手を伸ばす。
「……!!」
彼は俺から買い物袋だけ奪い取って、俺の手を振り払った。俺は驚き、何もできないまま、急な階段を背中から転げ落ちる。防犯ブザーを取り出すことさえできない。
「ダメです、兄さん。あなたの素性がここで知れるのはいけません」
「――」
「言うことを聞いてください、兄さん!」
一段また一段と転がる度に、躯体が悲鳴を上げる。視界のどこかで、俺の方に手を出したまま引きずられるロステルが見えたが、俺にはどうしようもない。
視界がぐるぐる回る。服の内側で人工皮膚が擦りむける。途中で激痛と共に右腕の感覚がなくなる。
階段の底の底まで落ちて、腕から火花を散らしながら、俺は階段の上を見上げる。男たちの半分は、グリンツ氏たちを追いに行ったらしいが、残り半分がうつ伏せに倒れた俺に近づいてくる。起き上がれない。痛みも、状況も、処理しきれない。
「どうする、このrobot。取り返しに来ると思うか?」
「さあな。……まあいい、持っていくぞ。大事な金づるだ」
俺の躯体が雑に持ち上げられる。逃げようとするが、身体が動かない。一度にたくさんのことが起きすぎて、きっと処理落ちをしているのだと俺は思った。
(痛い……)
痛みの中で必死に思考する。グリンツ氏はロステルを連れて、無事に逃げおおせただろうか。責める気持ちよりも、彼の怯えた顔が気がかりで、心配が勝る。けれど、どうしようもない。俺の身体はどこかに運ばれて行く。
(どうしよう……ミッド……)
全てが処理しきれなくなって、俺の出力が落ちてくる。回路が警告と共に、再起動を告げてくる。カウントがゼロに近づいていく。どうすればいいんだろう。
やがて、男の一人が俺の通信デバイスをむしり取り、どこかで見慣れた黒い小型の端末を取り出して、俺の接続端末にはめ込む。
その瞬間、ふっと。何も、考える、ことが――。




